件の川辺にて

 後方に人の気配を感じたが、知らぬ相手ではなかったので、名前は特に反応しなかった。数年前ならともかく、ここは木ノ葉の領内だ。よほどのことでなければ余所者が居る筈もない。そのまま通り過ぎていくかと思っていたのだが、現れた忍は名前のすぐ背後に降り立った。どうやら気配を隠す気もないらしく、河原の石がざらりと音を立てた。「名前、ここに居たのか」現れた男、うちはマダラは静かにそう口にした。名前を探しに来た、らしかった。
「……お前か」
 名前はマダラの方を振り返らなかったが、彼がどんな表情をしているのかは、不本意ながら解る気がした。恐らく口をへの字に結んでいる。
「お前の方が感知は上だろうが。白々しい」
 マダラの声音には、どこか不満げな響きがあった。千手とうちはが同盟を結んでからというもの、そこそこの月日が経っている。マダラとの付き合いも、それまで以前を含めればかなりのものになるだろう。名前は既に、僅かな仕草で彼の気持ちが掴めるようになってしまっていた。不本意なことだが。
 しかしながら、お褒め頂きどうも、と、そう口にした名前の声にも、恐らく彼と似たような色があったに違いなかった。確かに名前は感知タイプの忍なので、マダラが言ってみせたように、感知能力だけならマダラをも上回る。もっとも、逆に言えば感知しか能がないのだった。軽口にしろ社交辞令にしろ、うちはの頭領に褒められても嬉しくも何ともない。
 口を閉ざした名前を不可解に思ったのか、マダラがゆっくりと近付いてきた。ざりざりと足音がする。マダラがほぼ真横に来る直前、名前が言った。「私のことは放っておいてくれ」

 マダラは歩を止めた。「お前のせいでオレが迷惑する」
 柱間が探していたぞ、とマダラは付け足した。大方、この間名前が出席した志村一族の会合のことについて聞きたいのだろう。報告はちゃんと入れておいた筈だがなと、内心で苦笑する。情けなく眉を下げた兄の顔が目に浮かぶようだった。
 それからマダラの言葉の意味を考える。名前が兄である柱間との接触を避けたところで、マダラに何の不利益があるのかいまいち解らなかった。桶屋が儲かりでもするのかと小さく漏らせば、それよりは近いがなと返ってきた。聞かれていたらしい。
 マダラが動いたと思ったら、彼はゆっくりと河原の石を拾い上げた。一、二度手の中で転がし、それからごく自然な流れでそれを川へ投げ入れた。ぱっぱっぱっぱっと、石が水面を跳ねていく。川の半ばを過ぎた頃、マダラの投げた石は音もなく沈んでいった。
 柱間兄様も、水切りが上手かったっけ。
 誰が一番遠くまで飛ばせるか、昔はよく競争をしたものだ。名前達兄妹の中でも、やはり柱間が一番上手かった。それなのに時折扉間が彼を抜かすと、柱間はすぐに落ち込むのだった。兄たろう強い意思が彼をそうさせるのか、柱間は一度へこむと際限なく落ち込んでしまう。そんな時は、名前や瓦間が一緒になって、コツを教えて欲しいとせがむのが常だった。
 マダラを見上げると、彼は小さく「惜しいな」と呟いた。それから再び腰を少し屈め、新たな石を拾い上げて川へ放る。彼が頑なに川面を眺めていたので、名前も彼から視線を外し、元のように前を見詰めた。しかしながらあまり頓着せず石を選んだせいか、今度は二度跳ねただけで終わってしまった。マダラが口を開く。「どうしてオレ達を避ける?」


