少年よ、大志を抱け

 駒場は高校球児で、甲子園に行ってプロの野球選手になることを夢見ている。
 前者については学期の初日、自己紹介の時に言っていたが、彼が本気でプロを目指しているとは知らなかった。「御影ちゃんにアキを甲子園に連れてってって言われてたりしないの」と尋ねれば、「俺、双子じゃねえからな」と半ば呆れたように言われた。ついでに、年の離れた妹達が双子だそうだ。初めて知った。
「それによ、甲子園は目標だけど、ゴールじゃねーべ。死んだら農場継げねぇし」
「え、野球選手になるんじゃないの?」
「プロになって、牧場も継ぐ」
 はっきり言い切った駒場に、名前は一瞬ぽかんとした。「はー……」
「駒場は偉いねえ」
「そうか? 名字も牧場継ぐのが夢って言ってたべや。何も変わらねえだろ」
「変わるよ。私は一人っ子で跡継ぎだし、私の代で牧場終わらせたくないもん」
「ほれみろ。一緒じゃねえか」駒場は心底不思議そうに、そして当たり前のように言った。「お前が一人っ子で、俺は妹が居るってだけだろ」
 そうかなあと、名前は小さく口にする。
 ――一緒。一緒だろうか。
「駒場は欲張りだねえ」
「そういや、八軒にも似たようなこと言われたな。んなの、お前らが無欲なだけだべ」
 ふん、と、鼻を鳴らしながら言う。

「怖くないの?」
「あ? 何がだ」
 名前はシャーペンをくるくる回しながら尋ねる。さっさと球場へ行きたがっているくせに、駒場の学級日誌は先程から一行も進んでいなかった。日誌を書くための脳味噌さえ筋肉になっているのだろうか。有り得そうで怖い。「甲子園に行っても、絶対にプロになれるわけじゃないっしょ? リスク高過ぎだよ。なれなかったらどうしようとか、そういうの、怖くないの?」
 顔を上げた駒場は、眉間にぐっと皺を寄せていた。
「お前、結構ぐいぐい聞くのな」
「ごめんね。でも、私だったらプロになるなんて……うん、少なくとも口には出せないなって」
 駒場は暫く名前を見詰めていたが、やがてふいと目を逸らした。彼の視線は校庭の方へ向いている。そろそろどの部活も活動を始める頃だ。名前達もさっさと日直の仕事を終わらせ、各々の活動場所へ向かわなければ。あとは駒場が日誌を書き終えるのを待つだけだ。


 名前は彼の家の事情など、何も知らない。年の離れた妹が二人居るというのも、つい先ほど知ったばかりだ。もちろん、彼の方も同じように名前の家庭についてなど知らないだろう。二人は特別仲が良いわけではなかった。単なるクラスメイトに過ぎない。
「名字はよ、賢いんだろ」

「甲子園行ったらプロになれる保証なんてどこにもねぇし、プロになれたからって成功するとも限んねぇ。お前の言う通りかもな。リスクたけーよ」
 駒場の浮かべた笑みを見て、名前も初めて罪悪感を抱いた。
 名前は野球のことは知らない。しかし、駒場が抱いている野球への直向きな思いは知っているつもりだし、彼がプロになれないと思っているわけでもないのだ。もしかすると、彼にはプロにならなければならない理由があるのかもしれなかった。「けど、それが俺の夢だから」


 どうしようもねーべ、と、再び駒場は笑った。
 漸く日誌へ書くコメントが思い浮かんだのか、彼は弄んでいたシャーペンを握り直した。しかし一字、二字書いた辺りで駒場の動きは止まった。
「名字よ、それ俺に聞いて、何したかったんだ?」
 不思議そうに駒場は尋ねる。頭上に疑問符が浮かんでいるようだ。首でも傾げてみせたら、きっと完璧だったろう。

 駒場は名前に、夢を叶えようとしている自分と名前は同じだと言った。しかし、名前はそうは思わない。彼が言ってみせたように、自分のことを賢いとも思わない。名前は単に臆病なだけだ。リスクだなんだと並べ立てておいて、夢が叶わなかった時のことを考えると足が竦む、ただそれだけだ。名前にだって、夢くらいある。牧場を継ぐのとは別に――やりたいことくらい。
「……つまり、」
「つまり?」
 口籠った名前の言葉を次いで、駒場も同じ言葉を紡いだ。

 何も解っていなさそうな彼の顔に、無性に腹が立った。
 名前は羨ましかった。何の陰りもなく、自分の夢を口にできる駒場のことが。それを言うなら他の同級生達もそうだが、駒場ほどはっきり言い切ってみせる人は居なかった。彼の事を羨ましいと同時に、格好良いと思った。――心底思う。彼がプロ野球選手になれば良いのに。
 名前がどれだけ駒場のことを想っているか、彼は少しも知らないに違いない。
「――つまり、お前が好きだってことだ! バーカ!」
 駒場が虚を衝かれたような顔をしていた気がするが、名前は頓着しなかった。筆記用具を片付け、ボストンバッグの中に仕舞い込む。名前が自分を立ち去ろうとしているのを悟ったのか、一拍置いて「おい、名字」と戸惑ったような声がしたが、名前はそれも無視した。自分の顔が真っ赤になっているのが解る。
「ちゃんと日誌提出しといてよね、馬鹿駒場!」
 勢いよく立ち上がった名前は、駒場の制止も無視して走り去った。教室には一人、中途半端に腰を浮かせた駒場が残る。彼はやがて元のように椅子に座り、「馬鹿馬鹿言い過ぎだべ」と小さく呟いた。顔全体が紅色に染まっていた名前ほどではないが、駒場の頬も仄かに色付いていた。

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