カナリア・クリーム

 授業が始まってからも何度かハグリッドの所へ赴いていたが、やはり扉は閉ざされたままだった。勿論、尻尾爆発スクリュートが全て死に絶えてしまい、落ち込んでいるからといった、そんな馬鹿げた理由ではない(それに幸いな事に、スクリュートはまだ三匹生き残っている。そして共食いの結果か、残っているのは図体が大きく凶暴なのばかりだ)。
 魔法生物飼育学は、引き続きグラブリー‐プランク先生が教えていた。どうもこの先生は、ハグリッドと違い、特別に怪物じみた生き物が好きというわけではないらしい。生徒達は授業において、死にかけるような事態には今の所陥っていない。名前以外の皆は大喜びだった。
 それでも何日かが経つと、生徒達は次第にハグリッドがどうしたのかと気にし始めた。そしてそれと同時に、スキーターの例の記事も広まっていた。今ではホグワーツに居る全員が、ハグリッドが半巨人だと知っていた。そんな事は些細な事だという風に、全く気にしない生徒も居るには居た。が、飼育学に関して言えば、グラブリー‐プランク先生にずっと居て欲しいという生徒の方が圧倒的に多かったので、名前は違う意味でも悲しかった。
 何度小屋の扉を叩いても、ハグリッドは出てきてくれなかったし、ただ日にちだけが過ぎていった。

 一月の半ば、ホグズミード行きが許されたので、名前はその日途中までハンナと一緒に村の中を歩いていた。一緒に服屋を回ったり、雑貨屋に行ったりしていたのだが、途中で別れたのだ。名前はスナッフルに会いに行く予定だった(ハンナには叫びの屋敷の探検に行ってくると言って誤魔化した。これが効果覿面で、一緒に行くかと誘ったが、彼女は「こんなに寒いのに? 冗談でしょう?」とまともに相手をしてくれなかった)。
 岩の隙間の洞窟にバックビークと一緒に隠れ住んでいるシリウスは、名前がハグリッドの事を話して聞かせると、鼻で笑った。彼も名前とまったくの同意見だった。ヒトじゃないから何だというのだ、ハグリッドが気のいい森番で、彼が居てくれるから自分達は安心してホグワーツで寝ていられる、そんな風に人を陥れようとする方がよっぽどどうかしている、と。
「その記事は何度か読んだよ。ホグズミードの住人達は、揃ってその日の新聞を捨てたんでね」
 その日のアニメーガス講義は、名前にとってとても有意義だった。シリウスが教えてくれた変身の理論やら仕組みやらが、半分ほどは理解できたのだ。どうもあの、『私はカモノハシだった』のおかげらしい。匿名でその本が届いた事をシリウスに話そうか名前は一瞬迷ったが、結局どうやって本を手にしたかについては何も言わなかった。とやかく聞かれるのは面倒だ。

「君もよく解ったと思うが、君が今まで習ってきた変身術とアニメーガスとでは決定的な違いがある。今まで君は、何か他の物を他の物へと変化させてきた筈だ。しかしアニメーガスは違う。自身が変身するわけだから。これまでとは何もかもが違うし、本当なら、五年生で教わる筈の範囲だ――だが君はずっと私が言ってきたのを聞いている筈だし、知識も得ている。私は君がそろそろ実際に動物に変身しようとしても構わないだろうと思う」
 シリウスはそう言うと口を閉ざし、名前が四苦八苦しながら変身しようとするのを眺めていた。喉の渇きを癒すかのように、彼がちびりちびりと飲んでいたバタービールがすっかり無くなった頃、名前は疲れ果てて座り込んでいた。アニメーガスになる為の呪文もその魔法の理論も、大体の部分は名前の頭の中に入っている。しかしながら、一時間以上経過しても、名前の頭から爪先まで、別の何かに変わる気配は少しもなかった。
 名前が「コツを教えてくれ」と頼んでも、シリウスは首を横に振った。それどころか、ニヤニヤと笑って、「自分が三年かけて苦労して手に入れたものを、あっさり人に譲るのは惜しい」と言った。あまりの大人げなさに名前は絶句していたが、シリウスは歯牙にも掛けず、「次はロスメルタの特製蜂蜜酒が飲みたい」とのたまった。名前はクリスマスに自分が贈った厚手のコートを(もっとも、古着屋で買った中古品だが)引っ剥がしてやろうかと本気で迷った。


 村外れでシリウスと別れた後、名前は三本の箒へ向かった。氷のようになってしまった体をどうにかしたかったし、もしかすると、ハンナも同じ事を考えて、パブの中で休んでいるかもしれないと思ったのだ。村の真ん中でけばけばしいバナナ色のローブの魔女とすれ違ったが、結局パブの中に入っても、ハンナはおろか、友達が少しも居なかった。ごった返している店の中、一人でテーブルを占領するのは気が引けたので、名前は注文したバタービールを受け取ると、当てもなく三本の箒の中をさまよった。
 ルーナ・ラブグッドがいつもの夢見心地な顔でぽつんと座っているのを見掛けたが、そこへ行くには相当の勇気が必要だった。彼女の所へ行ってみようと腹をくくった時、名前はそこから数席離れた場所に、そっくりの赤毛頭が二つ並んでいる事に気が付いた。

