偶然と策略は裏表

 名前と共に住んでいるマンションへ帰ってきた時、先に戻っていたジェノスは不思議そうに目を見開いたが、特に突っ込まなかった。もっとも同じ部屋に住むわけではないのだし、仮に何を言われたとしても、彼なら簡単に言いくるめることができるだろうとは思う。

 最初に話を持ち掛けた時、名前はそれほど乗り気ではなかった。何せ、住居不法侵入だ。それにこの辺りは怪人の出現率がやたらと高いことは周知の事実だった。サイタマの提案に乗るなら、サイタマが勝手に住んでいる以上、彼女もそうしなければならないだろう。まあ、ゴーストタウンになっている今現在、居住許可を申請したところで跳ね除けられるかもしれないが。
 諸々の事情で、あまり良い顔はしなかった。しかし避難所での生活にも疲弊していたのだろう、名前はやがて頷いたのだった。
「基本的にどの部屋も電気とガスは通ってると思うけど……どうする? どっか他に綺麗そうなとこ探すか。
つってもそう変わらなかったと思うけど……それとも俺の部屋の隣にしとくか?」
「あー……それじゃあ隣でもいいかな?」
 名前がそう言って眉を下げたので、サイタマも微かに笑って「おう」と言った。「名前、俺に何でも言ってくれて良いからな」


 サイタマが住み着いているマンションのその隣室に、名前も住み始めた。どうやら日中は職探しに専念しているようで、物音一つしない。しかし夕方になれば足音が聞こえ、彼女の存在を感じることができた。不規則な時間帯に彼女が行動していることから察するに、まだ就職には至っていないらしい。最初の内は業者でも来ていたのかドタバタと足音がすることがあったが、今ではそれもなくなっている。
 暗闇の中天井を見詰めながら、サイタマは名前のことを考えていた。耳に届くのは、等間隔で聞こえてくるジェノスの排気音だけだ――最初はサイボーグでも寝るのかと驚愕したが、彼に言わせれば、どうも脳は生身であるため、定期的な休息は必要らしい。
 名前は知り得ないことだが、サイタマは彼女に対し並々ならぬ後ろめたさを感じていた。自分が間違ったことをしたとは思っていないが、彼女がこうなる原因を作ったのは明らかにサイタマだ。
 できる限り、彼女の手助けをしてやりたい――サイタマはそう考えている。
 もっとも、できれば例の隕石を破壊したのが自分だとは知られたくなかった。いや、もしかすると名前は知っているのかもしれないが……。彼女が知らない以上、それを貫き通したかった。サイタマは彼女に責められたところで傷付かない自信がある。彼女の言うことに正当性があり、サイタマ自身もそれを認めているからだ。しかし、どうせなら知られたくない。

 サイタマがうとうとと微睡み始めた時、すぐ隣の部屋から甲高い声が聞こえてきた。マンションの壁によりくぐもって聞こえるが、これは間違いなく悲鳴だ。――名前に、何かあったのだろうか?
 そう考えた瞬間、サイタマの右手は握り拳を作っていた。「名前!」


 パァンと軽い音がして、サイタマ達の部屋を隔てていた壁が崩壊した。ばらばらと破片が落ちていき、もうもうと埃が舞う。壁の無くなった先では、唖然とした表情で此方を見ている名前が立っていた。その顔には恐怖の色は無く――。
「……サ、サイタマ、君?」
 しいて言うなら、名前の髪が濡れていることがいつもと違う点だろうか。

「えー、と……名前、さっき悲鳴あげなかったか?」
 小さく頭を掻きながら尋ねる。名前は暫く呆気に取られていたが、やがて恐る恐るといった風に小さく言った。
「あのね、ちょっと虫が出ただけで、その……」
「……まじか」
 二人で暫く見詰め合う。足元には壁の残骸が落ちており、穴の向こう側には名前の部屋の内装が見えた。同じような間取りをしている筈だが、要所要所に彼女らしさが窺えた。やがてサイタマと名前はどちらともなく笑い出した。虫が苦手だという彼女に代わり、サイタマが退治してやった。
「ありがとね、サイタマ君」
 彼女はそう言ってくすくすと笑った。
 壁を壊したことについて名前は責めなかった。私の為にしてくれたんだよね――そう言って笑うだけだ。箪笥やら何やら有り合せのもので敷居を作り、ひとまず名前とは別れた。明日はもう少しマシな壁を作らないと。悶々と考えていると、再び名前が笑った。「サイタマ君は頼りになるね」

 諸々の騒動で目を覚ましたらしいジェノスの視線を感じながら、サイタマは壁の方を向いた。名前の部屋から漏れる明かりは、それから数分して消えていった。どうやらサイタマ達に気を遣ってくれたらしい。この日は名前の気配がより近くに感じられた。

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