 名前は、柱間を確かに避けていた。しかし今、マダラは「オレ達」と言った。別にマダラを避けているつもりはなかったのだが。ただ、よくよく考えてみれば、マダラは柱間の相方として彼と行動を共にすることが多く、彼にそう捉えられても別段不思議ではない。訂正しようかと思ったが、面倒なのでやめておいた。今のマダラは上機嫌とは言い難い。揉め事はごめんだった。
「別に、ちょっとどん引きしただけだ」
 マダラがどんな表情をしているのか、地べたに座り込んでいる名前からは解らない。ただ、彼の纏っている雰囲気が俄かに変化した。名前の言葉の意味するところが解らなかったのか、それともまったくの予想外だったのか。先程まで微かに苛立っているようだった彼は、今は少々困惑しているようだ。
 暫くの間、マダラは口を閉ざしていた。しかしやがて、ハァと溜息をつく。
「お前ももう子供じゃないんだ。オレのことを嫌いなのは知っているから、さっさと顔を出せ」
「……はあ?」
 今度は名前が瞠目する番だった。思わずマダラを見詰めれば、彼の方も驚いたような顔をして名前を見ている。無言で見詰め合うこと数秒。
「無理な選択を迫ったオレに引いたんだろ?」
 名前は目を見開いたが、やがて納得した。マダラが「オレ達」と言った理由も解った気がした。
「……違う」名前が言った。「私が引いたと言ったのは柱間兄様にだ」
「……はあ?」
 名前はちょっと眉を上げた。自分がマダラを嫌っていると思われていることも心外だが、それ以上に何故今聞き返されなければならないのか、それが解らなかったのだ。
 長らく争ってきた千手とうちはは、うちはの降伏により幕を閉じた。しかしその際、マダラは一つの取引をしようとした。自身が死ぬか、扉間を殺すかの選択を柱間に迫ったのだ。結果として、名前の兄は二人とも生きている。
 あの時、マダラも自分がいかに厳しい二択を出していたかは理解していたのだろう。自分が死ぬか、弟を殺すかなどと。それに仮にどちらかが――柱間は自分を殺そうとしていたわけだが――死んでいたら、例え千手とうちはの同盟が結ばれたとしても、今以上に大きな禍根が残っていた筈だった。しかし、うちはマダラはうちは一族を率いる頭領だ。うちは一族の繁栄を何よりも優先しなければならない。
「むしろ何故私がお前に引かにゃならんのだ。私でも弟を殺せと言うだろうよ」

 マダラが眉間に皺を寄せる。「なら何故柱間に引く」
 名前は暫くマダラを見詰め続けていた。名前が自分でも弟を殺せと言うだろうと言った時、マダラは明らかに傷付いたような顔をした。情の深い男だと思う。マダラには、弟を千手に殺されたという大義名分がある。柱間に弟殺しを強いても、仇討であると言えるかもしれなかった。しかし名前にはそれがない。もちろん幼い弟達が命を落とした原因はうちはとの抗争にあるが、それをマダラに教えてやる義理は無い。
 家族を見捨てさせるとあっさり言い切った名前のことが、マダラには不快に映ったのだろう。
 写輪眼を発動しているわけでもないのに、墨を流し込んだかのように黒い彼の瞳は、名前の心をそっくり映しているように感じられた。別に口に出して言わなくても、彼には見透かされているんじゃないか。そんな風に思えてならない。
「……私が言ったと誰にも言うなよ」
「ああ」
 マダラが頷いてからも、名前の口はなかなか開かなかった。別にマダラを信用していないわけではないし、絶対に誰にもばらされたくないわけでもない。
「――あの後兄様が言ったんだよ。マダラはオレに選ばせてくれたんだ、とな」
 それから「どん引きだよ」と付け足す。どうにもマダラの反応が悪かったからだ。彼は昔ほど表情豊かではないが、その顔は訳が解らないと雄弁に語っていた。彼は結局、「何故それがおかしい?」と至極不思議そうに名前に尋ねた。
 別にそう突拍子もないことを言ったつもりはなかった。考え方の違いだろうか。少し歯痒く思いながら付け足した。
「……誰も、身内に死んで欲しいなどとは思わんだろ」
「扉間を殺すよりマシだろ? オレでも自殺を選ぶぞ、ああ迫られたら」
 名前が何に対して憤っているのか全く解らないという風に、マダラは言葉を連ねる。どうやら冗談を言っているわけではなく、本当に理解していないらしかった。
「あのなあ……柱間兄様は、長男なんだぞ。一族を率いねばならん立場じゃないか」
「すると何か、つまりお前は、柱間に自分を大事にして欲しかったと?」漸く合点したらしく、マダラが言った。「だがお前、奴が扉間を殺したら、それはそれで嫌がるんだろうが」
「馬鹿か。私が柱間兄様だったら、間違いなく扉間兄様を殺していたわ」
「お前……」
 渋い表情を浮かべたマダラにふんと鼻を鳴らし、名前は再び川面を見遣った。
「お前も」名前が言った。「扉間兄様でなく、私を殺せと言ってくれたら良かったのに」

