盆栽

 シルバーファングの一番弟子である名前と、つい先日門下に下ったガロウとの関係は、劇的に変化していた。それは傍目にも解るほどで、密かに彼らの仲を心配していた門下生達は皆一様に安堵した。確かに、名前を師範の実の孫として妬むこともあったが、それ以上に皆、彼のことを良い弟分として可愛がっていたのだ。そんな名前が無下に扱われている様は、見ていてあまり気持ちの良いものではない。
 どういう訳かは彼のみぞ知るところだが、ガロウはそんな名前を毛嫌いしていた。最初は、彼が才能に溢れていて、尚且つシルバーファングの孫だから気に食わないのだろうと皆思っていた。しかし名前が話し掛けても無視をするし、挙句の果てにあの乱闘騒ぎだ。彼のそれは完全な私怨であり、もしかして二人の間で何かあったのだろうかと、首を傾げる者が続出していた。
 しかしながら、あの後戻ってきた二人は、何事も無かったかのように稽古に参加した。そして終わった後も殴り合いの続きをするどころか、それまでの剣呑な雰囲気とは打って変わり、昔からの親友であるかのように仲良くなっていた。高校に通っていないらしいガロウは毎日道場に足を運んでいたが、土曜と日曜は普段よりも機嫌が良いし、名前の方もそれまで以上に精力的に稽古に参加するようになっていた。
 ライバルってやつだなと、誰かが笑って言った。


「あ、ガロウ違う違う。この型の時は手は添えるだけで良いんだ。それと、こう、小指を上に上げる感じ」
 名前が指摘すると、ガロウは名前の方へ一、二度視線を走らせた。それから指示通りに右手を動かす。名前が指示した通り、小指のある側が上を向いていた。
 鏡の前で横並びになりながら、型の練習をする。もっともガロウは呑み込みが早いので、名前が出来ることは限られていたのだが。少しの指摘と、練習相手。俺が手を貸す必要はないんじゃないかな、とは思うのだが、友達の頼みとあっては断るわけにはいかない。ガロウは言うのだ、「俺はバングのジジィを超える」と。
 名前の祖父であるバングは、先日新たに設けられたS級ランクに籍を移し、S級3位ヒーローのシルバーファングとなった。どうやらヒーロー嫌いのガロウには、それが気に食わなかったらしく――俺はS級だから弟子入りしたわけじゃない――こうして稽古に精を出している。曰く、「お前のジジイをぶっ倒す」。名前にだけこっそりと漏らされたそれに、少々複雑な気分になったのは確かだ。しかし名前は彼の野望を応援している。それは祖父が倒される筈がないと思っているからなどでは決してなく、ただ単純に、友達を応援したいと思ったからだった。

 祖父を倒すという内容の中に、どうやら流水岩砕拳の会得も含まれているらしい。なので名前は、しばしばこうしてガロウの自主練に付き合っている。別に名前が手を貸さなくとも、天才的に武術の才能のあるガロウは、流水岩砕拳を学ぶ上でもさほど苦労していなかった。しかし、新しい友達に手伝ってくれと言われれば、叶えてやりたいのが人情というものだろう。
 ふと、鏡面に別の人影が映る。
「このアホたれ!」
 その言葉が耳に入るとほぼ同時に、脳天に拳骨が降ろされた。がつんと鈍い音が聞こえた気がしたが、痛いとかそういうレベルではない。思わず頭を抱えて唸ると、隣のガロウも半ば涙目になって顔を歪めていた。ガロウにもやったのか、じいちゃん容赦ねえな。
「休憩時間に練習する奴があるか。見ろ、他の奴まで感化されとるじゃろうが」バングの言葉に辺りを見回せば、確かに立ち上がって型の確認をしていたり、組み手をしている者が何人か居る。いつもはこういう休憩時間の際、皆畳に寝転がっているのに、だ。「休めと言ったらちゃんと休まんか」
 ごめんよじいちゃんと口にすれば、祖父は頷いた。恨めしそうに自分を見詰めるガロウのことは、少しも気にしていない。
 祖父はガロウがヒーローを疎ましく思っていることには、以前から気が付いているようだった。別に名前が教えたわけではない(というか、そんな事わざわざ言い触らしたりしない)。だからこそ、こうしてガロウが不満そうにしていても相手にしないのだ。ガロウの方も、ヒーローのことは嫌っているものの、シルバーファング自身を嫌っているわけではないようだった。
「どうしても我慢できんのじゃったら、外の空気でも吸ってきなさい」
 気分転換になるじゃろという祖父の言葉に名前は頷き、ガロウを伴って外に出た。後ろから投げられた、「盆栽に水をやっといてくれ」という言葉には手を振って返事をする。

 代々受け継がれてきたという流水岩砕拳の道場は、今は道場としての役割しか担っていなかった。しかし数十年前は一家で住んでいたらしく、武道場の脇には古い日本家屋があり、裏には小さな庭がある。そこには現在、松や梅なんかの盆栽がいくつか並べられていた。
 祖父の唯一の趣味と言っても過言ではないそれらは、以前は実家の庭にひっそり佇んでいた。しかしいつだったか、近所の子供が飛ばした野球ボールが命中し、大事な黒松の鉢が壊れてしまい、それからは此方の道場に移動させたのだった。小高い丘の上にあるこの道場では、確かにやんちゃなボールが飛んでくることはない。
 縁側にでも座っていれば良いと言ったのだが、ガロウは名前の後について、名前がじょうろで水を遣るのを見ていた。退屈だろうに。それとも楽しいんだろうか。まあ、植物を見て癒されることはあるのかもしれないが。
「そういや、ガロウって学校通ってんの?」
「行ってねぇ。行ってたら修行できねぇだろ」
 へぇと答えれば、ガロウはむっとして「何だよ」と言う。馬鹿にしたつもりはなかったのだが、気に障ったのだろうか。
「いや。だったらさあ頼みたいんだけど、これ水遣り代わってくんない?」
「は?」
「いやさ、俺、毎朝学校行く前ここ来てんだけど、結構疲れるんだよね」
 あの階段じゃん?と付け足せば、ガロウは微妙な表情になった。「お前のかよ……」
 名前は笑った。「こっちからこっちのはな」

 盆栽は祖父の唯一の趣味だったが、実はそれは名前にとっても同じだった。じいちゃんっ子だったからだろうか、名前はいつからか祖父に影響され、自分で鉢をいじるようになっていたのだ。男子高校生の趣味としては確かに爺臭いかもしれないが、これはこれで結構楽しいものだ。
「朝の昇り降りも修行の一環じゃ。ちゃんと自分でせんか」
 いつの間にか縁側に来ていた祖父はそう言って名前を睨み、それから二人に対し、もう稽古を再開する時間だと告げた。バングに返事を返してから、名前が「ガロウもやってみる?」とにやっとすると、彼は不機嫌そうに顔を顰めただけだった。

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