疑念

 全生徒にアンケートをしてみれば明らかになると思うのだが、校内で一番嫌われている先生は、スネイプ先生だと思う。嫌味ったらしいしすぐに減点するうえ、自寮に対する依怙贔屓は目も当てられない。授業の内容はレベルが高くて喜ばしい限りなのだが、それでも例にもれずマイケルとてスネイプ先生が一番嫌いだ。だから、別に彼の肩を持つだとか、そういうつもりではないのだ。
「それでなにかね」スネイプ先生のネチネチが始まった。
「君は単に授業の開始時間をうっかり間違えていたと、そういうことかね。それとも授業の八割を無断で欠席したのは、何か理由あってのことなのかね、ミスター・名字」
 教授の前に立っている生徒は何も言わない。実に『黙り屋』らしい。スネイプ教授の味方をするわけでは決してないのだが、言い訳ぐらいしても良いのではないか。問い掛けを無視する彼の態度は先生を馬鹿にしているようだし、薬学をさぼったことについて何の後悔もないと思っているように見える。とにかく、受け答えくらいちゃんとすべきだ。まあ、彼がハキハキ物を言ったら、それはもう黙り屋ではなくなってしまうけど。
 スネイプ先生は大仰に舌打ちした。
「ハッフルパフ五点減点。とっとと席に着きたまえ」
 黙り屋は頷き、ハッフルパフ生が固まっているテーブルへと向かった。

 変だな。マイケルはふと思った。
 授業の大部分を欠席して、たったの五点減点なんて。


 マイケルは暫く、名前・名字の方をちらちらと伺い見ていた。今日煎じているのはぺしゃんこ薬で、生徒の大半はもう最後の工程に入っている。煮詰めれば良いだけだ。残り時間で皆と同じものが出来上がる筈はなく、名字は黒板に書かれたことをまとめたり、手持無沙汰に教科書をぱらぱら捲ったりするだけだった。
 ふとパドマと目が合う。彼女の目は、「余所見なんてしてないでちゃんと集中しなさい」と言っていた。
「僕、てっきり黙り屋は継承者に襲われたんだと思ってた」マイケルはパドマにだけ聞こえるよう、ごく小さな声で言った。「一昨日の魔法薬学でも見なかったし」
 別にマイケルは名字と親しいわけでも何でもないのだが、彼の白髪頭は目に付くので、彼が居るのか居ないのかは特に気にしていなくても解ってしまうのだ。それに確か、昨日もまる一日彼を見掛けなかったし、と心の中で付け足す。朝昼晩、どの時間帯でも大広間で彼の姿を見なかった。単にタイミングがずれているだけだと言われればそれまでだが、授業の合間などにも集団行動が余儀なくされている今、他のハッフルパフ生を見掛けたのに名字とだけすれ違わないというのはおかしいと思うのだが。
「そんな滅多なこと、言うもんじゃないわ」
 ぴしゃりとパドマが言った。叱られた。
「それに、あなた、彼の方を見ている暇なんてないわよ」
 パドマに言われて気が付いた。本来薄水色になる筈のぺしゃんこ薬が、蛍光色になっている。どうやら煮詰めすぎてしまったようだ。マイケルは慌てて鍋を火から下ろし、どうしたもんかと頭を抱えた。


 ひどい有様だったぺしゃんこ薬は、あれからちゃんとしたぺしゃんこ薬へと仕上がった。友達にはちゃらいだの軽いだの言われるマイケルだが、魔法薬学は得意科目なのだ。誤った順序を進んでしまった薬を、正しく調合し直せるぐらいには。
 時間内に薬を提出できて安心したマイケルは、黙り屋が授業をほぼサボったのにたった五点の減点で済んだことなど、勿論すっかり忘れていた。その日再び、名前・名字と顔を合わせるまで。

