名前が家に帰ってきた時、無免ライダーはまだ家に帰っていなかった。まあ、そんなところだろうと思っていた。まだ夕方だ。この時間帯に彼が家に居ることはない。パトロールをしているからだ。まだ自転車には乗れない筈だが、正義活動が絶対に出来ないわけではない。帰ってきたら一言言ってやるべきかもしれない。きっと聞かないだろうが、それでもだ。
 簡単な夕食を用意している頃、無免ライダーは帰ってきた。コンロの火を止め、名前は玄関へ向かう。しかしそれよりも早く無免ライダーの方が名前の方へ駆け寄ってきた。
「名前さん! ヒーロー試験はどうだった?」
 肩をぐっと掴まれ、尋ねられる。危うく転倒するところだった。
「ご飯もお風呂も大体できているから、どれでも好きにして。あと、ええ、合格したわよ」
「ほんとかい! 良かったなあ。いや、結構心配してたんだ。無責任に勧めてしまって……でも合格したなら良かった。これでこれからは名前さんと一緒にヒーロー活動ができるね。あ、そうだ、何級になったんだい? もしかすると、名前さん結構力もあるし……B級になったりした?」
「S級になったわ」
「えっ」
 無免ライダーは一瞬ぎょっとした後、口を大きく開けて笑い始めた。

「名前さんは、本当は凄く強い人だったんだな!」
 二人で台所に立つ。名前がぎこちない手付きで茄子を炒めている間に、無免ライダーは左手だけで楽々と味噌を溶かしていった。それから彼は、再び「凄いな」と言って嬉しそうに笑う。
「……あー……ええ、まあ……」
「俺はてっきり、名前さんはあんまり強くない怪人なのかと思っていたよ。ほら、初めて会った時、俺に土下座してたし……」
 あれは黒歴史なんだから、触れないで欲しいわ。と、名前は言いたかった。実際喉の辺りまでは昇ってきていた。しかし無免ライダーがあんまり嬉しそうに笑うので、結局言葉にならなかった。愛想笑いを浮かべるだけに留める。
 名前の微笑みを何と勘違いしたのか、無免ライダーは付け足した。
「本当に凄いことなんだよ。S級ヒーローっていうのは、ヒーローの中でもずば抜けて優れているということだからね。A級のトップを目指すヒーローは居ても、S級ヒーローを目指す人は居ないと言われてるくらいなんだよ。つまり、レベルが違うんだ。俺達A級以下のヒーローと、S級ヒーローとは。――俺も、君がS級になってくれて嬉しいよ」
 裏表の一切無い表情で、彼はにこにこと笑う。


 ヒーロー試験の会場であの禿げた男、サイタマに「凄いなー」と言われた時は、特に何も思わなかった。もっとも、彼が天井を突き抜けたり、物凄い重さのダンベルを持ち上げているのを見ていたからかもしれない。
 しかしどうだろう。
 名前は赤く染まった顔を背けながら、一心に茄子とピーマンを炒めた。名前が今どんな顔をしているのかは、正面に回り込まなければ見えないだろう。おかげでレトルトパウチの素を加えるタイミングを見誤ってしまった。いやに焦げ臭い匂いのする麻婆茄子となった。

 恐らく、無免ライダーが自分のことのように嬉しがるので、それが移ったのだろう。
名前は別に、どうしてもヒーローになりたいわけではなかったし、ランクなんて更にどうでも良かった。それなのに無免ライダーがあんまり喜ぶものだから、段々とこれが目標だったかのように思えてきたのに違いない。
 それ以外に理由は無い。――筈だ。

 ともかくも、確かに心底ヒーローになりたがっていたわけではなかったが、無免ライダーが笑うのを見れただけで、なって良かったと思ってしまった。彼が名前のことをどういう風に見ているのかは未だに解らないが、名前の方は彼のことを家族のように思っていた。家族の事をよく知りたいと思うのは当然だし、家族が喜んでいれば自分も嬉しい。
 水分が飛んで辛みが増した麻婆茄子をおかずに食べながら、無免ライダーは機嫌よく色々なことを名前に話した。もっともこの日の彼は、自分から話をするより、名前を促すことの方が多かったが。香辛料の味が目立つ麻婆は、あまり美味しいとは言えなかった。

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