名前にヒーローになってはどうかと勧めた無免ライダーだったが、その日以降その話題は二人の間に上らなかった。もしかすると、冗談だったのかも。違うだろうと確信してはいたが、名前は少しだけそう思っていた。無免ライダーがどう考えていようと、彼が自分を追い出したがっているからそんな事を言ったわけではないようなので、結構どうでも良かった。名前はヒーローになる気などなかったし、無免ライダーの方も別に無理強いするつもりはないらしかった。
 しかし、名前は結局ヒーローになることを決意する。

 その日も名前はいつもと変わらず、無免ライダーの家の中で暇を持て余していた。もっとも、家主の居ない間に外に出掛けるつもりなどなかったが。テレビを見たり、雑誌を読んだりして時間を潰していたところ、部屋に唯一の電話が鳴った。
 名前は無免ライダーに留守を任されているので、彼宛の電話に出るのは名前の義務だった。この日もいつも通り、名前は受話器を手にした。呼び出し音が止む。無免ライダーに教わった通りの言葉を口にすれば、受話器の向こうから小さな笑い声が聞こえた。よく知る声だった。
「名前さん、悪いんだけど今から言う場所に出てきてくれないかな」無免ライダーのどこか覇気のない声に、名前は眉を寄せた。


 先日外出した時と同じ、無免ライダーの予備のライダースーツに身を包み、顔をすっかり隠して街を歩く名前は好奇の視線に晒されていた。しかし、言われた通りのF市までやってきて、無免ライダーと対峙した時の衝撃とは比べ物にならなかった。朝見た無免ライダーは確かに元気だったのに。三角巾で腕を吊り、頭に包帯を巻いている彼は、名前の目からも大怪我を負っているように見えた。
 名前の視線に気付いた無免ライダーは、見た目ほど悪くはないんだよと力なく笑った。
「わざわざ来てもらってすまなかったね。名前さん、迷わず此処まで来れた?」
「そんな事……どうだって良いじゃない。あんた一体何したの?」
 無免ライダーが説明するには、暴力団を落ち着かせようとして、返り討ちにあったのだという。名前が何とも言えない表情をしているのを知ってか知らずか、「どうやってジャスティス号を持って帰ろうかと思っていたから、名前さんが来てくれて助かったよ」と言った。

 ジャスティス号、つまり無免ライダーの自転車は名前が押し、その少し前を無免ライダーが歩いていた。二人はZ市に住んでいたが、歩いて帰れない距離ではないらしい。公的機関やタクシーを使って帰る方法もあるが、パトロールになるからと無免ライダーは徒歩で帰ることを選択したのだ。しかし、骨折した身で何ができるのか。どうやら彼はその事を失念しているらしい。
 二人で歩いている間、無免ライダーは沢山の人間に話し掛けられていた。彼が「ヒーロー」だから。心配する声や、名前を見て訝しがる声に逐一答えている無免ライダーは、確かにヒーローとして人間達に親しまれているようだった。もっとも、その実力が彼らの期待に伴っているかどうかは別だが。それを口にすれば、無免ライダーはうっすらと苦笑した。
「あんたは何故ヒーローなんてやっているの」
「うん?」
 段々と日が沈み始めていた。街が赤く染まり出し、影法師が背を伸ばし始める。蒸し暑さは変わらなかったが、ゆるやかな風が吹き始めていた。無免ライダーは名前の問いに、素直に答えた。「俺がやりたいからだよ」
「俺は、誰かに手を伸ばしたいんだ。ただそれだけだよ」
「……あっそ」
 名前がそう呟けば、再び無免ライダーは笑った。今度は底抜けに明るい、彼らしい笑顔だった。
「名前さんも、そういう時があるんじゃないかい」

 隣を歩く人間の顔を、名前はまじまじと見詰めた。先程から自転車のペダルが足にがつんがつんと当たって痛かった。もっと上手い扱い方がある筈だ。しかし名前は自転車に乗れないし、この自転車の持ち主である無免ライダーは片手を吊っている。
 腕の骨を折るほどの怪我をしている。
 割に合わないと思った。名前の足に出来ただろう青痣は、好物である竜田揚げを食べさせてもらうだけでは割に合わないと思った。しかし、無免ライダーのそれは名前のそれよりも遥かに割高な筈だ。腕を折り、頭に大きな瘤をこしらえ、下手をすれば死ぬところだった。人間が脆い生き物であることは名前も知っている。
 それでも無免ライダーは、「俺がやりたいから」だと言った。単に俺が人々を助けたいのだと。名前はやがて溜息をついた。
「ねえ、ヒーローってどうやってなるの?」

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