自分に声を掛けた男に見覚えがあるかと言われたら、あると言わざるを得なかった。しかし、どこの誰だったかまでは思い出せない。引き籠もりという特性から考えれば、知り合いはそう多くない筈なのだが。黒髪に赤目なんて、よくある設定だ。二次元なら。
 黙り込んでいる名前に痺れを切らしたのか、男が口を開いた。
「32号、此処で何してやがる」


「えー……?」
 名前のことを実験体サンプル32号だと知っているのは、名前を実験体にした張本人と、ついこの間打ち明けたキング、それから名前を連れて進化の家を脱走した同じ実験体しか居ない筈だった。――すると、あれか、これはあいつか。まさかジーナス博士じゃあるまい。博士はこんなちんちくりんじゃなかった。もっとシュッとしてた。
 彼の名前、というか識別番号はなんだったかなと頭を悩ませていると、漸くキングも名前達の方を振り向いた。名前がこの場に居ることに驚き、そして血まみれであることに驚いているようだった。唸り始めるキングエンジンに、タイミングが悪いよと心の中で一人ごちる。もう少し早く気が付いて欲しかった。
「何だっけ、えー、隣の山田くん?」
「66号だ! 適当なことかましてんじゃねえぞ」男は――かつて同じ実験体だったサンプル66号は、躍起になって言い返した。「それに、今はゾンビマンって名前があるんだよ」
 名前は実験体サンプル66号改めゾンビマンをまじまじと見詰め返した。こんなに大きくなって、と、妙な感動を覚えたものの、新しい名前の方が聊か酷いんじゃないかと思わないではいられなかった。ゾンビて。

 名前達の方へ歩み寄ってきたゾンビマンに、スーツの男が怪訝な眼差しを向ける。
「ゾンビマンくん、彼女と知り合いかね?」
「ああ、よーく知ってるぜ。シッチさん、こいつは俺と同じ不死身人間だ」
 何の躊躇いもなく言い切った66号に、ある種の殺意が沸いた。プライバシーの侵害で訴えたい。別に隠すようなことでもないが、この場においては隠しておきたかった。協会の男――シッチの目の色が変わったような気がする。「本当かね?」
「でなきゃ、この血の量で生きてる説明ができないだろ」
 ゾンビマンは名前の顔を指差し、薄く笑った。
 二人は人の不死身具合について、勝手に盛り上がり始めた。名前を置き去りにしたまま。ゾンビマンが「大体俺と同等」とか、「回復スピードはこいつのがちょっと上」とか言うものだから、シッチさんの食い付き具合が半端ない。このまま帰ってしまいたかったのだが、時折ゾンビマンが鋭い視線を投げてくるおかげで、逃げられる気が少しもしなかった。
 どうするのが最善策だろうかと、足りない頭をフル回転させていると、唐突に肩を掴まれた。びくりと体が揺れる。振り返ってみると、侍師弟の師匠の方が笑みを浮かべて立っていた。「ようお姉ちゃん、探したぜ」
「まだ、ちゃんと礼を言ってなかったからよ」
 にっこりと笑ってみせる男につられ、名前も引き攣った笑みを浮かべた。心なしか、肩に置かれた手に力が入った気がする。


 シッチは期待と興味が入り混じった目で見てくるし、ゾンビマンは親の仇でも見るかのような禍々しい目を向けてくる。侍のヒーローは明らかに作った笑い顔を名前に向けている。逃げ出したい、今すぐに。
 そんな名前の心情を解っているだろうに、キングは助け舟の一隻も出してくれなかった。むしろ、助けて欲しいと思いながら彼を見遣れば、あからさまに目を逸らされた。お前後で覚えてろよ。どうせ外が滅茶苦茶になってるから逃げられなかっただけの癖に。
 あの場に座っている何人かは、恐らく皆S級ヒーローなのだろう。心なしか興味深そうに此方を眺めている犬の着ぐるみを着た男も、先程からずっと食べ続けている巨漢も。この非常事態に、協会の人間がこんな所で油を売っている筈がない。頑なに目を背けている親友含め、ヒーローってやっぱり色々と変わってるのだなと、そう思わないではいられなかった。
「32号くん」そんな名前を現実へ引き戻したのは、ごく真面目な顔をしたシッチだった。「我々ヒーロー協会は是非、君にヒーローになって貰いたいと考えている」

 こういう落ちになると思っていた。協会の人手不足は聞いていたし、そんな中「不死身の人間」が現れれば――しかも怪人に立ち向かう度胸があると解っている――勧誘するのは当然の話だろう。常識的に考えて。
 正直なところ、もうどうにでもなれという心境だった。キングは未だ目を合わせてくれないし。期待に膨らむシッチを前に、「私の名前、32号じゃなくて名前です」としか言えなかった。

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