被害者は加害者の腕の中で安らぐ

 サイタマは、自分には名前を助ける義務があると思っていた。
 隕石の落下で家を失い、職を失い、家族を失った名前に、手を貸して然るべきだと思っていた。彼女の家を壊したのも、職を失くさせたのも、家族を殺したのも――全てサイタマだった。
 勿論、サイタマのせいで家や職や家族を失ったのは名前だけではない。しかしサイタマは彼ら全員を助けてやろうとは思わない。物理的に不可能だからではなかった。名前のあの顔――自身の喪失を何でもないことのように語った時のあの顔が、サイタマの心を圧し潰したのだった。

 海珍族とか何とかを倒した後、サイタマはゆっくりZ市まで帰ってきた。背面が溶けてしまっていたジェノスは、修理の為にそのまま置いてきた。まあ、ぎりぎり歩けていたから大丈夫だろう。降っていた雨はすっかり上がっている。しかしマンションに辿り着いた時もヒーロー服はまだ生乾きで、いやに気持ちが悪かった。
 サイタマがあの避難用シェルターに辿り着いたのは、怪人が現れてから暫く経った後だった。しかしジェノスの口振りでは大きな被害はなかったようだし――ヒーローが何人か怪我をしていたが、それでも死傷者は出なかったのだから良い筈だ――無事に倒せて良かったと思う。もちろんサイタマとしては物足りないのだが、それでもだ。

 一人階段を昇り、自分の住む階の廊下へ出た時、サイタマはふと自分の部屋の前に誰かが居ることに気が付いた。目を凝らして見てみると、それは名前だった。
 サイタマが彼女の存在に気付いたとほぼ同時に、名前もサイタマの存在を捉えたらしい。駆け寄ってきた彼女にぎょっとする。上から下まで何やら濡れていて、それもひどく深刻そうな顔をしているものだから、彼女の身に何か起こったのかと思ったほどだった。「サイタマ君!」
 ぐいっと服を掴まれる。
「お、おお。どうした、そんなに急いで」
「どうしたって、も」名前はハーと大きく息を吐き出した。「ほんと、サイタマ君が無事で、も、良かった」
「……え?」
 サイタマの小さな呟きは、彼女に拾われることはなかった。彼女はそのまま、二度三度と「良かった」を繰り返す。サイタマは彼女の頭を見詰めながら、中途半端に空いた手をどうするべきか考えていた。

 暫くすると、名前も落ち着いたらしかった。サイタマに半ば抱き着いているような体勢だったことにも気が付いていなかったようで、何事もなかったように「とにかくサイタマ君が無事で良かったよ」と口にした。
「サイタマ君、こんな日に外出ちゃうんだもん」
「こんな日って……今日何かあったっけ?」
 名前はきゅっと眉根を寄せる。
「テレビでやってたよ、海人族っていう怪人が沢山居たんだって。ヒーローも何人かやられたって報道してて……」
 漸くサイタマも納得した。つまり彼女は、自分のことを心配してくれていたらしい。彼女の言葉からして解りそうなものだが、サイタマにはそれが自分に向けられているとは、いまいち繋がらなかったのだ。強さを身に付けたサイタマにとって、自分の身の安全を心配されるのは久しぶりの体験だった。サイタマの実力を知っている者はまず心配などしてくれない。いや、するにはするかもしれないが、その根底に「こいつなら大丈夫だろう」という前提がある。
「でも、全然大丈夫だったぜ。一匹しか居なかったし……」
 他のヒーローが弱らせてくれていたし、と小さく付け加える。しかし名前は聞いていなかった。
「J市に行ってたの!?」
 呆れたようにそう口にした名前に、思わず笑みが零れた。


 何でそんなに濡れてるんだと尋ねれば、名前はちらっと目を逸らした。水が滴り落ちるほどではないが、確かに彼女の服は湿っていた。髪の毛も水を含んでいるようだったし――サイタマと同じように半乾き、というところだろうか。
「もしかして探してくれてたのか」
 名前は何も言わなかった。しかしその耳先がほんのりと赤くなっていて、どうやら正解らしいと解る。サイタマは小さく頬を掻いた。「まあ、何だ……ありがとな」

 立ち話もなんだし上がってけよと促すと、名前は少し間を空けてから頷いた。
「なあ名前、俺――役に立ってるかな」
 お前の役に、立ってるかな。
 直接尋ねる勇気はなかった。鍵を探す振りをしながら、彼女に背を向けたままそう口にする。
 実際、あの隕石を壊したのが誰なのか、名前は知っているような気がした。彼女からはっきり言われたわけではないし、確信があるわけでもない。ただ何となく、そう思った。彼女は知っていて、知らない振りをしているんじゃないかと。
「何言ってるのサイタマ君」彼女がどんな表情をしているのか、サイタマには解らなかった。ただ、彼女の声色が不思議がっているような気がした。「当たり前じゃない」
「サイタマ君はヒーローなんだから」
「……おー、ありがとな」
 彼女が自分のことを恨んでいたとしても、憎んでいたとしても、彼女に必要とされるなら。それだけで生きていられる、そんな気がした。

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