掃除の手を止めてお喋りしていたり、トランプをしたりしながら暇を潰している仲間達を尻目に、名前はそわそわと落ち着きのない様子で、ただ時間が過ぎるのを待っていた。掃除も、お喋りも、トランプもする気になれない。園長らが出掛けて、もう六時間ほどは経っただろうか。――椎名達は今、丑三ッ時水族館に居る。
 溜息を洩らしながら、重たくなってきた瞼をそっと擦った。それを見咎めた福本は、「眠いなら寝ても良いんスよ」と気遣うように言う。「ちゃんと起こしてあげるっスから」
「ううん。良いの。ありがとう福本ちゃん」
「なら良いんスけど」福本はその長い鉤爪で、かしかしと頭を掻いた。「加西が心配スか」
 名前が笑ってみせると、福本は名前の頭にそっと手を乗せた。彼女の柔らかな羽毛が感じられて、ひどく心地良い。

 半日ほど前だ。休園していた逢魔ヶ刻動物園に、来園者が現れた。もっとも人間ではなく、名前達と同じく異形の姿をしたシャチだった。丑三ッ時水族館の館長代理を名乗ったそのシャチは、丑三ッ時にも椎名と同じ境遇の者が居ることを明らかにした。そして、動物園の乗っ取りが目的で此処へ来たのだと告げた。
 呪いを解くには人気が必要だ。その為に、丑三ッ時は逢魔ヶ刻を合併させたがった。より大きな行楽施設を作り、人気を集めようという魂胆だ。
 当然、逢魔ヶ刻はそれを拒否した。椎名達のおかげでシャチは帰っていったが、その際人質としてイガラシを連れ去った。今、椎名を始めとした数人が、イガラシを返して貰うべく丑三ッ時水族館に乗り込んでいる。名前達残りの仲間は留守番だ。

 シャチが逢魔ヶ刻に来た時、名前はその姿を遠目からしか見ていなかった。しかし皆の口振りから、そのシャチが手段を選ばず強引に合併を押していたことから、丑三ッ時水族館が和気藹々とした組織ではないことは明らかだ。いくら呪いを解きたいと言っても、無理やり吸収合併しようというのは許される事じゃない。シャチを始めとした水族館の動物達が、イガラシや椎名達に何か乱暴を働くのではと――そう思うだけで、心配で堪らなくなる。
 椎名は強い。名前達の園長である彼は、園の誰よりも強かった。だから、もし丑三ッ時が強硬手段に出ても、彼ならきっと無事に皆を連れて帰って来てくれるとは思う。しかし心配は心配だ。もし加西に何かあったら、私はどうしたら良いだろう。再び目を擦った名前に、福本は薄く笑った。


 椎名らが逢魔ヶ刻に帰ってきたのは、零時を回り、日の出が近くなってきた頃だった。最初に見付けたのは誰だっただろう。月明かりに照らされたコンテナが、ゆっくりと近付いてきていた。やがて、巨大な音を立てて門のすぐ裏側に軟着陸する。皆で歓声を上げ、椎名達を出迎えた。もちろん、イガラシも一緒だ。良かったなあと、胸を撫で下ろす。
「ボロー!」と、そう叫んだのはポポだったが、彼の言葉は椎名達を的確に表していた。皆、程度の差はあれど、どこかしらは怪我を負っていてボロボロなのだ。中でも顕著なのは、椎名とシシドだろうか。傷が沢山あるのか椎名はその白い毛があちらこちら逆立っているし、シシドなんて妙に人間に近しいものだから、怪我の度合いがはっきり解り見ていて痛々しい。一体何をしてきたのだろう、水族館で。
 彼らと一緒にイガラシを助けに行った加西も勿論、椎名達ほどではないにせよ怪我を負っていた。よほど何度もぶつかったのか――インドサイの視力が悪いのはご存じの通り――鼻先が赤くなっているし、胸部の皮膚には見慣れない傷が沢山ついている。穴が開いているようなその見た目から、何か鋭い物で突かれたのかもしれない。
「加西くん!」
 名前が駆け寄ると、加西はウワバミの方へ向けていた顔を下へ向け、名前を見下ろした。ちょっと意外な物を見るかのように、目をぱちくりと瞬かせている。もう一度「加西くん」と声に出すと、彼の両耳がぴくりと動いた。「あの、その」言いたいことは沢山あったが、上手く言葉にならなかった。加西が不思議そうに名前を見詰める中、結局、言葉少なに言った。
「大丈夫? 怪我、痛くない?」
 加西は合点したように微かに目を伏せ、それからこくこくと頷いた。加西は無口だったが、名前を安心させようとしているのか、その挙動は常と変わりがないように見えた。しかし名前には、彼の怪我が本当に大したことないのか、それとも痩せ我慢をしているのかを判断することはできない。名前がじいと加西を見詰めると、彼は戸惑ったように頬をかき、それからにへらと笑ってみせた。

 それからも暫くの間、名前は彼を見詰め続けていたが、やがて彼に倣って小さく微笑んだ。彼が大丈夫と言うなら、それを信じよう。痛かったらちゃんと言ってねと言えば、彼はこっくりと頷いた。
「あ、向こうでシシドくん達が何かやってるよ。いこ、加西くん」
 そう言って彼の手を引けば、加西は再び頷き、二人で歩き出した。ついでに、シシド達は腕相撲で園最強を決めようとしていたらしい。暫定一位はゴリコンになり、その後ポポになった――と思ったら椎名に決まった。加西も出てみればと笑って腕を叩けば、彼はとんでもないと言いたげに激しく首を振った。

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