オブラートに包んで、それから捨ててくれ

 蟲神が名前に声を掛けたのは、さして大した理由がある訳ではなかった。根明と言っても過言ではないこの男が、朝からひどくしょぼくれた顔をしているのが不思議だっただけだ。別に彼を思いやったわけではない。
 怪人協会、と組織立って行動しているとはいえ、別に怪人同士の仲は良くも何ともない。むしろ、ちょっとした口喧嘩が発端で流血沙汰になることもしょっちゅうだし、正直なところ、サイコスがいくらメンバーを集めても足りないほどに仲間同士の殺し合いも頻発している。
 そんな中、蟲神と名前は同じ時期に入会したこともあって、そこそこ親しい間柄だった。会えば口を利くし、話しもする。名前はどこぞの誰かのように殺戮を繰り返していなければ満足できないような物騒な輩じゃない上、先に述べたように真性の根暗ならぬ根明なので、協会のメンバーの中では比較的取っ付きやすかったのだ。友人、そう言っても良いかもしれない。
 憂鬱そうな顔をしている名前に、蟲神は「よう」と声を掛けた。
「なに辛気臭い顔してるんだ? 朝っぱらから」
「おお……」名前が気のない笑みを浮かべた。「よう」
「いや、何、ちょっとな」
「何だ? そういう風に言われると、気になってくるじゃないか」
 疲れたような顔をしている名前が、言葉を濁した時点で流しておけば良かったのだ。蟲神はひどく後悔することとなった。
「また夢精しちまってよ」

 蟲神は一瞬呆けた。別に、大した興味があるわけじゃなかった。名前が今此処で脳漿を撒き散らしながら死んだところで笑いはすれど何とも思わないだろうし、同じように彼が何に悩んでいようとどうだって良かったのだ。
「ム」蟲神が言葉を紡いだ。「セ、エ?」
「夢精」
「ムセー、って、アレか。夢精か」
「おう」
 こいつ、頭に蛆でも沸いたか。
 蟲神がそう思ったのも場違いではないだろう。怪人と言えどモラルはある。出会い頭に下ネタとはどういう了見だ。しかし名前はごく真面目な顔をしていて、彼が受け狙いに走ったわけでもないことは明らかだった。ここで、蟲神は本格的に後悔した。
 しかし話を振ったのは自分なのだし、すると蟲神には彼の話を聞く義務がある。

 彼の言葉を脳内で反芻して――嫌々ながら――言葉の意味を考える。
 怪人にはいくつかの種類がある。大雑把に大別すると、元は人間だった怪人と、そうでない怪人だ。蟲神と、そして名前は前者だった。そうでない怪人はどうだか知らないが、元人間の怪人には人間と同じような欲求が時折起こる。もっとも殺戮衝動が欲求の最上位に来るから、他が満たされずとも生きていられるわけだが。
 性的欲求も、無いわけじゃない。多分。恐らく。きっと。
 人間だった時はともかく、蟲神は怪人になってから人間の言う三大欲求に駆られたことは一度としてなかった。だから、多分としか言えない。食欲と睡眠欲はともかく、女を前にして犯したいなどと思った覚えがない。殺したいと思うことはあるが。
 蟲神は人間だった時の記憶を必死で掘り返した。寝ている時に射精するとはつまり――溜まっているということ。
「……何だ? お前、ヤりたいのか」
「お、おお……」名前がちょっと赤くなった。どうも肯定らしい。キメェ。「蟲神、どストレートだな……」
「ヤりたい。凄くヤりたい」
 げんなりしながら「すれば良いじゃないか。どこぞの人間を捕まえて、殺す前に一発やってやれば」と蟲神は口にした。我ながら、何を言っているのだろうと思う。同時に、死姦もありかと思う。
「いや、それがやらせてくれなくてなあ」
 そうかよ、と相槌を打とうとして、蟲神は固まった。やらせて、くれない?
「お前、それ、どういう――」
「――だってさあ、いくら俺だって、惚れた相手の嫌がることしたくないじゃん? 無理やりすんのも好きっちゃ好きだけど、あんな悲しげにされたらさあ、我慢するしかないじゃん」
 蟲神は、身の毛のよだつ思いだった。毛なんてもうとっくに生えていないのに。話の先が見えてきた。
 名前が言っているのは単に性欲がどうこうではなく、惚れた相手が居て、その上で相手が求めに応じてくれないと、そういう事なのだろう。しかも彼の口振りからすると、どうもこの協会のメンバーが相手のようだった。
 確かにまあ、人間の基準で言えばメガミメガネは美人の部類だしなあと思う。思ったのに、名前はすぐに蟲神の心を折りに掛かった。
「俺だって解るんだよ、だって黒い精子はほら、精子なわけだし? 嫌っしょ、男同士で生産性のないセックスとかさ。まあ、怪人が子作りできんのかっていうと微妙なんだけど……。でもさあ、ほんと、オナニーも駄目ってのは厳し過ぎね?」
 そういう所も可愛いんだけどさあと惚気る名前に、蟲神は何を言えば良いのか解らなかった。夢精って何だよとか、ヤりたいって何だよとか、好きな奴居るってことかよとか、色々と衝撃が襲ってきたが、名前の好きな相手というのが黒い精子だと知って訳が解らなくなった。俺、何でこいつの友達やってんだろう。
 蟲神が拒絶しなかったからだろう――拒絶しなかったというか、反応を返せなかっただけなのだが――名前は黒い精子の魅力について語り出した。最初に会った時のような重たい雰囲気は消えている。なるべく想像しないように聞き流しながら、早く死んでくれないかなと切に願った。

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