謬見

 スプラウトは名前・名字が組み分けられた時、気が付いた時には思ってしまっていた。何でよりによって、と。思わず拍手をするのが遅れたし、浮かべていた笑みが固まっていたかもしれなかった。他の先生方には解ったかもしれない。自分の顔が硬直している事が。
 残りの組み分けも、スプラウトはいつもは真剣に聞いているのに、この時ばかりは全く集中できなかった。どんな生徒が自分の寮に来たのかすら、全然頭に入らなかった。スプラウトの視線は、座ったばかりの白い髪の男の子に留まったままだった。

 名前・名字。勿論、スプラウトはその子の顔を知っていたし、名前も知っていた。森番のハグリッドが引き取った小さな男の子だ。今年で十一才、ホグワーツに入学する歳だ。スプラウトが知っているのは、名前はハグリッドが親代わりになったその日から、ずっとホグワーツで暮らしてきたからだ。もっとも生徒ではなかった為、城の中に来る事などなかったが。
 彼はいつもハグリッドの後ろを付いて回って、ハグリッドと一緒に畑を耕したり、動物の世話をしたりしていた。薬草学の教授をしているスプラウトはその職業柄、他の教師達に比べて多く外に出るし、温室とハグリッドの小屋は同じ校庭に位置しているので、遠目に彼ら親子の姿を見る事はよくあった。また、ハグリッドの所へ行くと、いつでも名前はハグリッドにぴたりとくっついていた。スプラウトはそんな様子を微笑ましく思っていた。人狼だという事は勿論昔から知っている。それをよく思っていない教師が居る事も確かだったが、スプラウト自身はそれほど重要視していなかった。
 それなのに、一体何故、彼はハッフルパフに組み分けられてしまった?
 ホグワーツの寮は四つある。生徒が入ってくる確率は四分の一だ。実の父親については全く解らないが、母親はマグルだったと聞いている。やはり確率は四分の一だろう。それなのに、名前・名字はよりにもよって、スプラウトの寮であるハッフルパフに組み分けられた。

 別に、スプラウトは彼の事が嫌いではない。人狼だからと差別するつもりもない。人をそうやって差別するなんて、自分は許せなかった――しかし、彼が自寮の生徒ともなれば、話は別だ。彼の行動には注意していなければならないし、もしも問題が起こった暁には、自分に責任が課せられるのだ。
 人狼がホグワーツに入学するのは二度目だった。一度目は、十数年前の生徒。鳶色の髪をした少年で、落ち着いていて、とても良い子に育った。満月の晩になると、彼は暴れ柳の下の通路を通り、ホグズミードの叫びの屋敷で一晩を過ごしていた。今はその時とは違い、脱狼薬というものが開発された。きちんと用法を守れば、狼人間は満月の晩ですらただの無害な狼でいられるのだ。
 そういえば、とスプラウトは思い出す。
 彼はグリフィンドールの生徒だった。マクゴナガルは彼が自寮に組み分けられた時、どう思ったろう? 後で聞いてみようか。
 ふと気が付けば、金の皿は元通りピカピカになっていて、スプラウトは自分が何を食べたのかも殆ど思い出せなかった。ダンブルドアは生徒達に校歌を歌わせ、その後に歓迎会はお開きになった。十数年ぶりの校歌斉唱にも、スプラウトはやはり集中できなかった。


 宴会の後、スプラウトはふらふらと自室に戻った。自分がちゃんと微笑んでいられたか、不安で堪らない。名前が自分の寮になって、嫌な訳じゃない。そうではないのだ。脱狼薬もある。若いがスネイプの腕は確かだったし、マダム・ポンフリーだって名医じゃないか。自分が心配する事など何もない。
 しかしもしもと考えてしまう。
 もしも名前が暴走したら? もしも誰かに噛み付いてしまったりなんかしたら?

