風呂から出てきたロクゴーに、名前はタオルとドライヤーを渡してやった。しかし、ロクゴーはいつまで経っても動こうとしなかった。仕方なく彼の手からドライヤーをもぎ取り、短い黒髪に風を送る。されるがままになっているロクゴー。既に泣き止んではいたが、どうやら自分の痴態を恥じているようだった。

 いきなり泣き出したわけ、そして……漏らした理由を問えば、答えは単純だった。彼は“何をしても良いのか解らなかった”のだ。

 文字が読めなかったのかと問えば、ロクゴーは首を振った。
「朝起きたら名前さんが居なくて、も、しこのまま置いていかれたらって思ったら……名前さんが居ないのは、俺がいらなくなったからで、なら、俺、もっといらなくならないようにって、思って」
「――置いていかれたらって、お前ね」何を言おうか迷ったが、結局名前は当たり障りのない言葉を口にした。「此処、俺の家だからな? 出て行かねえよ、普通に」
 漸くロクゴーは笑った。

 たどたどしい言葉を要約すれば、こうだ。つまりロクゴーは、まず自分が見捨てられる、もしくは見捨てられたのかもしれないと考えた。自分が迷惑を掛けたから、名前が愛想を尽かしたのだろうと。
 机の上に残されたメモも見はしたが、昼食をどうしろとしか書かれておらず、ロクゴーの疑念を払拭するには至らなかった。
 もっと迷惑を掛けないようにするには、どうすれば良いのか考えて、結果的に何もせずただ待っているのが良いと思い至った。何も食べず、トイレにも行かず、ただ黙って待っていれば。悪さをしでかさなかったら、名前は自分をこのまま置いてくれるだろうと、そうロクゴーは思ったのだ。


 余分な迷惑掛けられたがな、とは言わなかった。元はと言えば、彼にちゃんと説明しなかった名前が悪いのだろう。やはり、昼の内に電話なり何なりをしておけば良かったのだ。
 朝から何も食べていないという彼に、朝食になる筈だった白飯と味噌汁を差し出す。勢いよく食べ始めたロクゴーに、人知れず溜息が漏れた。
 猫ではなく、兎だったか。
 兎は寂しいと死んでしまう――のが本当か嘘かは別として、猫だとすればこんな不器用な真似はしない。誰にでも擦り寄って、餌に有り付くだろう。そうして気儘に家を後にするのだ。猫は愛され方を知っている。
 反面、兎はどうだろう。確かに愛玩動物としての人気は高いが、ペットとして飼われる兎はその殆どが親無しでは生きていけない。生後間もなく放り出されれば、呆気なく命を終えるだろう。
 目が赤いのは白い兎、だっただろうか。

 この日、名前とロクゴーの間で約束が交わされた。それは名前がどんなに朝早くに仕事へ行くとしても、ロクゴーを起こして一声声を掛けるという決まりだった。名前はそりゃ、出掛けにやれば良いのだから構わないが、ロクゴーの方は眠りを妨げられるわけで、起こす立場としてあまり良い気はしない。しかしロクゴーがあまりにも頼み込むので、渋々承知したのだ。置いていかれることに嫌な思い出があるのかもしれない、とそう思えば断れなかった。
 行ってきます。いってらっしゃい。――そのやり取りを交わすだけで、ロクゴーはこの上なく幸せそうだった。

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