ぎちりぎちり

 目を覚ました時、辺りは薄暗かった。しかし窓から差し込んでいる街の明りや、月の光なんかで、ぼんやりとだが段々輪郭が見えてくる。見覚えのない天井は白く清潔に保たれていて、嗅ぎ慣れない、消毒薬の匂いがした。
「――生体反応感知」
 急に降ってきた誰かの声に、名前はびくりと身を震わせた。よくよく目を凝らしてみれば、誰かが名前の寝るベッド脇に座っている。きちんと伸ばされた背筋は真っ直ぐで美しく、その男がジェノスであると気付くのに暫く時間が掛かった。名前と同じ、ヒーローをしているサイボーグの青年。名前の後輩だ。もっとも、ヒーローランクは彼の方が上だが。
 私はどうやらまた死に損ねたらしい。ほっとする。

 現れた怪人を駆除するのが名前達ヒーローの仕事だった。そこには女だろうが未成年だろうが何の区別もない。名前は怪人を倒すべく戦っていたのだが、そこで思わぬ反撃を受けたのを覚えている。どうやら気絶してしまったらしかった。此処は恐らく病院だろう。部屋の中が非常灯しかついていないことから、だいぶ遅い時間だと解る。名前が市内で戦っていたのはまだ昼間の内だったから、少なくとも半日は寝ていたことになるのか。起き上がろうとして、両腕が吊られていることに気付いた。どうやら随分器用に骨折したらしい。
「ええと……ジェノスくん、だよね?」
「……はい」
 ちかりと、何かが光った気がした。
「ずっと此処に居てくれた……のかな、ありがとうね」
 名前がそう言うと、俯き気味だったジェノスは漸く顔を上げ、名前の方を見た。月光に照らされたその顔は、名前の目にいやに蒼白く映った。気分が悪そうに見えた。身体の殆どがサイボーグだというジェノスの、顔色が変わる筈はないのだが。「――俺は」
「あなたを助けられませんでした」ジェノスが言った。「もう少し、早く到着していれば」
「でも、ジェノスくんが来てくれたから、私は生きているんでしょう? だって、でなければ死んでいる筈だもの。それより、他の人達は? あの場に居た一般の人達はどうなったの?」
 ジェノスは少しの間を置き、「皆無事です」と言った。怪我人は何人か出たが、死亡者は居なかったと。それを聞いて、漸く名前は心から安堵した。皆逃げ切れたのなら良かった。いや、ジェノスが助けてくれたのか。気を失う前、確かに彼らしき人影を見たような気がする。
「そっか」
 名前は呟いた。

 きちりと音が聞こえた。
 病室らしきこの場所は、極端に音が少なかった。防音設備が整っていることもあるだろうが、物音を立てる人間がそもそも少ないのだろう。そんな静寂の中、ジェノスの挙動は、ほんの僅かなものでも手に取るように解る。
 ジェノスはぐっと拳を握っているようだった。ぎちぎちと金属が軋む音がするのは、その手が震えているからだろうか。名前は横目でジェノスを眺めていた。やはり、彼の顔色は一際蒼く見える。ジェノスが口を開いた。「名前さんが、生きていてくれて、良かった」
 いつもと変わらない声音の筈なのに、震えているように聞こえたのは気のせいだろうか。声帯も作り物だと、彼が以前言っていた。自分の発している声は、あらかじめ作られた音を紡いでいるだけなのだと。

 自分がもっと早くに到着していれば名前が怪我をすることはなかった筈だと、そう罪悪感に震えている彼はひどく美しく、愛おしかった。


 泣いているように見えた。しかし、サイボーグは涙を流さない。ふと、ジェノスが不思議そうに此方を見ていることに気が付いた。どうやら口に出してしまったらしい。
 俺は、とジェノスが小さく呟いた。
「まだ、人間なんです。貴方を想って涙が出なくても俺は人間、なんです」でも、貴方は泣いているように見えるわ。彼に手を伸ばそうとしても、名前の両腕はぴくりとも動かなかった。半ば開かれた名前の口が音を紡ぐ前に、ジェノスが小さな声で、呟くように言った。「貴方を守れない、貴方の為に涙が流せない――こんな事なら、俺は」

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