口は災いの元

「なー、デビ、動物園の蛇さん口説いてたってほんとか?」
 デッキブラシ片手に尋ねれば、デビルフィッシュは煩わしげに目を細めて名前を見遣った。

 件の動物園集団に、名前は会っていない。気付けば館長の態度が軟化していた。そして気付けば二、三ヶ月ほど経過していた。一体どういう事だ。なんでも一度館長を追い出して、それからまた呼び寄せたとか。館長不在の間は無論、魚を変身させることはできない。水族館は休館し、業務は幹部とその他少数の魚達によって行われていたらしい。ただの掃除係だった名前は、この数ヶ月ただのウミヘビだったわけだ。サカマタが魔力のブレとやらを探しに行ったのが、つい昨日のように感じられる。しかし何だ、通常業務は楽になったが、何か物足りないのは気のせいだろうか。
 魔力のブレの大元、そして館長を追い出す原因となったのは、逢魔ヶ刻動物園という、隣の市にある動物園だったそうだ。水族館の人気に貪欲な館長だ、まあ何かよからぬことを企んだのだろう。そして返り討ちにあった、と。
 もっとも、名前は館長がどうなろうと動物園がどうだろうとあまり興味はない。皆不平不満を漏らしているが、名前自身は此処での生活は嫌いではなかった。それは決して名前が仕事中毒だからではなく、単に比較した結果に過ぎない。ちゃんと働いてさえいれば、食事は出るし、外敵に怯えて暮らさなくても良いのだ。パラダイスじゃないか。ただその仕事量が半端ないだけで。

 名前が興味を抱いているのは、動物園に居る女の蛇さんの事だ。
 名前は丑三ッ時水族館の唯一のウミヘビだった。多分、個体数を増やそうとするとコストとか諸々が掛かるんだろう。名前は同族に――つまり蛇に――久しく会っていなかった。亀は居るが、ウミヘビどころか蛇すら此処には居ない。まあつまり、水族館において爬虫類の肩身は狭いのだ。
 たまには蛇同士、蛇にしか解らない蛇トークがしたかった。そりゃ動物園に居る蛇さんは陸生の蛇だろうが、蛇は蛇だ。何かしら通じるものはあるに違いない。名前が名も知らぬ蛇さんに興味を抱くのは、自然の摂理だった。
 そしてその蛇さんを、デビが口説いていたらしい。

 デビルフィッシュは、その名の通り――タコのことを人間の別の言葉でデビルフィッシュと言うらしい。種類によって言葉を変えるなんて、人間は面倒臭いことをする――タコだ。何故タコのデビが、別の種族の蛇さんを口説くのか。
 名前は彼の無言を肯定と捉えた。
「デビ、お前にょろにょろ好きだなー」

 デビは『にょろにょろ』した女が好きだった。
 彼の好みは単純明快だ。にょろにょろした女、それだけで良い。多分、自分がにょろにょろしているものだから、同じようににょろにょろしている者に惹かれるのだろう。同族のタコは勿論、イカやウナギ等々。気持ちは解らなくもない。この様子だと、蛇も彼の好みの範疇だったようだ。
 デビルフィッシュは好みがはっきりしているのと同時に、手も早かった。多分手が六本もあるものだから、その数だけちょっかいを出さずにはいられないのだろうか。まあそれは冗談としても、彼が好色であるのは明確だし、それを隠そうともしていないのも紛う事なき事実だった。そのおかげでデビはタコやらイカやらの雌の間では嫌われている。

 名前がニヨニヨと笑っていると、デビルフィッシュは不愉快そうに鼻を鳴らした。「ささ、さっさと掃除ししろ」
 彼の方はといえば、ショー用の木箱に腰掛けているだけで、自分はブレイクタイムと洒落込んでいる。幹部様は気楽なものだ。もちろん彼にはそれだけの実力があるのだが。
「蛇なんか口説いたってどうにもならないだろうに。そもそも子孫残せないじゃん。此処には雌のタコも居るんだしさ、そっち口説けば良いじゃん」
「タコの雌はな」デビが薄ら笑いを浮かべた。「交尾した後、お雄の性器く食いちぎるんんだよ」
 名前の笑いが引っ込んだ。気まずい。

 どんよりとした空気に押されて、名前は掃除を再開させた。しかし、彼がエロいのはそういう事情があったのか。そう言われれば、納得できる、ような? 多分それは名前も雄だからだろう。雄からしてみれば、自分の子孫を残す相手は多ければ多い方が良いわけだし。「まー……」名前は床を磨きながら言葉を紡いだ。「蛇までにょろにょろに入るとは思わなかったなー」
「するとあれか、俺も雌だったら危なかったのか」
 ハハハなんつって――名前の動きが止まったのはその直後だった。デッキブラシが急に重くなった。手元を見てみれば、柄の部分にタコ足が巻き付いている。純粋に、驚いた。


 いつの間にかデビが名前のすぐ背後に来ていた。「名前、お前は馬鹿だだな」
「急に吃驚するだろうが! それに馬鹿じゃねえよ!」
「馬鹿だろ」デビルフィッシュは笑みを浮かべていて、視界では彼のタコ足が蠢いている。「俺がいいつ、お前のことタ、タイプじゃないってい言った?」
「……は?」
 間抜けな音が出た。「いや、俺、男、なんだけど」
 名前の体がびくりと跳ねる。太腿の辺りに彼の足の一本が巻き付いていたからだ。手にしていたデッキブラシはいつの間にかデビががっちり掴んでいて、びくともしない。
思わずよろめきそうになるが、彼のおかげで転倒には至らなかった。どんなに細く頼りなさげに見えても、タコの足はほぼ筋肉でできているわけで、そう簡単に振り解けるものではない。するすると、タコ足が巻き付いていく。
 デビは無言だった。何を言いたいかは解るだろう、とでも言いたげに。彼の笑みが深まるのと平行して、名前の顔から血の気が引いて行った。いや、うん、マジで?

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