ｅ４
「アーニー」
暖炉前でジャスティンとチェスをしていたアーニーは、自分の名前を呼ばれて振り返った。アーニーに声を掛けた男子生徒は名前・名字だった。ちょうど今、絵画裏を通ってきたばかりという風だ。彼はカナリア・イエローのクィディッチローブに身を包んだままだった。目立つ白髪は流した汗でいつもより元気がなく、額にぴったりと張り付いている。どうやら今の今までクィディッチの練習をしていたらしい。
二週間ほど前、ハッフルパフ・クィディッチチームのビーターの一人が怪我をした。代理として選ばれたのが名前だった。嫌そうな顔はするものの断れない名前は渋々それを請け負い、こうして休日の朝早くから練習に励んでいる。生真面目なことだ。彼の長所ではあるわけだが、よからぬ輩に利用されないと良いが。
元々、ハグリッドの森番の仕事を手伝っているおかげで、名前は浅黒く日焼けしていた。それが連日のクィディッチの練習で、前にも増して日焼けしたようだった。そんな彼はビーターとしてはなかなか優秀らしい。少し前にクィディッチチームのキャプテンが、名前の方を正式なレギュラーにしようか、と独り言を呟いているのをアーニーは偶然にも聞いていた。名前がビーターをやるなんて、似合っているようなそうでもないような。
名前はまっすぐアーニーとジャスティンの方に歩いてきた。
アーニーが手を挙げて応えると、名前も頷いて返した。
ジャスティンは名前に「やあ、おはよう」と声を掛けながら、白のクイーンを前進させた。次の彼の一手を上手くかわさないと、黒いキングに王手がかかってしまう。アーニーは唸った。
そんな二人の様子を、名前は黙ってじっと見ていた。どうやら、彼が親友のジャスティンにでなくアーニーに最初に声を掛けたのは、丁度ジャスティンが駒を進める番だったからのようだ。
名前はジャスティンの白いクイーンが黒のビショップを吹き飛ばすのを眺めてから口を開いた。
「昨日の続きか？」
「そうさ」ジャスティンが答えた。「アーニーが、負けっ放しじゃ嫌だって言うんだ」
マグル生まれのジャスティンは、ホグワーツに入るまでチェスなんてやったことが無かった。マグル界ではチェスよりルールが簡潔なボードゲームや、電子機器を持ちいるテレビゲームといった類の方が流行っているらしい。ジャスティンには誰でもない、アーニーがチェスのルールを一から教えたのに、今ではそのアーニーよりも強くなっていて、昨日の夜もアーニーと一勝負して勝っていたのだ。アーニーはそれが癪に障っていた。
「ザカリアスを知らんか？」
「僕は見ていないよ」ジャスティンが答えた。
「こんなに朝早くからクィディッチかい？ まだ朝食の時間にもなってないじゃないか」
「ああ。こんな朝早くからクィディッチなんだよ」うんざり、という風に名前は言った。
「俺はさっさと、親父と土いじりがしてえんだが」
「なら断ればいいじゃないか？ 誰か他の人に替わってもらえば？」
「そう言うんなら、お前さんが代わってくれよな、アーニー。俺はいつでも代わるぜ。怪我ぐらいさっさと治せばええだろうに……フーチ先生が俺を直々に推薦したっちゅうんで、断れんかったんだ」
アーニーは肩を竦めてみせた。クィディッチは大好きだったけれど、生憎と元から箒に乗るのは得意じゃない。そういえば名前の方は、一年生の頃の箒訓練で良い成績を出していた。後に聞いた話だが、入学する前からちょくちょく箒に乗っていたらしい。名前もアーニーが「イエス」の返事をすることを最初から期待してはいなかったらしく、アーニーと同じように肩を竦めた。
「ザカリアスなら、まだ寝てるんじゃないかい？ 昨日も遅くまで薬草学のレポートを仕上げていたみたいだし」
「まだ寝とるのか」
ありがとう、とアーニーに返してから、名前は男子寮の方へと向かった。きっと数分後には、寝ぼけ眼のチェイサーを引っ張ってくるのだろう。
「こんな朝早くから外で走り回ってるんじゃ、夜中にいびきかいて寝るわけだよな」
名前を見送りながら、苦笑混じりにジャスティンがそう言った。