 口にしながらも、名前も、そしてマダラも解っていた。次男である扉間と、女である名前とでは価値が違う。前線で戦う実力はあるとはいえ、所詮は女、柱間はおろか扉間にすら届かない。名前では選択を迫る以前に、交換条件に挙がることすらないだろう。
 沈黙が嫌になり、名前は手近にあった石を掴み取った。先のマダラに倣って、水切りでもしてみようかと思ったのだ。しかし平たくも何ともないただの石では、一度跳ねるかどうかも解らない。投げることすら億劫で、手の平で転がしただけで結局そのまま地面に捨ててしまった。石と石とがぶつかる小さな音が、辺りに響く。
「……オレが言ったのが扉間でなくお前だったとしても、自害を選んだんじゃないか。柱間は」
 名前の指先がぴくりと動いた。言い様もない気持ち悪さが体中に広がっていく。
「そんなわけないだろうが。お前、兄様を何だと思ってるんだ」
「お前こそ柱間を何だと思ってる。奴ほど情の深い男は居ないぞ」
「情の深さだけでやっていけたら苦労せんよ」
 言い返す名前に埒が明かないと思ったのか、マダラは短く溜息を吐き出す。
「お前、拗ねているだけだろう。柱間が自分達よりもオレを選んだから」
 違うか?と、マダラは尋ねたが、その口調ははっきりと断定しているかのようだった。そして名前は――言い返すことができなかった。

 本当のことを言えば――マダラを殺せば良いと思っていた。もちろん名前だって戦が長引くのは本意じゃないし、柱間が常々言っていたようにうちはと手を取り合うことだって賛成していた。うちはマダラのことだって、敵として一族を傷付けてきた輩として憎んではいたが、忍としては尊敬していた。口にはしなかったが、ああなりたいとすら思っていた。
 しかしそれは、今のように何事もなく同盟を結べたからこそ言えるのだ。柱間か扉間かなど選べる筈もない。そんな二択を選ばなければならないのなら、同盟など結ばず、うちはなぞ滅ぼしてしまえば良いのだ。
 マダラの言った通りだ。名前はどうせ、柱間があの場で扉間を殺していたら、マダラを憎み、兄を軽蔑したに違いない。口ではどれだけ正論を言っていたとしてもだ。

 名前は顔を顰めた。「……うちは一族滅びれば良いのに」
「物騒なことを言う女だ」マダラの声に、微かに笑いが滲んでいた。「オレじゃなかったら切れてるぞ」
「うちはの頭領様はお優しいことだな」
 小さくそう呟けば、マダラは今度こそ静かに笑った。


 三人きりの兄妹、木ノ葉の里もできたばかりで、いつまでも柱間を避けているわけにはいかないだろう。わざわざマダラが探しに来たくらいだから、もしかすると何か業務に支障が出ているのかもしれなかった。立ち上がると、マダラが此方をじいと見詰めていた。
「何だ」
「いや、そうだな」マダラが言った。「流石にオレも、お前と柱間とを選ばせることはできんと思ってな」
 名前は眉を顰めた。わざわざ言われなくても解っている。
「私にそれだけの価値が無いことくらい解っているさ」
「ああ。柱間の代わりは扉間にもできるだろうが、お前の代わりは居ないからな。お前が殺されでもすれば、オレは一生柱間を恨んで生きて行かなければならなくなる」
 ぎょっとしてマダラを見れば、彼は肩を竦めてみせただけだった。マダラの考えは凡そ解るつもりだったのに、彼の言葉が本心かどうか判断がつかなかった。慰める為に言っただけだとしたら、随分素っ気ない。そうでないとすれば、彼が言った「お前のせいでオレが迷惑する」という言葉が違う意味を持ってくる。
「……扉間兄様が殺されていたら、私がお前を殺してやっていたからな」
「面倒臭い女だ」
 素直に喜べば良いのに、と、マダラは小さく呟いた。それから再び石を拾い上げ、また前と同じように川へ投げる。ぱっぱっと跳ねていく石は、やがて川面を渡り切り、向こうの岸辺で他と紛れて消えてしまった。

[ 62/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -