ヤツドキがショーの練習をしていない時、名前の定位置は普段ならロデオの肩の上だった。本当のことを言えば鬣に包まるのが一番安心するのだが、彼に「死角に居るのはやめて欲しい」と言われたので仕方がない(馬の視野は350度ほどあるらしいが、流石に顔の真後ろを見ることはできないのだ。見えない位置に居られては、誰だって気分が良くないだろう)。ロデオの広い肩の上に座りながら、彼の話に相槌を打ったり、逆に話を聞いてもらったりするのが名前のお気に入りだった。
 しかし今、名前は彼の肩の上ではなく、首の後ろに隠れるようにして鬣に掴まっていた。ロデオがいつも「よしてくれ」と困ったように言うその場所。恐る恐る前を窺えば、琥珀色の視線とかち合った。思わずぴゃっと隠れる。すると同時にロデオが浅い溜息を吐いた。名前は彼の体が微かに上下したのをその身で感じた。


 名前とロデオは、とても友好的な関係を築いていた。多分、動物園組とサーカス団組の組み合わせの中では、一番親しい間柄なんじゃないだろうか。だからこそ、ロデオは名前が福本を苦手としていることを知っている。仲間を怖いと思ってしまう事も普通だと、そう言ってくれるのは彼だけだった。時折やってくる福本をロデオが追い返してくれるのも、おそらくは厚意なのだろうと思う。

 ――実際のところ、ロデオは何故福本が明らかに怯えている名前を構うのか、その理由を粗方察していた。根拠は無かったが、多分、この雌は名前に惚れているのだ。彼女自身がその事に気付いているかはともかくとして、福本が恋愛対象として名前を見ていることは間違いない。そして名前の方も、満更ではないのだろうと思う。今は肉食への恐怖が先行しているが、一度それを乗り越えたらどうなるかは解らない。
 人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ。
 どうしてそこで馬が出るのか一言文句を言いたいが、人間の言い回しにそんな言葉がある。福本はおそらく名前が好きで、名前も恐らく福本が好き。良い具合に噛み合っていると言えるだろう。しかしながら、ロデオには自分にこのか弱い友達を守ってやる義務があると信じていた。
 福本が名前を好き? そんなの関係ない。大事な友人を、わざわざ肉食なんぞにくれてやる筋合いはないのだ。邪魔などいくらでもしてやる。むしろ自分が蹴り飛ばす。ロデオは今、ヤツドキに雌のリスのパフォーマーを入れられないか影で画策している。名前に可愛い草食の彼女ができれば、福本だって容易には近付かないだろう。
 ロデオはふんと鼻から息を吐き出した。
「何度も言うが福本、俺達か弱い草食動物にとって、お前みたいな肉食は恐怖の対象でしかないんだ。そう何度も近付かないでくれるか」
「名前がか弱いってのは同意スけど、あんたも同列にされるとちょっと微妙スね。馬ってライオンを蹴り殺すこともあるらしいじゃないスか」
 それはそれ、これはこれだ。そう呟いたロデオの右脚が神経質そうに土を掻き、未だ彼の背に隠れる名前は少しだけ震えた。このジャグラーは割と感情によって動く節がある。ロデオが苛立ちに任せて後ろを蹴れば、その反動で飛ばされてしまうかもしれない。名前は彼の鬣を握る手に力を込めた。


 名前が再び恐々と前を窺えば、やはりというか、当然のように福本がそこに立っていた。彼女とまたも目が合い、名前はその視線から逃れるようにロデオの首の後ろへ隠れる。
 察しの良いロデオと違い、名前は福本が何故こうも自分に執着しているのか、その理由にまったく気が付いていなかった。そりゃ、ロデオが庇ってくれるのを良い事に、ここ暫くずっと避け続けていたのは申し訳なかったと思う。しかし福本が名前の元へ度々訪れるのは、ヤツドキと提携する以前からであって、彼女自身、名前が本能的に福本を恐れていることには気が付いているのではないかと思う。
 そして福本は、名前がきゃあきゃあ悲鳴を上げるのを喜んでいる節がある。
 だからこそ、名前は彼女が自分に恋愛的な意味で好意を持っているとは思わない。考え付きもしない。彼女が名前を構うのは、単に嫌がらせ――とは思わないが、面白がってやっているんじゃないかとは思っていた。福本のことは決して嫌いなわけじゃないのだが、彼女のその琥珀色の目でジッと見られると体が竦むし、ただでさえ速い心臓の鼓動がいっそう早くなるのだ。

 名前の小さな心臓が精一杯血を押し出しているのを知ってか知らずか、ロデオがハァと溜息を吐いた。
「福本、お前だって名前が怖がっていることくらいは解るだろう? 何故わざわざ構うんだ」
 からかっているのか?と尋ねるロデオにいち早く反応を示したのは名前だった。福本が何故名前の元を訪れるのか、一番知りたがっているのは名前なのだ。ゆっくり、ゆっくりとロデオの背から顔を出す。ちょうど、福本がその長い鉤爪で頬を掻き、「違うス」と言葉少なに言うところだった。ロデオがぶるると息を吐く。
「それじゃあ何だ? 名前のこと、打てば響く玩具とでも思っているのか?」
「……」
 福本は少しの間沈黙した。まさか肯定かと名前は一瞬焦ったのだが、彼女が「いや、違うス」と言ったので一先ず安心する。しかし先程の問いとは違い、どうにも歯切れが悪い返事だった。嫌な予感がした。
「名前のことは、むしろ」福本が言った。「可愛いと思ってるスよ、ほんと、食べちゃいたいくらいに」
 本気とも冗談ともとれる声音に、名前とロデオの悲鳴がはもった。この間は少しだけ可愛いなと思ったのに、やっぱり駄目だ。この人猛禽類だ。がくがく震える名前と、ハッとなって怒り始めたロデオに、福本は首を傾げるばかりだった。

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