 あんな暗がりのテーブルで、フレッドとジョージは一体何をしているんだろう?
 興味をそそられたが、それよりも早くどこかに座って落ち着きたいという気持ちの方が強かった。ちらりと見えた二人の横顔はやけに真剣で、名前は自分が今の今まで気付かなかったのも無理はないと思った。フレッドとジョージが生真面目な顔をしているのは、そういう表情を『作っている』時ぐらいしか、名前は知らない。少しの間迷っていたが、結局、名前は椅子と椅子の間をすり抜けて、双子のところへと向かった。
「こんちは。ここ座っても良い?」
 声を掛けると、ピッタリ同時に振り向いた二人は、やってきたのが名前だと知ると、やはり全く同じタイミングで「ご自由に」と言った。
 名前はフレッドとジョージの隣にすとんと腰を下ろしたが、その瞬間に後悔した。二人が一瞬目を見交わすのを見てしまい、しかもそれが明らかに迷惑そうな雰囲気だったからだ。ルーナの所へ行くか、さもなくば意地でも誰か別の知り合いを見つけてそこへ行くべきだった。
 こうなれば、名前が取るべき道は一つ、熱々のバタービールをできるだけ素早く飲み終えてしまう事だ。しかしそれがなかなか難しく、冷え切った喉へ次から次へとバタービールを流し込むのはまるで何かの苦行のようだ。名前は何度か、熱い塊で喉を焼いた。
「一人で何やってるんだ?」出し抜けにフレッドが聞いた。
「叫びの屋敷を見てた」名前が言った。
「こんな寒い日に?」
 双子は揃って「解ったぞ」という目で名前を見たが、「じゃあ二人は何やってたの?」と尋ねると、それ以上の言及はしなかった。名前はまた、黙ってバタービールを飲んだ。

「俺達は、市場調査してたんだ」さらりとフレッドが言う。「ホグワーツの生徒達が必要としてるのは何か」
「ざっと見てみたところ、どうも生徒達は『自由な時間』が欲しいと思っている。無益な授業に現を抜かしているより――」名前は思わず小さく噴き出した。「――もっと有意義な過ごし方をしたいとね」
「となると、教師から上手く隠れなきゃならない」
「むしろ、どう誤魔化すかが重要かも」
「透明マントか?」
「いっそ自分だけのスペースを作ってしまうか?」
 気付けば、先ほどまでの重い空気はどこかへ吹き飛んでしまっていた。もちろん、彼らが名前に気を使ったからだが。「じゃ、例の店はまだ続いてるんだね」と言うと、二人はニヤッとした。
「ま、方法だけならいくらでもあるんだ。授業を中断させて、その隙に抜け出すとかな」
「糞爆弾を1ダース爆発させるとか。俺達でもやらないけど」
「しかし問題は、そういう『お騒がせ』系統じゃ、それほど売れないだろうってことだ」
「それに、下手すると出席が足りなくなる」ジョージは首を振って、どっかりと背もたれにもたれ掛った。
 二人とも、そっくり同じ顔で、お手上げだという表情をしていた。
「一回授業に出てから、先生が納得する理由で出ていけると良いんだろうけどね」名前が言った。
 フレッドとジョージは、悪戯専門店を開きたいのだ。学校を卒業した後、二人で一緒に。その為に今、必死で資金を集めている。彼らは以前、名前の所にも新製品を見せに来たことがあった。あの後双子は、いくらなら買うかと名前達に尋ねていた。スーザンが黄色いぽわぽわになったっけ……。
「カナリア・クリーム!」

 名前が突然叫んだので、双子は驚いて名前を見た。
「ね、あのクリーム、まだ残ってる?」
「いいや。作った分は全部売っちまったからな」
「だけど、レシピは残ってる。商品にするからな」
 フレッドの言葉に一瞬しょぼくれたが、ジョージがそう付け足したので、名前は俄然キラキラした目で二人を見詰めた。ウィーズリーの双子の二人とも、何故名前が急にカナリア・クリームの事を言い出したのか全く解らなかったし、何に使うのかも勿論解らなかっただろう。「できるだけ沢山欲しいの。あたしに売ってくれない?」
「良いぜ、そうだな……」フレッドが言う。
「カナリア・クリーム一ダースで、占めて――」ジョージは考え込むような素振りをした。
「五ガリオンだ」双子が声を揃えた。
「ごっ……」名前は絶句した。「五ガリオンとかそんな……」目の前のバタービールが、急に勿体なく思えてきた。財布の中にまで冬が訪れるという事と、これから先何か月も一切の嗜好品が買えないという事が頭の中をよぎり、名前は弱々しく言った。「良いよ、頑張ってちゃんと払うから……二人ともあたしに何の恨みが……」
「おい、おい、冗談だよ。何を弱気になってるんだ」
「それに売るのは良いけど、ちょっと待ってもらわなきゃならないぜ。色々と手間が掛かるからな」
「規則破りの手伝いだ。こりゃ、頑張らないといけないな」フレッドはニヤッと笑い、それからすっかり冷めてしまっているバタービールをぐいっと飲み干した。

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