 夕食の後、マイケルはどうしてもスネイプ先生へ質問をしに行きたかった(ぺしゃんこ薬の効能とその適用範囲は、服用量によって違うのか、それともイボイノシシの胆の量によって違うのか)。先生自身は確かに嫌いな先生だし嫌な先生だが、それは障害にはならない。マイケルは灰色の淑女に付き添いを頼み、地下牢教室へ向かった。ついでに言うと、この気位の高い淑女はマイケルの苦手とする人物の一人だったのだが、誰かに付き添ってもらう他に校内を歩く方法がないので致し方ないというものだ。
 やってきた地下牢教室には先客が居た。黙り屋・名字だ。
 一人佇む名字の前には、ゆらゆらと湯気の立ち上る大鍋があった。その湯気がうっすら色付いていることと、嗅いだばかりの匂いが発せられていることから、薬を作っていることが解る。ぺしゃんこ薬だ。
 マイケルは少しの間その場で立ち止まっていたが、やがて歩き出して名字へと声を掛けた。「やあ」とマイケルは言ったのだが、当たり前のように彼は返事を返さない。ただ、ほんの少し視線を上げ、マイケルの存在を認識すると、小さく会釈した。そしてすぐに大鍋へと向き直る。彼が少しも驚かなかったところを見るに、マイケルがやってきたことに気付いていなかったわけではないのだろうが、それにしたってもう少し愛想を良くしてもいいだろうに。まあ、せいぜい顔見知り程度の仲だから仕方がないか。僕も多分、彼に話し掛けられたら困惑するだろうし。
 しかし今のマイケルは話し掛けないわけにはいかない。
「ぺしゃんこ薬?」名字が再び顔を上げた。「熱心だね。それとも補習?」
 名字とこうしてまともに接触したのは初めてだった。深いエメラルド色がマイケルを射抜く。
「まあ君、今日殆ど居なかったもんね。具合悪そうに見えたけど――」見えたのは、今だった。マイケルを見る名字の顔色は優れない。貧血にでもなっているんじゃないだろうか。何にせよマイケルは赤の他人に医務室行きを勧めるような、そんな世話焼きでもお節介でもないので、こうして声を掛けるだけだ。「――それはそうと、今スネイプ先生って留守なのかい? せっかく来たんだけどな。ねえ、此処で待ってても良いと思……え、何?」
 『黙り屋』という綽名は言い得て妙だと思う。名字は本当に、一言も口を利かなかった。うんともすんとも言わない。ジャスティン・フィンチ‐フレッチリーが継承者に襲われ石になってからというもの、彼のだんまりに拍車がかかっている。人を小馬鹿にしているような態度を取る灰色の淑女の方が、幾分マシというものだ。少なくとも彼女は会話に付き合ってくれる。
 鍋を掻き混ぜていた手を一旦止めた名字が、マイケルの後方を指差している。
「え……先生居るの?」
 名字は頷いた。

「……そう、僕、てっきり――」
 君がこうして一人で授業の復習をしているのは、勝手にやっているのだと思った。
 しかしスネイプ先生が自室に居るということは、彼の許可を得てこうして地下牢に居るということだ。勝手に教室に忍び込んで、勝手に備品を使っているのでなく。もしかして名字は、スネイプ先生に気に入られているのだろうか。授業に大幅に遅れてきて、五点の減点だけで済んだのはそれが理由?
 マイケルは、少しだけ嫉妬した。
 何度も言うように別にスネイプ先生の事は好きではない。生徒を相手に露骨な皮肉を言うし、意地悪だし、スリザリン生ばかり贔屓する。しかしそんな先生だからこそだろうか、彼に認められたいと思うのだ。名字の成績がどれほどかなど知らないが、おそらくマイケルよりも薬学の成績は低いだろう。いや、例えそうでなくとも腹立たしく思うに違いない。
 マイケルは暫く黙っていた。
「そっか、なんだ、いらっしゃるんだ。僕、先生に質問に来たんだよ。ぺしゃんこ薬のことでちょっと聞きたいことがあって――ぺしゃんこ薬で思い出したけど、それ、そろそろ火を弱めて二角獣の角の粉末を加えた方が良いよ。効果が薄くなるから」

 本当は、ぺしゃんこ薬について何も言わないでおこうと思っていた。しかしそれではあんまりに意地悪だ。その理由が単なる嫉妬心なのだから尚更だ。彼が何をしたというわけでもないのに、一方的に嫌悪感を感じてしまったという後ろめたさもあった。
 マイケルは「じゃあね」と言うと名字から離れ、教室のすぐ隣の、スネイプ先生の自室へと向かった。
 その時、耳を掠めたものがあった。ありがとう、小さな声はそう聞こえた。マイケルは「え、なんて」と聞き返さなかった。聞き返したかったけど。あまりにも小さいその声(というよりもむしろ音だ、音)が名字が発したものだと気付くのに何故だかひどく時間が掛かったが、マイケルは手をひらひらさせてそれに応えた。
 なんだ、喋れるんだな。と、そううっすら考えながら。

 余談だが、部屋の扉をノックした後に現れたスネイプ先生が「なんだ名前、もう調合し終えたのかね。随分と早かったな――」と言いながら訪問者を見て表情を凍らせたので、マイケルは再び名字に対して嫉妬心を抱かざるを得なかった。畜生。

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