清く正しく美しく

 学生の義務は勉強だと言って憚らない石丸は、超高校級の風紀委員だ。そして同時に、名前の交際相手でもあった。驚くなかれ、告白したのは石丸だ。
 不純異性交遊に我らが委員長殿が率先して乗り出すとは、名前も思っていなかった。オーケーしたのは無論、名前の方も少なからず彼のことを想っているからなのだが、その辺りの話は今は置いておく。とにかく石丸は名前の彼氏で、希望ヶ峰学園の中で最も親しい異性だった。
 不本意な共同生活を続けている名前達には、それぞれ個室が与えられている。鍵の掛かるその部屋は、防音完備、ピッキング対策も万全の、密室殺人に持って来いのシチュエーションだった。モノクマこの野郎。
 名前は今、石丸の部屋で二人きりで勉強に取り組んでいる。
 別に、何も石丸が自分を殺したらどうしよう、などと危惧しているわけではない。いや、ほんの1、2パーセントほどは思っているが、大した問題ではない。名前が今一番気を付けているのは、石丸の言動だった。

 二人が向き合っているのは、図書室から借り出してきた日本史年表だった。この学園の図書室の蔵書は、お世辞にも豊富とは言えないし、そもそも教科書の類すら置いていなかったが、それでも勉強中毒の石丸にとってあの部屋は唯一の依代となっている。別に、教科書でなくても勉強はできるのだ。
 名前は今、石丸先生に日本史をご教授賜っている。勉学に励むのはもちろん良い事だし、名前もそう思っているが、それを人に強いるのが彼の玉に瑕なところじゃなかろうか。もちろん、だからこそ超高校級の風紀委員なのだろうとは解っている。石丸の言うことは大概正しいような気がするので大人しく従っているが、それが惚れた弱味というやつなのか、それとも一般的に見ても彼の言う事が正しいのか、判断できないくらいには名前は参っていた。勉強なんてくそ食らえだ。帰りたい、自分の部屋に帰りたい。もっと正しく言えば、鍵なんて掛からなくて良いから実家の自室に帰りたい。
 石丸が自分の勉強に名前を付き合わせるのは、名前にも学生としての義務を果たして欲しいと考えているからだろう。人に教えるのは自分にも勉強になるから、とも言っていた。有名進学校でトップの成績を取っていた石丸は、なるほど確かに頭がよく、人に教えるのも上手かった。
いや、相手が名前だからこそかもしれないが、少なくとも名前は彼の教え方には満足だった。解りやすいし、勉強とはいえ彼の生き生きとした表情を見るのは楽しかった。
 ただ――。
「ねえ石丸くん、ちょっと近くない?」

 ――石丸が、やたら距離を詰めてくる。
 最初は気のせいだと思っていた。隣に座る石丸は、殆ど肩と肩が触れ合うような位置に居た。ややもすれば体の側面全体が引っ付いてしまう。彼の体が触れる度に、名前はそれとなく反対側にずれていたのだが、すぐにまた触れるようになる。どうも、石丸は意図的に名前ににじり寄っているらしい。今や名前は机の端に座っていて、これ以上外へ出ることができない。
 石丸はその赤い眼でちらりと名前を見遣った。
「何を言うのかね! 隣に居なければ、しっかりと教えられないではないか!」
「いや、それはそうだけどさ、近過ぎじゃない?」
 じいと名前の顔を見詰めている石丸は、普段と変わりない、真面目が過ぎる石丸だった。しかし、だからこそ名前は不安だったのだ。やがて石丸はニコッと表情を崩す。
「ハッハッハ、名字くん、君の言い方だと、僕がわざと君に近付いているみたいじゃないか」
「そうじゃないの?」
 石丸の顔から笑みが引っ込んだ。


 真顔になった石丸は、確かにいつもと同じ石丸だった。それでも名前が落ち着かないのは、「石丸はそういう事に興味が無い」と、勝手に思い込んでいるからなのだろう。交際までなら、まだ納得できた。古き良き、清らかな男女交際。せいぜい手を繋ぐまでが許される範囲だろう。しかしそれ以上となると、話は変わってくる。
「――名字くん」たっぷりの間を置いて、石丸が言った。「僕が君に触れたいと、そう思ってはいけないのかね?」
「いけないって言うか……そういうの、石丸くんが嫌がるんじゃないかって思ってたんだけど……」
 再び石丸がハッハッハと笑った。
「僕が問いたいのは君がどう思っているかだぞ、名字くん。話を逸らすのはいけないな」そう言ってから、君も嫌がってはいないようだねと付け足す。「僕は君に触れたい。それは健全な男子高生が抱く、至極当然の思いだ。僕だってそれに変わりはないのだ」
 不意に手を伸ばされて、思わず身を引いてしまう。その時になって、石丸が初めて悲しげに眉を下げた。そんな彼の様子に、名前も初めて罪悪感を抱く。
「でも、でも――だって、石丸くん、超高校級の、風紀委員なのに」
「うん?」
「委員長が風紀乱したりしたら、だめ……だと、思う」
 自分でも、何を言っているのか解らなくなっていた。彼の真摯な視線に、口が動かなくなる。やっとのことで、「モノクマも見てるし」と呟くように付け加えた。結局のところ、名前は彼のことが好きだったが、今以上の関係になる勇気がまだない。そしてそれを石丸の側に求めている、それだけの事なのだ。

 石丸は暫く黙って何やら考えているらしかった。それからおもむろに左腕の腕章をもぎ取り、小さく微笑む。「これで、僕はただの石丸清多夏だ。超高校級の風紀委員でも何でもない。こんな僕でも、君に触れてはいけないだろうか?」

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