山猫

 うちの道場に、どうやら俺と同い年の奴が入門したらしい。
 名前はその一週間、そわそわしながら毎日を過ごしていた。祖父が師範を務めている道場は、実のところ名前よりも年上の者ばかりだ。それは名前がついこの間中学校を卒業したばかりで、今は近くの高校に通っている高校生だからだった。高校生以下で武術を習おうとする者はそれほど多くない。年上の門下生達に囲まれている現状も嫌いではなかったが、名前だって本当は同じ年頃の道場友達が欲しかったのだ。だから名前は、部活動が無く、稽古に参加できる土曜日を、今か今かと待ち望んでいたのだった。
 もっとも、自分と同じ年の男だと聞かされただけで、その他の情報は持っていない。夕食の時に顔を合わせた祖父は、「きっと名前と気が合うじゃろ」と言うだけで、具体的にどんな奴なのかは説明してくれなかった。

 来る土曜日、名前はいつもより急き気味で道場へ足を運んだ。稽古前に武道場をピカピカにしておくのは弟子の役目だから、祖父より早く家を出るのは当然だったが、いつもより数十分早い。そして噂の新入り君にも会えるかもしれないと思えば、やたらめったら長い石段を駆け上がるのも苦ではなかった。結果として、その彼はまだ来ていなかった。弟子仲間達と軽い挨拶を交わしながら、名前も掃除に力を入れる。
 噂の彼――ガロウがやってきたのは、それから二十分ほど後のことだった。


 山猫に似ている――ガロウを一目見て抱いた印象がそれだった。短く切られた髪の毛は硬そうで、重力に逆らってつんつんと立っていた。目尻がやや吊り上っているのも、口元が引き結ばれているその様も、ネコ科のそれのようだった。ただ、猫ではない。もう少し野性味がある。
 他の弟子達と同じように雑巾掛けをし始めたガロウ。名前はその彼のすぐ側まで走り寄り、並んで走り始めた。
「なあ、ガロウってんだろ? 俺は名前。よろしくな」
 ガロウはその山猫に似た目をちらりと名前へ向け、無言のままでスピードを上げた。名前も負けじと足を速める。
「十六歳なんだろ? 俺も同い年なんだ。なあ、高校はどうしてんの? 平日も来てるんだろ?」
 ガロウは何も答えなかった。それどころか、先程と同じように雑巾掛けをするスピードを上げ、名前を抜き去って行く。わざわざ名前から離れていくくらいだから、聞こえていないわけではないと思うのだが。名前は内心で首を傾げるばかりだった。もしや、自分が気付かぬ内に何か仕出かしてしまったのだろうか。名前は、ぐっと足に力を込めた。
 尚も追い付いてきた名前に、ガロウは驚いたようだった。実際、ガロウは不必要なほどの速度を出していた。雑巾掛けらしからぬ、ちょっとやそっとじゃ追い付けない速さを。それなのに――名前は追い掛け、追い付いてきた。彼は、今度は名前が声を掛けるより先に、更にスピードを上げた。
 それからは、追い越したり抜かされたりの繰り返しだった。名前はいつの間にか話し掛けるのではなく、彼を追い抜かすことに専心していた。そして、ガロウはどうやら、否が応でも名前と口を利かないつもりらしかった。
 道場の中では、ムキになって競争している二人に気付いたようで、小さな笑いすら起きていた。後からやってきた師範、B級ヒーローとして活動しているシルバーファングも、自慢の孫と張り合える同世代が居たのかと僅かに目を見開いている。また、争いごとに無頓着な名前が誰かと競争しているのも、珍しいことの一つだったのだろう。シルバーファングは暫くの間、彼らをじっと見詰めていた。
 結局、掃除終了の合図があるまで、二人は競い合っていた。

 参加人数が多くなる土曜、日曜は、主に型の復習や、体力作りに終始する。試合形式の稽古はどうしても場所を取るからだ。弟子達は等間隔に間を空け、列を作る。その際に、名前は上手い具合にガロウの隣に潜り込んだ。それに気付いたガロウは嫌そうに眉を顰めたものの、何か行動を起こしたりはしなかった。
 ――観察の結果、ガロウが運動神経に優れていることと、同時に以前他の流派に弟子入りしていたのだろうことが解った。ガロウの体幹はきちんとしていて、バランス感覚も抜群だった。運動神経が良いのだろうと思う。しかし流水岩砕拳の独特の動きにはまだ慣れないらしく、動きが硬くなることが度々あった。もっとも、入門して一週間と経っていないことから考えると、呑み込みが早いと言わざるを得ないだろう。
 今、バングの弟子の中で一番の実力を持っているのは名前だった。両親はそうでもないのだが、名前の運動能力は――自分で言うのもなんだが――人より恵まれている。恐らく隔世遺伝とか何とかだろう。祖父に感謝しなければならない。その名前は無論、流水岩砕拳の使い手としてもそこそこの実力を有しているのだった。
 しかし――ガロウは自分以上に凄い奴かもしれない。
 名前は尚の事、彼と仲良くなりたいと思った。せっかく同じ時、同じ場所、同じ歳の人間に出会えたのだから、親しくなりたいと思うのも道理というものだ。しかも相手は、並外れた才能の持ち主ときている。

 稽古後、名前はガロウの姿を探した。あちこちを駆け回り、やっと見付けたと思ったら、既に石段を降り始めているではないか。「ガロウ!」と声を掛ければ、ガロウは肩越しにちらりと視線を投げたが、どうもそれだけで相手が誰なのか解ったらしく、立ち止まるどころか足を速めた。名前はやむなく道着姿のまま裸足で駆け出し、その勢いのままジャンプしてガロウの前に降り立った。ぎょっと目を見開いたガロウは、少々見ものだった。
 着地した場所が悪かったのか、そのまま後方へ倒れそうになったが、咄嗟に手を掴んでくれたガロウのおかげで事なきを得た。
「おお……ありがとう」そう言ってへらりと笑えば、ガロウはパッと手を離した。「このまま転がり落ちてたら怪我じゃ済まなかったぜ」
 昔やったことあるけど、と付け足した名前に、ガロウは冷ややかな目を向ける。
「お前……」
「お、やっと喋ったな! 口が利けないのかと思ったぞ」
 名前が再び笑うと、ガロウはチッと舌を鳴らした。
「お前、何なんだよ」
「何って別に、ただお前と友達になりたいだけだよ」

 ガロウは暫く訝しげに名前を見ていたが、やがて言った。「俺はヒーローが大っ嫌いなんだよ」

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