憤懣

 ホグワーツ魔法魔術学校での生活は楽しかった。快適だし、食事も美味い。一年前には、こうしてダームストラング校以外の場所で毎日を送っているなんて、想像していやしなかった。代表選手の候補に選ばれることもなく、故郷に残った友人には悪いが、本当に、此処に来られて良かった。クラムはどちらかというと、あの陰気なダームストラング専門学校よりも、このホグワーツの方が好きかもしれないと思ってすらいた。手紙は時々書いているが、もしもクラムが自分の身に起こったことや、それについての自分の思いを余すところなく伝えたとするならば、きっと呪詛が送られてくる。
 しかし実の所、ホグワーツに来て一番良かったことは、代表選手として三大魔法学校対抗試合に出場することでも、心地よい生活を送っていることでもない。一人の女の子と知り合えたことが、一番嬉しかった。
 彼女は自分を「ただのクラム」として見てくれた。プロのクィディッチ選手としてでなく。クラムの知る女の子は、クラムを天才シーカーとしか見なかった。彼女達はクラムのことなどまるで考えず、いつでもキャーキャーと喧しくしたり、図々しくサインを強請るばかりだ。無論そういう扱いを受けることについて、嬉しくないわけではない。ただ時々、本当の自分を見て欲しいと思うのだ。彼女達はもしも自分がクィディッチのプロ選手でなかったら、自分にどれほどの目を向けただろう。
 彼女と知り合ってから、クラムは驚きの連続だった。まず彼女は、クラムが今までどれほどクィディッチで功績を打ち立てたか、茶匙一杯分も知らなかった。ウロンスキー・フェイントを知らない女の子が存在することを、クラムは彼女と話すまで忘れていた。本当に、クリスマスのダンスパーティーで申し込んでみて本当に良かった。クラムは幸せだった。

 幸せだったからこそ、先日の記事はクラムの心に深く刺さった。
 何せ、自分は彼女と――ハーマイオニー・グレンジャーと、付き合っているわけではない。クラムとしては、そうなれたら素敵だとは思うのだが、如何せん彼女にその気はあまりないようで、一度もそのような甘い雰囲気になったことがない。知識欲が旺盛な彼女は、クラムのことを外国から来た友達としか見ていないのだろうと思う。
 あの記事、「週刊魔女」に載った記事を読んでから、クラムは何度かハーマイオニーと顔を合わせていた。しかし、記事の事は何も話していない。ハーマイオニーが、何やら第二の課題のことで時々からかわれるのだが、と苦笑気味で話しただけだ。クラムはどうしても、彼女に直接尋ねることができなかった。


 クラムは今、一人ホグワーツの校庭を歩いていた。いつも付き纏ってくる女の子達は、偶然にも上手く撒くことができた。彼女達が居れば更に面倒なことになったはずだ。目指すのは森番の住む小屋だ。
 例の記事に名前の載った内の一人、名前・名字が、この時間帯は外に居るらしい。らしいというのは、友達から聞いた話だからだ。クラムが自分で調べたわけではない。友人達は、他人事だと思ってクラムの恋愛沙汰を面白がっているのだ。

 週刊魔女の記事には、二人の男(自分と、例のハリー・ポッターのことらしい)を誑かしたハーマイオニー・グレンジャーは、実は名前・名字と付き合っていると書かれていた。本当の事なのかどうか、クラムには解らない。しかしそれをハーマイオニーに尋ねることはできなかった。
 名前・名字のことは実は知っていた。というのも、近頃ハーマイオニーと一緒に居るのを目にするようになったからだ。彼の白い髪は目に付く(これも友人情報だった)。しかもそういう時に限って他には誰も居らず、二人きりだ。
 付き合っていたことが露見したので、おおっぴらに振る舞うようになったのではないか。そうクラムは邪推してしまうのだ。――他校生の時分がそんな光景を目にするのだ、普段から一緒に居るのでは。そんな風に考えてしまうのは、自分の心が弱いからだろうか。
 ハーマイオニーのことは好きだ。愛している。しかし彼女に真実を尋ねることはできない。もしも仮に、例の記事が本当だったとしたら。別にハーマイオニーのことをどうこう言おうとは思わない。自分が彼女に見合う男じゃなかった、それだけだ。
 ハーマイオニーに何とも思われていない、そんな残酷な真実を知るのが怖かったのだ。


 名字は見付かった。森の際にある小屋、そのすぐ傍の畑を一人耕しているようだった。
 彼はホグワーツの生徒ではなかったか? こんな所で何をしているのだろう。先生に頼まれたのだろうか。クラムはそう不思議に思ったが、彼の白い頭を目指し、歩くのを止めなかった。

 どう話し掛けようかと迷っていた時、名前・名字が顔を上げた。
 知ってはいたが、端正な顔をしている。ハーマイオニーはこんな男が好みなのだろうか? 彼女がもしも本当に、名字の「顔」が好きだというのなら、お手上げだ。それまでだ。
「君ヴぁ名前・名字か?」
 解っていたが、クラムはそう尋ねた。額に皺を寄せ、此方を窺っていた名字は怪訝そうに頷いた。掘り起こされたばかりの土の匂いが鼻を衝く。四月の陽光の下、名前・名字の白髪はきらきらと光っていた。汗を流している彼のその様を、クラムは何故かよく知っている気がした。
「君がハーム‐オウン‐ニニィと付き合っていると聞いた。それヴぁ本当の事か?」
 名字は、顔を顰めた。

 名字は口数が少なかった。もちろん用があるのはクラムだが、彼のそれは話を聴こうという態度ではない。二、三度彼に問い掛けをしたが、先を促そうとはしなかったし、それどころかどうでも良さそうだった。クラムは胸の内で段々と苛立ちが募っていくのを感じたが、話し掛けたのは自分だし、彼は三つも年下なのだからと自分に言い聞かせた。
 ハーマイオニーと付き合っているのか、その問いには彼は首を振った。
「あんた誰だね」
「ビクトール・クラムだ」ジロジロと自分に視線を寄越す、エメラルド色を見ながらそう答えたが、言いながらクラムは意外に思った。自分を知らない生徒はごく少数だ。そう、ハーマイオニーのように。だから彼とハーマイオニーは気が合うのだろうか? 図書室でよく一緒に居るみたいに?
 クラムは一人でそう考えて、一人でショックを受けた。
「彼女と付き合ってヴぁいないのか?」
 名字は首肯する。
「本当に?」
 名字は再び頷いてみせた。

 クラムには彼が本当の事を言っているのかどうか、解らなかった。クラムが悩んでいる間にも、名前・名字は辛抱強く此方を見ている。畑の隅にある大きな木箱が、ガタタっと音を立てた。
「……本当か?」
「しつけえ」
 にべもなく名字が言った。
「そうだっちゅうとるだろうが。俺がグレンジャーと付き合う? そんな事、するわけねえだろうが。そもそも、俺に聞くなんてそんな回りくどい真似はするな。はっきり知りてえならグレンジャー本人に聞け」
 初めて名字がまともに寄越した言葉だった。
「……何?」
 しかし、如何せん訛りがきつく、クラムにははっきり聞き取ることができなかった。名字の顔がさらに顰められた。彼が鋤の柄を握り締めたのが解った。そうだ、クィディッチをしている様に似ているのではないか。クラムが話し掛ける前、名字は(畝は見当たらないが)畑を耕していた。その真剣な横顔は、クラムのよく知る表情だ。
「グレンジャーに、聞け!」


 結局、クラムはあの仏頂面の言いなりになった。そう考えると実に癪だった。彼には八つ当たりに近いことをしてしまったわけだが、もう少し愛想よくしても良いだろうと思う。そして、ハーマイオニーの答えはクラムが恐れていたものではなかった。
 数日後、図書室で一緒に居た時、クラムは彼女に尋ねた。あの記事は本当なのか、名字と付き合っているという噂は本当なのか、と。
「私が名前と?」こげ茶色の目が丸くなった。
 あんな愛想のないやつのことをファーストネームで呼ぶのか、とムッとした瞬間、何故かハーマイオニーが笑い出した。くつくつと声が漏れている。
「あなたは解ってくれていると思ったけど。私と名前は友達――んー、何て言えば良いのかしら。同じ目的を持った仲間……そう、仲間よ。そりゃ、最近よく一緒に居るかもしれないけど、特に仲が良いわけではないのよ。残念ながらね。あいにくと、リータが書いたことは全て嘘八百だわ」
「けど、ヴぉくがハーム‐オウン‐ニニィを誘ったことを知ってました。ブルガリアへ」
「ああ、あれは……」ハーマイオニーは言い淀んだ。
 彼女が言うには、あの記事を書いた記者は、何か不法な手段を使ってホグワーツへ忍び込んでいるということだ。何故ならスキーターはホグワーツへの出入りを禁止されているのだという。
 僕達の私的な会話を誰かに聞かれていたと思うと腹が立つ、そう言うと、ハーマイオニーは再び笑った。

「あなたが名前ともう付き合うなって、言わなくて良かったわ」
「何故?」
 クラムはどきりとした。本当は、ハーマイオニーには他の男の誰にも近付いて欲しくない。しかしそんな事を言って、心の狭い奴だと思われたくはない。彼女の前でくらいは、理解力のある男で居たかった。
「何故って……んー、まあ、名前は狼人間でしょう?」
「……ああ。でもその事ヴぁ、ハーム‐オウン‐ニニィがあいつと仲良くしないことに、関係ないです」
 ハーマイオニーに言われて、クラムはぼんやり思い出した。友達が名字の事を言った時に聞いたし、それから言われるがままに日刊預言者新聞にも目を通した。ホグワーツに狼人間が通っているという記事だった。ダンブルドアは問題が起こった場合どう責任を取るのかとかなんとか。あれに載っていた名前が、名前・名字だったのだろうが、興味がないことだったので生憎と覚えていなかった。
 狼人間が生徒の中に紛れていると知って、クラムが思ったのはよくやるなあということだ。本当に、色々な意味で。
 畏怖の目で見られるだろう。好奇の視線に晒されるだろう。そしてひどく蔑まれるだろう。

 実に唐突だったが、クラムはなんとなく名字がああも無愛想だった理由を理解できた気がした。
 ふと気が付くと、ハーマイオニーが自分を見上げていた。まっすぐと見詰められ、クラムは表に出しはしなかったが、ひどく困惑した。何か気に障る事を言ってしまったのだろうか?
「――ええ、そうね」
 ハーマイオニーが、にっこりと微笑んだ。
 クラムには解らなかった。どうして――どうして、彼女が嬉しそうに笑ったのか。頭の中を、様々な思いが駆け巡っていく。やがて次の瞬間、クラムは彼女にキスをしていた。

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