なんでなんで、と、真っ赤になりながらも問い掛ける名前に、福本は「何でスかね」と心の中で返した。確かに、福本は名前のことを好いている。それも単なる仲間としてでなく、異性として。しかしそれがどうしてかと言われると、はっきりとした理由が福本自身見当たらなかった。

 福本はシロフクロウだった。今でこそ福本という名前を貰い、仲間達と共にこの逢魔ヶ刻動物園に居るが、昔はツンドラの大地で一人寂しく暮らしていた。冷たい北風が吹き荒ぶ荒野、それが福本の生まれ故郷だ。
 北極圏という過酷な環境の中、暮らしていける生き物は当然多くない。福本が主として食べていたのは、齧歯類の仲間のレミングだった。
 三、四年の周期で激増することのあるレミングは、どの個体も警戒心が強く、常に気を張っているような連中ばかりだった。ちょっとくらい休めば良いのに、そう思ったことも一度や二度ではない。福本が逢魔ヶ刻に来ることになった年は生憎と個体数が激減している年で、一日一日を送ることすら困難だったことを覚えている。数自体が少ないから狩が成功しなかったのだと今になれば解るが、当時は自分の狩の下手さに辟易していたし、同時にレミングやら他の小動物に憎しみと、畏敬の念を抱いていた。
 ――福本は、小さな被食者達を尊敬していた。小さな体で、緊張の糸を張り巡らしている彼らのことを。

 椎名の煙で変身できるようになった今、捕食者と被食者の関係でしかなかった者達とも、福本は仲良くなることができた。ただの梟だった時には考えられないような話だ。そんな中福本が出会ったのは、エゾリスの名前だった。
 彼は小型齧歯類らしく怖がりで、福本を見るといつも飛び跳ねて驚いたり、隠れようとするのが常だった。エゾリスらしい、恐がりな名前。別に福本も、そして名前も、食べたり食べられたりすると本気で思っているわけではない。それでも互いに目で追ってしまったり、恐がってしまったりするのは、生き物としての性だった。
 しかし、名前はただ怖がりなだけではなかった。
 福本は彼のような小さな齧歯類を、弱くて怖がりな生き物としか思っていなかった。実際、間違ってはいない。しかし逢魔ヶ刻で出会った名前というリスは、どうしようもなく弱くて、笑ってしまうほど怖がりだったのに、いつも仲間のことを気に掛けていた。福本にはそれが不思議だった。あんなに怖がりなのに、何故他の誰かのことを気に掛けている余裕があるというのか。
 いつだったか、水族館のシャチが逢魔ヶ刻に乗り込んできた日、シャチに真っ先に向かっていったのは名前だった。怖がりな筈なのに。何ができるわけでもない筈なのに。
 自身をほったらかしにしてでも仲間のことを気に掛ける、そんな小さな名前のことが、ツンドラで一人生きてきた福本には眩しく映ったのだった。

 最初は奇妙な物を観察しているような気持ちで、名前を見ていた。ちょっとつつくだけで、叫ぶほど驚く名前が面白かった。次第に、恐がりで、それ以上に仲間思いなのが名前という男なのだと理解した。しかし動物園に仲間が増えても、福本の興味は名前から離れなかった。いつしか自然と目で追うようになっていて、気付けば名前が側に居ないと落ち着かなくなっていた。
 季節が移り変わった頃、これは未知の生物への興味からくるものではなく、彼に対する執着であると理解した。福本は、名前が自分を怖がっていることは知っていた。いけ好かないサラブレッドに指摘されるまでもない。しかし名前に避けられると悲しかったし、他の雌と喋っているのを見ると腹が立って仕方がなかった。
 そして、彼がサーカスに惹かれているのを解っていながら、狡い質問をした。自分のことが嫌いかと。そう問われれば、優しい名前は否定するしかないだろう。彼の言葉が本心にせよそうでないにせよ、福本はその言葉を聞かないと安心できなかった。

 今、名前は福本の膝に座り、林檎と見紛うほどに真っ赤な顔をして福本を見上げている。思えば名前が福本のことだけ怖がるのも、梟が天敵だからという理由ではないのかもしれなかった。福本が小さく肩を揺らすと、名前の身がびくりと跳ねる。
「名前」と、福本は呼び掛けた。
「な、なに」
 怖いのだろうに、赤い顔をしたまま真っ直ぐと自分を見詰めている名前が、とてつもなく可愛らしく思えた。
「私のこと嫌いスか」



 いつものように、からかっているような口調ではなかった。名前はただ福本を見上げながら、口をぱくぱくと動かしていた。福本にそう問われたのはこれが二回目だ。しかし、以前とは何かが違っている。あの時は握られていたとか、そういう事じゃなくて、もっと根本的な何かが違っていた。はっきりとは解らないが、この前とは違うのだと名前は肌で感じていた。
 名前は福本のことが嫌いではなかった。決して嫌いではなかった。いくらチビと笑われようと、脅かされようと、彼女のことは嫌いではなかった。嫌いには、なれなかった。福本は逢魔ヶ刻の仲間であり、大切な友達であり、ただの女の子だった。
 福本が何故名前に構うのか――名前は解らなかった。しかし、もしかすると解らないふりをしているだけなのかもしれなかった。
「ぼ、僕」名前は口を開いた。「僕は」
「僕も、福本のこと、好きだよ」
 自分が何を言ったのか、半ば解っていなかった。
 解っていなかったのだが、きょとんと目を丸くしている福本に羞恥心を煽られる。今、僕、何て言ったんだろう?
 福本がおかしそうに笑い始めたので、名前はますます顔を赤くさせた。福本はひたすら笑い続けるだけで、自分が何と答えたのかは結局解らなかった。しかし一つだけ解ったことがある。――こうしてけらけらと笑っている福本は、全然怖くないということ。練習が終わり、変身したロデオが怒りながらやって来るまで、福本はおかしそうに笑い続けていた。

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