羅列

 ザカリアスは名前・名字の事が嫌いだった。去年自分に恥をかかせた事をザカリアスは覚えているし、彼が最近になって急にモテだした事も気に入らない――無論、それだけで嫌っているわけではない。というよりもむしろ、嫌っているというよりは苦手だという方が近いのかもしれない。こいつは昔から取っ付きにくい奴だった。
 この間、レイブンクロー七年生に名前が呼び出された事を、ザカリアスは知っていた。偶然にも彼の側で直接見ていたのだ。もっとも、会話を全て聞いていたわけではない。彼女の顔が赤く染まっていたので、きっと彼は告白を受けたか、何かしらがあったに違いない(その後帰ってきた名前自身は、いつもと変わらぬ澄ました顔をしていたので何があったのかは解らなかった。しかし、その七年生の女子生徒が誰かに振られたと、暫く後で同寮の七年生達が話しているのを偶然にもザカリアスは聞いていた)。
 ただ、その名前がこんな真夜中に一人で談話室に居て、驚愕した顔をして此方を見ているのには驚いた。彼は大抵、驚いたとしても顔に出ないし、そもそもあまり感情の起伏がない。少なくともザカリアスにはそう見える。
 それが今はどうだ。ザカリアスが声を掛けた途端、名前はびくりと肩を震わせた。それだけでなく、今もまだそわそわしている。確かに普段あまり話したりしない相手ではあるが、それなりの付き合いはしてきたはずだ。これほど拒否される覚えは無いのだ。
「……何でそんなビビってんだよ」
「……いや」
 言葉を濁す名前に、ザカリアスは若干いらついた。
 ザカリアスは今日の放課後、ずっとクィディッチの練習をしていた。それが終わりがけ、不注意にもビーターの内の一人と正面衝突し、今の今までずっと眠り続けていて、今やっと寮に帰って来る事ができたところだった。

 思わず当たり散らしそうになるのを戒めた自分を、素直に偉いと褒めながら(以前スーザンに、誰彼構わず嫌味を言うのを止めろと言われたのだ)、ザカリアスは名前に違和感を感じた。
 ザカリアスは、自分は、自分で思っているほど周りから好かれてはいないんではないだろうかと考えた事があったが、出会い頭にそっぽを向かれるほどに嫌われている、なんて事は無い筈だと思ったのだ。
 しかもそれが名前・名字なら尚更だ。彼がそんな事をするような奴ではない事は、面白くない事にザカリアス自身よく知っている。五年間一緒の寮、一緒の部屋で生活して、解らない筈がなかった。ハッフルパフの直系の子孫である自分よりも、彼はハッフルパフを担うのに相応しい人間なのだろうと、ザカリアス自らが思った事もあるぐらいだ。

 OWLの為の勉強を一人でしているのかと思えば、そうでもない。机には何の勉強道具も広げられておらず、誰かが忘れていったのだろう日刊預言者新聞がぽつりと置かれているだけだ。暖炉際のソファーに一人腰掛けている名前。こいつは一体、何をやっているのだろう。少しだけ興味が湧いた。踊る炎に照らされて、マントルピースを飾るアナグマの影がちらちらと揺らめいた。
 挙動不審――そう、今のこいつに一番しっくり来るのはこの言葉だ――な名前の向かいのソファに、ザカリアスはどっかりと腰を下ろした。再びびくりと肩を揺らした彼に気付かない振りをして、ザカリアスは口を開く。
「今まで医務室だったんだ。ビーターの馬鹿のせいで」
「……ああ」名前はこっくりと頷いた。
 普通は此処で、災難だったなとか怪我はもう大丈夫なのかとか、そういった言葉を大抵は投げかけるだろう。しかし名前・名字の場合、今の『こっくり』にそれらの事がほぼ込められているので面倒くさい。四年間と数ヶ月、付き合ってきた今では解る事なのだが、彼を知らぬ内はなんて冷たい奴なんだと思っていた。この愛想の欠片もない男が何故、寮や年の境を超えてモテるのか、理解に苦しむ。
 悪い奴ではない事は解っているのだが。
「おまえは何やってるんだ? こんな時間に」
 まだ満月じゃないだろ、と付け加えようかと思ったがやめた。触れられたくないだろう。ザカリアスは一瞬口を開きかけたが、結局名前を見詰めるだけに留めた。
 人狼である名前の睡眠時間は、満月が近付くと段々と減っていく。聞いた話によると、脱狼薬の副作用の一種らしい。満月までの数日間、彼はカーテンを閉めたベッドの中で、魘されながら寝込んでいる。もっともそれはここ数年のことだ。名前が狼人間だと自分から打ち明ける以前は、満月の前後は部屋に居なかった。どうやら彼の実家――つまりハグリッドの小屋に居たのだとか。詳しくは知らないが。

「……眠れなかっただけだ」
 名前が、一言そう言った(彼の父親譲りの訛りは、最初は上手く聞き取れなかった)。しかしその目はザカリアスの方を向いていない。何を嘘を付く必要があるのかと思いながら、ザカリアスは「そうかよ」とだけ返したのだった。


 それからは簡単だった。
 話している間にも、話していない時にも名前が右手をさすっている事に気付いていたので、ザカリアスはその事に詰め寄った。最初の内は彼も「何でもねえ」と言ってその話を打ち切らそうとしていたものの、何度もザカリアスが詰問している内に、ついに諦め、ひどく緩慢な動作で右手を前に差し出した。
 差し出された名前の右手に、ザカリアスは内心で舌打ちしていた。自分の其れなんかよりゴツゴツしていて男らしく、そして尚かつザカリアスの手よりも大きなその手に対して嫉妬したが、それ以上に不愉快なのは、彼の手の甲に浮き出ている醜い羅列の文字だった。
 ザカリアスがじろりと睨み付けながら問い詰めると、彼は決まり悪そうに顔を歪めたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。罰則を受けた事、そしてそれが書取罰だった事。それが何故こんな事になるのかと聞くと、特殊な羽ペンを使わされたそうだ。

 彼が罰則を受けた事は知っていた。何故ならそれが選択授業ではなく闇の魔術に対する防衛術の授業の時の事で、ザカリアスも同じ教室に居たからだ。
 彼が罰則を言い渡された時、寝惚け眼ながらざまあみろと思ったし、そして同時に何か名前はやらかしただろうかとも思った事を覚えている。連日のクィディッチの練習のおかげでいつも寝不足なザカリアスにとって、淡々と教科書を読むだけの防衛術の授業はうとうとするのに丁度良い時間だった(自分がそれなりに旧家の生まれだからか、あの教師は多少ザカリアスが居眠りしていても何も言ってこない)。ぼーっとしてはいたのだが、彼の何が罰則へと繋がったのかは、全く解らなかった。まあ、例のガマガエル女の機嫌を何かしら損ねたのだろうと、軽く考えていた。
 そして――思えば今週の月曜日も、罰則を言い渡されていた。教師にこっくりと頷いた、その時の名前の無表情がやけに脳裏に張り付いている。

 更に問い詰めると、名前が三週間、こうして罰則を受け続けていた事が解った。そしてその罰則は一回一回の時間が長く、終わるのは深夜を軽く超えている時間帯なのだそうだ。ザカリアスはちらりと時計に目をやり、彼が実は、罰則から帰ってきたばかりなのだと知った。



 内心で何度も舌打ちしながら、ザカリアスはようやくお目当ての物を見つけた。トランクの中から引っ張り出したのは治療用の救急箱で、自分がクィディッチ選手に選ばれた時からお世話になっている愛用品だった。中には消毒液、絆創膏、包帯まで何でも揃っている。軽い打ち身に効く薬なら生憎切らしているが、まあ構わないだろう。
 あれはどう見ても切り傷なのだから。内出血はしているかもしれないが。

 「ちょっと待ってろ」と言われ無言で頷いた名前を談話室に残し、ザカリアスは救急箱を取りに自室に戻った。暢気に鼾をかいているアーニーに一瞥を投げ捨て、談話室に戻る。
 ジャスティンや、他の同室の連中も皆寝入っているところを見るに、名前は右手の甲に関する罰則の事を、誰にも言ってはいないらしい。あの不細工な羅列の事を。もし誰かに話しているとすれば、きっとジャスティンを始め、誰かしらが彼を待っていただろうから。

 アーニー達が皆寝こけている事にも、アンブリッジにも、こいつの傷が思いの外深い事にも、そしてこの事をザカリアスしか知らない事にも苛つきながら思わず舌打ちすると、名前はびくりと震えた。もしかしたら押しつけた綿糸が強すぎた事が原因かもしれないし、消毒液が物凄くしみたのかもしれない。
 少しだけ、いい気味だと思った。
 包帯を必要以上にきつく巻いてやりながら、どうやって他の誰にも気付かれずに、なおかつ(頑固と言うべきか意地っ張りと言うべきなのか解らないが)この阿呆な友人をどうやって医務室に連れ込むべきなのかと、考えを巡らした。

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