鮫に問う、正義はなにかと

「鮫はね、仲間を食うんですよ」
 唐突な投げ掛けに、名前は声の主の方へ顔を向けた。もっともこの場には名前ともう一人、干柿鬼鮫しか居ないので、彼が発した言葉であることは解り切っている。鬼鮫の方も名前を見詰めていて、同時に自虐的な笑みを浮かべていた。
 いつしか霧隠れの怪人とかなんとか呼ばれるようになった彼は、確かに身体も大きく顔もいかつい。ただ、見慣れてみれば何てことはない、そのぎょろりとした目ですらなかなか愛らしく思えてくる。鬼鮫本人はどうも自身の非人間的な顔付きを嫌っているようだが、名前は結構好きだった。彼を見ていると、昔飼っていた魚を思い出す。
 名前が何も答えなかったからか、それとも別の理由からか、鬼鮫は言葉を付け足した。
「母親の胎内にいる時、他の稚魚を食い殺すんです。そういう種類が居るんですよ、鮫にはね。生まれた時から仲間を殺すんです」

 鬼鮫の口元は歪んでいた。頬についた血と相俟って、彼の顔は酷く幼く映る。――ああ確かに、これは怪人だ。
 錆びた鉄の臭いが漂う中、良い大人が二人して地べたに座り込んでいるのは奇妙な光景だろう。しかしいくら霧隠れの怪人とはいえ鬼鮫とて疲れは溜まる。同じ釜の飯を食った生き物を殺した後は、特に。
 干柿鬼鮫は“仲間殺し”を主な任務として与えられていた。名前のように抜け忍を始末する追い忍部隊としてではなく、任務の遂行上障害となる仲間を殺すのだ。名前の与り知らぬことだが、恐らくわざと任務遂行の邪魔になりそうな四人一組を組まされることもあるんじゃなかろうか。最初に鬼鮫のことを知った時、もっと他に方法はあるだろうにと思ったのだが、彼は何の戸惑いもなく「任務を失敗するよりマシでしょう」と言ってのけた。これは駄目だなと、そう思ったことを覚えている。鬼鮫はただ、純粋だった。

 下手な現実逃避はやめることにして、名前は彼に言葉を返そうと思った。しかし、何を言えば良いというのか。鬼鮫が何故急に会話を楽しもうという気になったのか、あまつさえ鮫が鮫を食うのだなどと言い出したのか解らない。いや、思い当たる節が無いではないのだが、結局、名前は無言を貫くことにした。
 ――面があって良かった。追い忍部隊の面の下、改めてそう思う。何を言えば良いのかも解らなかったが、どういう表情を作れば良いのかもいまいち解らなかった。鬼鮫は何を求めているのか。慰めか、同意か。
 名前は鬼鮫から視線を外し、自らが口寄せした鴉達へ目を向ける。何の痕跡もなく死体を処理するには動物に食わせてしまうのが一番だ。あの様子ではあと数分で終わるだろう。名前が何を見ているのか、その目線を追った鬼鮫は「ああ」と口にした。
「薄気味悪い光景ですよねェ。私も烏葬は勘弁して貰いたい」
「覚えておくよ」
 ようやっと口を開いた名前の一言に、鬼鮫は薄っすらと笑みを浮かべた。性質の悪い冗談だと怒られるかとも思ったのだが、顔に似合わず鬼鮫は気が長い。「あの鴉達も、同じ里の仲間を食っている」
 私達と変わりませんねと、彼はしみじみとした調子で呟いた。名前は頷くような素振りをしながら、心中では別のことを考えていた。抗おうともしない私達より、鴉の方がよほど高等だ。


 アカデミーの同期であるこの男に、時折こうして死体の処理を頼まれるようになったのは、今から数年前だった。鬼鮫が西瓜山の跡を継いで忍刀七人衆に入るより更に前。公認であれ非公認であれ、「仲間殺し」は大罪だ。鬼鮫の行為が明るみに出れば、彼が糾弾されることは間違いない。例え鬼鮫の任務が水影の手によるものだとしても。――だから、名前が居る。
 死体処理班とも揶揄される追い忍部隊、その事を思い付いたのはたまたまだと彼は言う。それが本当かどうか名前は知らないし興味もないが、その中で名前に声を掛けたのは鬼鮫の独断だろうと思う。今でこそこうして死体を前にしてでしか会わないが、昔は彼と共に修行に励んだものだ。あの頃から、干柿鬼鮫という男の優秀さは群を抜いていた。
 名前ならと、彼は思ったのだろう。名前なら口を割らないだろうもしくは簡単に口封じができるだろう、と、そう思ったのだろう。実際それはどちらも当たっている。
 里外に出た際、他の忍者と交戦した時は別だが、そうでない場合――里近郊でのものや、あんまりにも他殺に見せ掛けることが不可能な場合、鬼鮫は名前の手を必要とした。ここ最近呼ばれることが多いのは、大刀・鮫肌の特性上、誰が殺したのか一目瞭然だからだ。わざわざ他人に後始末を頼むくらいなら、もっとばれないように殺してしまえば良いのに。
 別に、用済みだと彼に殺されるのは構わなかった。他里の忍に殺されるより余程マシというものだ。仲間殺しを黙認し、手を貸している名前も同罪なのだし、彼が霧の忍である以上、名前の死は里に貢献されることとなるだろう。しかし、名前が危惧しているのは鬼鮫の身の安全だった。自分でも半ば解っていることと思うが、彼は良いように使われているだけだ。里で指折りの実力を持った彼だから重宝されているだけで、彼以上に使い勝手の良い人材が現れれば、鬼鮫に任を与えている誰かは鬼鮫のことすら見捨てるに違いない。

 名前は鬼鮫が哀れでならなかった。お願いしますよと、疲れ果てたような顔をしてそう口にする彼のことが。意識していないのだろう、名前と会う時の彼は放っておけば死にそうな顔をしている。
 ――鮫に自身を重ねてでしか生きていられない彼のことが、哀れで仕方なかった。
「鬼鮫」
「はい?」
 すっかり傷の癒えた鬼鮫が、不思議そうに名前を見た。
「鮫が同胞を食い殺すのも、別に悪いことじゃあない。鮫にとってみれば、それは当たり前のことなんだから。正義は、鮫にあるよ」
 鬼鮫はじいと名前を見た。
「……そう、ですかねェ」
「そうだよ」名前が言う。「お前は難しく考え過ぎなんだよ、鬼鮫」
 口を閉じた時、それまで死体を貪っていた鴉達が一挙に掻き消えた。どうやら全て食べ終えたらしい。後に残るのは薄赤く汚れた骨ばかりだ。そして、それの始末するのは名前の仕事だった。立ち上がり、仲間だった物質の元へ向かうと、背後で鬼鮫が「そうですかねェ」と再び呟いた。自分でも無意識のうちに頬を緩ませながら、名前は一人術式を組む。後に残るのは霧隠れの忍が二人、それから真白い塵だけだった。

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