映画館を出た後のロクゴーは暫く呆けていた。余韻に浸っているのだろうとは察せられるが、黙々と自分の後を付いてくる彼がいやに薄気味悪くて仕方ない。面倒臭くなって手を引いてやれば、名前を見上げたロクゴーは一瞬の間を置いてにこりと笑った。名前も愛想笑いを返したが、この少年に情が移っているどころか、まるで弟ができたかのような気分になっている自分に気付き、少々妙な気持ちになった(流石に息子には思えない)。

 やっぱりどこかへ届け出た方が良いのだろうなあと、頭の片隅で理性が呟いた。名前は腕に目をやった。時刻は午後四時を過ぎたところだ。
「半端な時間だな……」
「はんぱ?」
「あー……具合がよくないってところか」おざなりに答える。「ロクゴー、腹減ってるか?」
 ロクゴーは首を横に振った。そりゃそうかと、当然のように思う。彼がそう答えるのは名前だって解っていた。「そりゃそうだわな」と名前は薄く笑った。答えの解り切った問を発したのは、やはり名前の頭の中に、この少年が痩せ過ぎているから、早く肉を付けてやらなければという思いがあったからだろう。
「じゃ、その辺歩くか。まだお前に必要なもんもあるだろうし……腹が減るまでぶらぶらしようぜ。ロクゴー、何か食いたいもんとかあるか? 今日くらいは何でも食わせてやるぜ」
 困ったように自分を見上げるロクゴーに、名前は店には服や靴を売る店だけでなく、食事を売る店もあるのだと説明した。ロクゴーも納得したらしい。彼が「食べたい物の名称」が解るだろうかと考え至ったのは、ロクゴーが頭を捻っている時だった。暫しの沈黙の後、やがてロクゴーは言った。
「俺、名前さんの作るご飯が食べたい」
 あ?と口に出そうとして、一分前の自分の言葉を思い出し、名前は慌てて口を噤んだ。


 この晩の夕食は、普段のそれよりは聊か豪華だった。名前の食への関心は薄く、白飯だけで済ますことも少なくないのだ。
 名前はまず、冷凍してあった合挽き肉でハンバーグを作り、新たに買ってきた野菜で簡単なサラダを作った。それからロクゴーたっての希望で、卵も炒めてやった。彼は名前が調理している様子をずっと眺めていて、彼に料理を仕込むのも良いかもしれないとぼんやり思う。もちろん、名前に彼を構う時間など無いかもしれないが、作れないこともない、かもしれない。
 ついでに、わざわざハンバーグを作ったのは子供なら喜ぶんじゃないかと思っただけで、他意は無かった。ロクゴーはやはり挽肉を捏ねて焼いた料理の名も知らなかったが、美味しい美味しいと食べてくれた。見目は悪かったのだが、こうまで喜ばれれば悪い気はしない。
 風呂は一緒に入った。機能の説明が面倒臭かったし、垢やら埃やらで汚れまくっていたロクゴーを綺麗にするのは骨が折れそうだったからだ。あと、肉体的に虐待されていたのかどうかも確認しておきたかった。結論から言えば、ロクゴーの体はそういった意味では綺麗だった。痣一つない。色が白過ぎる事を除けば、何の問題も無いようだった。次から次へと垢が出るので大分くたびれたが、終始嬉しそうにしていたロクゴーを見ていれば、苛立ちは消えていった。

 ロクゴーの髪を乾かしてやりながら――ロクゴーはドライヤーも知らなかったらしい。こうなってはもう、知っている事を数える方が早いかもしれない。そして口で説明するより、やってみせた方が早い――名前は考えた。必要最低限のことは解っているようだし、彼が食べる為の食料は既に買っておいた。おにぎりとか、菓子パンとか。だから、明日は仕事に出ても平気だろう。

 それが早計とも知らず、自分の要領の良さに自画自賛する。何なら明日、ロクゴーが姿をくらましたって一向に構わない。まあ家の鍵を開けっ放しにされるのは少し困るが、一日くらいなら平気だろう。
 目を細めて温風を浴びているロクゴーは、猫のようだと思った。もっとも、目は赤いが。
 寝る時になって漸く寝る場所が足りないことに気が付いた。ベッドの購入を考えなければならなかった。ロクゴーをソファに寝かせるのも良いかもしれないが、昨日随分と肌寒かったのを覚えている。結局、二人で同じベッドに潜り込んだ。元から大きめだったし、ロクゴーは一人前とは言い難い細さだったから、狭いと感じることはなかった。
「じゃ、おやすみ」
 そう言って声を掛ければ、毛布の隙間から赤い目が名前を見詰め返した。
「おやす、み……?」
「寝る時の挨拶だ」
「おやすみ!」
 叫ぶようにして言ったロクゴーの、その薄い腹に黙って二度手を置いた。買い忘れたのはベッドと、それから煙草だ。

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