 明日から授業が始まるのだ。しっかりしなければ、とスプラウトは自分に活を入れた。一時間目は確か六年生の授業がある。彼らはOWLがやっと終わった所で、それまでの授業形態と少し違うから、説明に時間がかかるだろう。ああ、その前にハッフルパフの生徒達には時間割を配らなければ。
 はぁ、と小さく溜息を吐いて目元に手をやった時、不意に部屋の扉がノックされたので、スプラウトはどきりとした。慌てて立ち上がり、ドアを開く。その先に居たのが、先程まで自分の頭を占拠していたあの名前・名字だったので、スプラウトは殊更どっきりとした。
「ああ、いらっしゃった」名前の後ろに居た寮付きゴースト、太った修道士がそう言って微笑んだ。「スプラウト教授、この子が貴方にお話があるそうですぞ」
 にこにことしている修道士は、どうやら名前を此処まで道案内してくれたらしい。スプラウトは気が付かれないようそっと表情を取り繕い、修道士にお礼を言った。彼は微笑んで頷き、その半透明な手で名前の背をぽんと叩いてから、ふわふわと去っていった。
「あー……お入りなさい、名字」
 不安そうに此方を見ていた名前は、目の前のスプラウトを見上げると、やがて頷くような素振りをして、スプラウトの部屋の中に入った。

 座るように促すと、名前は言われた通りにちょこんと座った。スプラウトは何故彼が此処に来たのか、全く理由が解らなかった。私に言いたい事とは? 入学初日に生徒がやってきた事など、スプラウトには初めての経験だった。
 名前はソファに座ってからも、暫くもごもごと口を動かしているだけだった。言葉にする事が難しいらしい。スプラウトは内心で溜息を吐きながら、辛抱強く待った。急かしたりしなかったし、咎めたりもしなかった。
「先生、あの、部屋割りの事なんですけど」
 小さな声だった。普段から教師として子供と接していなければ、聞き取れなかったに違いない。スプラウトは熱心に聞いている風に見えるように、「何です?」と聞き返した。
 スプラウトの優しげな声に安心したのか、名前は先程までよりは落ち着いた様子で、しかしながらやはり小さな声で喋った。
「あの、一人部屋にする事はできねえんでしょうか」
「一人部屋に?」スプラウトは聞いた。「貴方がですか?」
 名前は、こっくりと頷いた。

 どうも、名前・名字は口数が少ない性質らしい。そう言ったきり、黙り込んでしまった。スプラウトは顔には出さなかったものの、対処に困ったし、何故彼がそんな事を言い出したのか全く解らなかった。少しの間、部屋の中は静寂に包まれたが、やがてスプラウトは根負けし、素直に「どうしてそうしたいのです?」と尋ねた。
 名前は少しだけ視線を動かしたようだった。
「……その、俺が――僕が、アー……あれだっちゅう事は、その、先生もご存じですよね?」
 途切れ途切れに名前がそう言った時、やっとスプラウトは合点がいった。
 彼は自分が人狼だから、部屋を換えて欲しいと言っているのだ。
 人数やその他様々な理由から、ホグワーツでは大抵一部屋につき、五人か四人の生徒が割り振られる。確か彼は五人部屋で、新入生だから尚のことだ。原則として部屋を換わるだなんて事はできないし、人数を減らす事もできない。ただ、生徒が監督生や首席になった際、望めば一人部屋に移る事はできる。
 スプラウトは、最初彼が「部屋を換えられないだろうか」と言った時、何を我が儘を言っているのだと思った。しかしそうではなかった。そうではないのだ。彼は自分が狼人間だから、他の人と一緒に生活する事は出来ないと言ったのだ。名前はやはり口数が少ないから、それが他の人に危害が及ぶかもしれないからなのか、もしも人狼だとバレれば嫌がる人が居るだろうからなのか、はっきりとした理由は解らない。しかしスプラウトには、彼が自分勝手に一人部屋になりたいと言っているわけではないという事が理解できた。伊達に教師をしているわけではないのだ。


 スプラウトはやがて、ふ、と目元を弛めた。
「いけませんよ。あなたはまだ一年生ですし、部屋割りはこちらで決めたものです。それを変える事はできません」スプラウトがそう言うと、名前は少しだけ眉を寄せた。口が開きかけたが結局声にはならず、ただこっくりと頷いた。
 スプラウトは名前の事を厄介者だと思っていた。狼人間だなんて問題しか起こさない。しかし今は違った。何て事はない、彼はホグワーツの生徒で、そして自分の寮の生徒じゃないか。スプラウトは先程までの自分を恥じて、それから名前ににっこりと笑いかけた。
「名字、もう寮にお戻りなさい――部屋の事は、私から校長先生に言ってみましょう。しかし、規則で決められているのだという事を忘れないで――寮の場所は解りますか?」
 名前はスプラウトを見上げたものの、先程のようにはっきりと頷く事はしなかった。
「それでは、寮への入り方は解りますか?」
 やはり、名前は頷かなかった。スプラウトが苦笑を漏らすと、彼は小さく体を震わせた。

 階段を下りて、二人はハッフルパフ寮へ向かっていた。スプラウトが先を歩き、その数歩後ろを名前が付いてくる。スプラウトが時々後ろを見遣ると、名前は手を振ってくる絵画や、甲冑がぎしぎしと動くのを興味深そうに眺めていた。
 きょろきょろと首を動かしているのを見て、スプラウトは少しだけ不思議に思う。名前は今までホグワーツで生活していた筈なのだ。しかし考えてみれば、彼はいつもハグリッドと一緒に居るだけであって、生徒ではないからよっぽどの事がない限り、城の中に入る事はなかった。クリスマスの日や、生徒が誰も居ない夏休みなどしか、彼はホグワーツ城に来たことはなかったのだ。それを思えば、名前がこうして珍しそうに辺りを見ているのは不思議でもなんでもないのかもしれない。壁の中から突然現れたゴーストを見て、名前は飛び上らんばかりに驚いていた。
 寮への入口がある廊下へと辿り着いた時、スプラウトは静物画の前に一人の一年生が居る事に気が付いた。ネクタイは黄色く、ハッフルパフの生徒だ。一年生はスプラウトを見ると、少しだけどっきりしたような表情をした。
「どうしたのです? 入り方が解らなくなったのですか?」
「いいえ、先生。その……」髪の毛がクルクルとカールしたその一年生は、寮監を前にして何と言おうか迷っているようだった。
 しかし不意に視線を上げて、それから「あっ」と声を漏らした。
「名前、良かった! どこに行ったのだろうかと心配しましたよ」
 その一年生は、スプラウトの背後にいた名前を見ると、途端に表情を綻ばせた。スプラウトが後ろを振り返ると、名前の表情も変わっていた。先程までの緊張した顔と違い、少年らしい笑みが浮かんでいた。驚いてはいる。しかし、スプラウトはその驚きの中に、ほんのりと嬉しさが混じっているのを感じ取っていた。
「あら、まあ、もう友達に? 列車で一緒だったの?」
「いいえ、先生。僕達は歓迎会の時に仲良くなったんです」
 小さく笑いながら、その一年生が言った。スプラウトは口に出してから、そう言えば名前・名字はホグワーツに住んでいるのだから、ホグワーツ特急に乗る必要が無かったのだという事を思い出した。確か、ホグズミード駅で生徒に合流するのだったか。

 どうやら寮の前に立っていた一年生は、名前が帰ってくるのを待っていたようだった。スプラウトはそこで名前と別れ、また自分の部屋へと向かった。廊下の角を曲がる時、後ろを振り返ると、名前の白い頭が絵の向こう側へとするりと消えていくところだった。
 スプラウトは人知れずそっと微笑み、それからその場を後にした。

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