名前がジャスティン以外の人間をファーストネームで呼ぶようになったのは、去年の事だった。いつまで経ってもマクミランだの、スミスだの、アボットだのと、ハッフルパフの同級生ですらファミリーネームで呼んでいた名前に、誰だったかははっきりと覚えていないが、いい加減まどろっこしいから、とＤＡメンバーのファーストネーム呼びを強制したのだ。確か、レイブンクローのチョウ・チャンではなかったか。チョウ・チャンが一つ上の先輩だったからか、名前はアーニー、ザカリアス、ハンナ、と名前で呼ぶようになったし、ハッフルパフ生だけでなく、チョウから始まって、ＤＡメンバーは全員ファーストネームで呼ぶようになった。
自分達の名前を呼ばせるようになったのが他の学年の生徒だというのが少しだけ癪に障るが、関わる人関わる人を殆ど全て拒絶していた名前の過去を思うと、とてつもない進歩なのだろうと思う。
彼は人狼なのだから、当然と言えば当然なのだろうが。
名前が人狼なのだと、皆が――つまり、ホグワーツの皆が――知ったのは二年前のことだ。ハグリッドの事を記事にしたリータ・スキーターに突っ掛かった名前が、今度はネタにされたのだ。そして、人狼なのだとバラされた。みんなは、特に名前をよく知るハッフルパフの同級生達は、それでそれまでの名前の態度に合点がいった。彼は人を遠ざけるように一人で行動したがったし、月に一度は医務室に入院していた。
しかし、その前の年の「闇の魔術に対する防衛術」の先生が最高にクールな先生だったことを、一体誰が忘れようか？ ルーピン先生は人狼だったけれど、今までで一番面白い闇の魔術に対する防衛術の授業で、最高の先生だったのだ。人狼をよく知らないマグル生まれの子だけでなく、魔法族の家の子も、そんなことで名前を嫌いになったりしなかった。
むしろ、スキーターに人狼だとバラされるだろうと解っていながら、敢然と立ち向かった名前を、みんな一層好きになった。
「ポーンをｃの７へ」
「クイーンをｈの５へ」
白いクイーンが動いたと思ったら、黒いナイトがずるずると引きずられていってしまい、アーニーは小さく悲鳴をあげた。
瞼が接着されているようなザカリアス・スミスを引き連れた名前・名字がやってきた時、アーニーは自分がどれぐらい長い時間、次の一手を考えていたのだろうと思った。昨日アーニーのキングが三度も同じ相手に王冠を脱いだのを覚えているのだろう、黒い駒達が発する不平の声はどんどんと大きくなってくるようだった。ワーワーと文句を言っている駒を無視しながら、アーニーは言った。
「ルークをｂの４へ」
「へえ、そう来るのかい？」
含みのあるジャスティンの声を聞いてから、アーニーは気付いた。
「あーあ」
ザカリアスが欠伸を噛み殺しながら声を漏らした。愉快げな色を滲ませている。名前はいつものように黙ったままだった。その目は一心にジャスティンの駒の動向を見詰めている。
「ビショップをｇの８へ」ジャスティンの白いビショップが軽快に動き、そして止まった。
「チェックメイト」
ジャスティンに負けたのは何度目だろう。アーニーの黒いキングは、憤りをぶつけるように、荒々しく王冠を投げ捨てた。
「アーニー、これって何敗目だ？」
ザカリアスが顔をにやにやさせながらアーニーに聞いた。アーニーがむっとしたのを見て、ザカリアスは更に笑った。
「なんだっていいだろ。君こそ、その寝癖、なんとかした方がいいんじゃないかい？」
ザカリアスはギョッとしたように、自分の頭に手をやった。
二人のクィディッチ選手が足早に談話室を後にするのを見送った後、アーニーは口を開いた。
「ジャスティン、もう一回やらないか？」
「いいよ」
ジャスティンは微笑んでそう答えた。
「じゃ……先攻か後攻、どっちがいい？」
「僕は――じゃあ、今度は僕が先手がいい」
「オーケー、それなら僕は黒だな」
ジャスティンが言い終わるか否かの内に、二人の会話を聴いていたチェスの駒達が一斉に動き出した。アーニーのチェスの駒達は黒から白へ、ジャスティンのチェスの駒達は白から黒へと変わった。
三十二個の、黒白合わせたチェスの駒が正しい配置に着くと、ジャスティンが言った。
「さ、いつでもいいぜ」
アーニーは、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ポーンをｅの４へ」
[ 670/832 ]
[＊prev] [next＃]
[モドル]
[しおりを挟む]