不和
よくよく考えてみれば、ハーマイオニーの様子は昼食に戻って来た時から奇妙だったのだ。
やけにそわそわと落ち着きがなく、不自然な程ちらちらとロンの方を見ていたし、彼女らしからぬ速さで昼食を食べ終えた。一体、よく噛んでよく味わって食えってのは、誰の持論なんだ？ ロンはそう言いたくなるのをぐっと堪えていなければならなかった。しかし、ロンには言えなかったのだ。
ハーマイオニーは再び、この寒い外へと飛び出してハグリッドの小屋へ行こうとしていた。ハグリッドを退職させるわけにはいかない――そう言って自分の宿題すらほっぽり出し、彼女はハグリッドの為に魔法生物のリストを作っている。ロンはその事を知っていた。戻ったばかりの彼女はぶるぶると震え、降り積もった雪で膝までぐっしょりと濡らしていた。
ロンはそんなハーマイオニーに、異を唱えることはできなかった。
しかしながら、「宿題をするといっても、息抜きは必要でしょ？ 今度は貴方も一緒に、ハグリッドの所へ行くのよ、ロン！」と、帰って来るなりそう告げたハーマイオニーに、一言も反論もしなかった事にロンは後悔していた。
「――僕、帰る」
「まだ駄目よ！ 何にも話していないじゃない！」
ハーマイオニーは頑として、ロンの腕を掴んだままだった。
「だって――」
明らかに名前・名字は、迷惑そうに此方を見ているじゃないか？
酷いじゃないかハーマイオニー！ 君、ハグリッドにグラブリー−プランク式の授業予定を立ててやるんだって言ったじゃないか？とか、名字が居るなんて聞いてない！とか、ロンは文句を言おうと思ったのだが、ハーマイオニーはそんなロンの事を見越していたのか、ロンが口を開く前に話し出した。
「私、そろそろだと思うの」
彼女の有無を言わさぬ口調に、ロンはたじろいだ。
「何が？」ロンが聞き返した。
名前・名字は実質二人だけで話し続けるロンとハーマイオニーの様子には目もくれず、黙々と手を動かしていた。彼はいつの間にか、招いてもいない客人（つまり、ロンとハーマイオニーのことだ）の相手をする事は止めたらしく、二人の方を向いてすらいなかった。
名字は最初こそ、ロン達を城へ帰そうとしていた。しかしハグリッドに呼ばれているからとハーマイオニーが言ったので、追い払えない理由を見付けてしまい、今に至っている。平静を保ったまま此方を見向きもしない彼を見ながら、自分達とそれほど親しくない彼としては、客人なんて居ない、そんな風に振る舞う方が楽なのだろうとロンは思った。
一部屋しかないハグリッドの小屋の中で他の人間の話している内容が聞こえない筈はないのだが、それでも名字は黙り込んだまま、ロンとハーマイオニーの会話に何の反応もしなかった。ただ黙々と手を動かし続けている。
ロンは、彼の手が器用にジャガイモの皮を剥いている事に、心の中で感心していた。度肝を抜かれていたと言っても良い。自分と同じ十五歳の男が、さも手慣れたように料理をしている事に驚いたのか、それともその男というのが他ならぬ名前・名字だったからなのかは解らなかったのだが、ロンは確かに感心していた。そして不意に、彼の右手に白い包帯が巻かれている事にも気が付いた。怪我をしているのだろうか？
「貴方達、仲直りすべきなのよ」ハーマイオニーが小さな声で、しかしきっぱりとそう言った。
「――仲直り？」ハーマイオニーのひそひそ声が移り、ロンも小声で聞き返した。
名字は何のリアクションも示さなかった。もしかしたら、本当にロン達の会話が聞こえていないのかもしれない。もしくは聞こうとしていないか。――さもばくば、聞こえているが関心がないだけか。例え聞こえていたとしても、聴いていなかったのならそれは聞こえていないのと同じだ。
「アー……ハーマイオニー？ いったい何のことを言ってるんだい？」
解らないの？という風に、ハーマイオニーは鋭い目でロンを睨んだ。丁度同じ時に、名字が剥き終えたジャガイモを、水の張られた器の中に投げ入れた。ボチャン、と、それなりに大きな音がした。水音が大きかったのは、ハグリッドが育てたのであろうジャガイモが、普通のそれよりも大きかったからだろう。ハーマイオニーはびくりと体を震わせ、ちらりと名字の方を向き、名字が此方を見ていない事を確認してから、再びロンを見た。
「何のことをですって？」ハーマイオニーは小声のまま、早口で捲し立てた。
「貴方の態度のことよ！ いい？ 貴方は名前と口を利きさえしないじゃない！ 彼が一体、何をしたって言うの？ 彼が人狼だから？ それとも彼が無愛想だから？ ナンセンスだわ！ ――そうじゃないって言うなら、しゃきっとしたらどうなの、ロン！ ――彼はとっても誠実だし、親切だわ！ この間だって、コリンを手助けしてあげてるのを貴方も見たでしょう？ ――これ以上貴方が彼と口を利かないって言うんなら、私は貴方を例のあれから追い出すように、ハリーに言うわよ！」
例のあれというのが、クィディッチの事なのかＤＡの事なのか、ロンには判断が付かなかった。しかし、ハーマイオニーが本気だという事はひしひしと伝わってきた。これでは本当に追い出されかねない。どちらにせよ、名前と仲良くする事が関係あるとは思えないが、鬼気迫る表情をしたハーマイオニーを前に聞けなかった。
ロンにとって、名前・名字ほど苦手で、嫌いだと思える相手はまたと居なかった。出会い方が最悪だったのだ。一体誰が、あんな風に自分を見ただけで――問題児達の弟だと知って、嫌そうな顔をした男を好きになれると言うのだろう。
しかし、もしかしたらそれは自分の思い違いだったかもしれない。ロン自身、彼が――それこそ、ドラコ・マルフォイのような――嫌な奴でない事はちゃんと知っていた。
ロンは、自分が間違っている事に気付いていて、そうしてなお今まで通り彼に接している自分が一番嫌だった。彼が嫌いだ、彼が悪いのだと、そう思っていることの方が断然楽だったのだ。
たまに――ごく稀にだが、名前がリー・ジョーダンと談笑しているところを見掛けた。三年生の時、バックビークが処刑されそうになった際に、彼が自分達以上に本という本を調べ尽くし、懸命にハグリッドを慰めていたのを知っていた。人狼だという事がバレて非難の対象になった時も、彼は――それこそ、自分のように――臆さず、ただいつものように前を向いていたことを、ロンはちゃんと知っていた。
この間の木曜、泣きべそをかいていたコリンに一番に手を差し伸べたのは、彼だ。ロンはコリンの頭を撫でている時の、名前・名字の顔を思い出した。
やっと、ロンは了承の返事を口から捻り出した。
「名前、ちょっと良いかしら？ 話したいことがあるの」
ハーマイオニーが名字に声を掛けると、名字は目線だけハーマイオニーの方へ向けた。彼の存外冷たい視線に、ハーマイオニーは僅かに怯んだようだった。
「今、アー……時間あるかしら？」
どう考えてみても、名字に時間が有るようには見えなかった。彼の左手には山積みの、どでかいジャガイモが置いてあるからだ。その奥にはこれまたどでかいニンジンも積まれている。今日のハグリッド家の夕ご飯は、シチューなのかもしれないとロンは思った。ママがシチューを作る時は、一番最初にジャガイモを剥いて、夕飯よりもずっと前に下ごしらえをしていた気がする。
きっと今日は、やっと帰ってきたハグリッドと一緒に夕食を食べるのだろう。何故かロンには、名字が今日は、大広間で食事をしないだろうと解っていた。そして、彼のことを考えている自分にロンはひどく驚いたが、今はもう、それほど嫌だとは思わなかった。
「あ、ンー――そう言えばハグリッドは？ 今は、居ないの？」
訝しげな視線を寄越す名字に、ハーマイオニーは「ファングも」、と付け加えた。
「居ねえ。森にボウトラックルを取りに行っとるとかで」名字がぼそりと言った。
ロンは急に、名字の声を此程間近で聞いたのは初めてだという事に気が付いた。彼と親しくないし、彼は元々無口で、喋ったところでぼそぼそとしか声を出さないからだ。最近は滅多にしか聞かなくなったが、以前は黙り屋と呼ばれてすらいたくらいなのだ。
ハーマイオニーに痛いほど足を踏まれ、ロンは仕方なく「アー……」と口を開いた。
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