ダンブルドアの「巨大な」過ち

 名前は走るようにして、勢いよく校庭を駆け抜けた。踏み固められた雪道が、くねくねと曲がっている事がひどく煩わしい。靴下の中までグショグショにしながら、全力疾走していた。一度か二度、ずるっと足を滑らせたが、それでも名前は走り続けた。いつもなら、放牧場から漂ってくる天馬の為のシングルモルト・ウィスキーの酒気でフラフラとするのに、今の名前にはそんな事は全く問題にはならなかった。
 ハグリッドの小屋の前に辿り着いた時には、名前は体中から汗を噴き出していて、肩で息をしていた。
 何日も降り続いた雪は止んでおり、久しぶりに太陽も顔を出している。そんないい天気だというのに、丸太小屋は全ての窓がぴっちりとカーテンで閉じられていた。ハグリッドはいつも、朝早くから畑の手入れをしていたり、禁じられた森の見回りに行っていたりするのに、今日という日だけは斧も鋤も石弓も、小屋の壁に立て掛けてあるだけだった。
「ハグリッド!」名前はドンドンと木の扉を叩いた。
 いくら名前が呼んでも、ハグリッドは姿を見せなかった。しかし、ハグリッドは朝寝坊を決め込んでいる訳ではない。何故なら煙突から、細い煙が上がっていたのだ。何の気配もしなかったので、名前は一、二度、小屋の屋根の上を確認しなければならなかった。
「名前だったら! ねえ、ここを開けてよ、ハグリッド!」
 その時、小屋の中で不意に何かが動いた音が聞こえた。大きな何かが、身震いしたような音だった。同時に小さくカリカリという音も聞こえてきた。ファングが扉を引っ掻いているのだ。しかし、ハグリッドは現れなかった。

 扉を叩き続けた名前の手は、赤くなり血が滲んでいた。
「ハグリッド! いい加減にしないとこのドア吹っ飛ばすぞ!」


 ――ダンブルドアの「巨大な」過ち。
 ダンブルドアは教師を雇う際に、常に少々問題有る人選を行ってきた。今年九月、元闇祓いであるマッド−アイ・ムーディ(誰彼構わず呪いを放つので、魔法省の役人はこの人事に関して眉を寄せた)を雇った事がその筆頭だ。しかしそのマッド−アイは、少なくともまともな人間である事には変わりない。ダンブルドアは新しい魔法生物飼育学の先生として、半ヒトを雇い入れた。
 自身が三年生の時に退校処分になったというルビウス・ハグリッドは、それまでダンブルドアが確保した森番という職を享受していたが、昨年からその校長に対する不可思議な影響力を持ってして、新しく魔法生物飼育学の座を射止めた。飼育学の授業において、ハグリッドは恐ろしいまでの怪物を繰り出し、生徒を怯えさせた。
「僕は去年、ヒッポグリフに襲われましたし、友達のビンセントはレタス食い虫にひどく噛まれました」四年生のドラコ・マルフォイはそう言った。「けどみんな、彼が恐くて何も言えないのです」
 威嚇の手を弛めないハグリッドは、自ら命名した「尻尾爆発スクリュート」という生物を生徒達に教えている。これは火蟹とマンティコアを掛け合わせた危険極まりない生物で、ハグリッドが創り出した生物だ。新種の生物の創造は魔法生物規制管理部が厳しく監視している行為だが、彼は自分には何の関係もないと思っているらしい。
 しかし予言者新聞は極めつけの情報を掴んでいる。ハグリッドは今まで純粋な魔法使いのふりをしてきたが、そうではなかった。彼の母親は女巨人のフリドウルファで、彼もその血をしっかりと受け継いでいる。
 過去に獰猛な巨人達は、闇の魔法使いである「名前を言ってはいけない例のあの人」に多くが味方した。マグルが大量に殺された事件の中でも最悪なものに絡んでいるのが、この巨人達だ。その為、闇祓い達に多くが殺されたが、フリドウルファはその中には居らず、今現在も所在は不明である。
 皮肉な事に、例のあの人を失墜させたあの男の子と、半巨人であるハグリッドとの信仰は厚いとの専らの噂である。しかしハリー・ポッターは大きな友人の不愉快な真実を知らないのだ。ダンブルドアはハリー・ポッター並びに他の生徒達へと、半巨人と交わる事の危険性を警告する義務がある事は明白だ――。

 ハグリッドの小屋の扉を、名前はずっと叩き続けていたが、ハグリッドはウンともスンとも言わずに無視を決め込んでいた。右手が段々と疲れてきたが、それでも名前はドアを叩いていた。
「ハグリッド! みんなが気にするって思うの?! そんな事ない、あたし達はみんな、ハグリッドが全然危険じゃないって知ってる! そりゃ、怒ったら恐いと思うよ、でもそれは誰だって同じだもん! そうでしょ? ――ハグリッド、お願い出てきて、顔を見せてよ……」名前はやがて、頭からドアにもたれ掛かるようにして立ち、そして小さく呟いた。その呟きは、誰にも拾われることはなく、真っ白い雪の中へと消えていった。
 ハグリッドが顔を出す事はなかった。
 名前はやがて、そっとドアから離れ、ほっぽり出されていた鞄を拾い、一度小屋の方を振り返ったものの、やがて城への道を歩き始めた。そんな姿を森番がカーテンの小さな隙間から覗いていた事など、名前は気が付かなかった。

 リータが書いた記事の事は、少なくとも生徒の間にはあまり広まっていないようだった。何せ元々日刊予言者新聞を購読している生徒など少ないし、わざわざクリスマス休暇最後の日に、新聞に目を通そうなどという生徒は少ない。しかし僅かではあるが予言者を読んでいる生徒は居るし、少なくとも先生方の何人かは、この記事に大いに遺憾を抱いているようだった。
 名前はリータの記事を読み終えた後、サッと教職員テーブルの方へと目を走らせていた。眉間に皺を寄せたスプラウト先生と、同じように口元を顰めているフリットウィック先生がぼそぼそと談義をしているのを見たし、天文学のシニストラ先生が隣にいる職員に予言者をぐいと差し出すのも名前は見ていた。
 恐らく今日明日中には、ハグリッドが半巨人だという事はホグワーツ中に知れ渡るだろう。


 巨人だって? それがどうしたっていうんだ――生憎と、名前にはそんな風に言う事は出来なかった。巨人が凶暴だという事を、身を持って知っている。過去に、彼らのおかげで危うく父親が死にかけた事があったのだ。幼い名前は、大切な父が大怪我を負わされたことを知って、巨人という存在に恐怖した。もちろん今では巨人がそういう生き物だということを知っている。獰猛で野蛮、それが巨人だ。
 しかし、半巨人だからと言って、ハグリッドのことを凶暴だなんて、これっぽっちも思っちゃいない。ハグリッドは友達だ。友達なのだ。正直なところ、名前は彼に巨人の血が流れているであろうことに気付いていた。そうでなければ、あの大きさはありえない。しかし、ハグリッドは友達だ。彼ほど生物達の事を気に掛ける人間が、このホグワーツにどこに居るだろう? 名前には、ハグリッドを傷付ける理由なんてない。
 スキーターがどうしてハグリッドが半巨人だという事を知ったのかなど、どうでも良かった。半巨人である事より、そういった人間を雇う事より、そうやって他人の事を攻撃する事の方が、よっぽどどうかしている。ハグリッドに会って直接そう言いたかったのに、彼は名前と会ってくれもしなかった。名前は、気が付いたら談話室に辿り着いていた。
 談話室の中はやはりいつもの談話室で、名前と同じように宿題の追い込みをしている生徒や、他愛なくチェスに打ち込む生徒、次の対抗試合がどんな課題なのかと喋っている生徒達でいっぱいだった。名前は人混みの中からハンナ・アボットの姿を見付け、が居る机に行くと、何の声もかけずに彼女の隣のソファーに腰掛けた。ハンナとアーニーがチェスをしていて、どうやらハンナは劣勢のようだった。
「ああ、名前、お願い話し掛けないで――ちょっと! その手はどうしたの!」
「え?」
 ハンナが驚いて叫ぶまで、名前は自分の手が今どういう状態なのかなど気が付いていなかった。彼女の視線の先を追うと、右手の小指側の側面が、真っ赤に腫れ上がっていた。所々青痣になりかけている所もあるし、血が滲んでいる箇所もある。改めて見てみれば、自分で言うのもなんだが、ひどく痛々しい。今まで全く気にかけていなかったのに、真っ赤に腫れた右手を見ていると、次第に痛みが広がってきた。
 しかし怪我をしている本人よりも、周りにいた友達の方が慌ててしまって、名前は他人事のように申し訳ないと思っていた。ハンナは名前の右手と名前の顔を何度も見て、それが凄まじいスピードなので、段々と彼女の顔がボケてきた。やはり、当事者である名前よりも、ハンナの方がよっぽど慌てている。
「医務室……医務室に行かなきゃ!」
「いや、僕らの部屋の方が近い。ちょっと待ってて――」アーニーはそう言って、バタバタと男子寮の方へ駆けていった。
 一分足らずで戻ってきたアーニーは腕に救急箱を抱えていた。彼は一体何をしたらこんな風になるんだとぶつぶつ言いながらも、驚くほど手際よく名前の手を消毒し、打ち身用の魔法薬を塗りつけた。包帯はぴっちりと巻かれ、少し動かしたぐらいではびくともしなかった。去年、名前はクィディッチのおかげで何度も怪我をしていたが、自分でやるとこうはいかなかった。もっとも、名前が不器用すぎるだけかもしれないが。
 名前は綺麗に巻かれた包帯を見ながら、何をしていたんだと怒り出したハンナに、今朝の日刊予言者新聞を無言で手渡した。適当に鞄に詰め込まれていたそれは、ぐしゃぐしゃになっていたものの、まだ新聞として機能できない程ではない。押し黙ったままの名前を見て、ハンナは一瞬訝しげな表情をしたものの、素直に読み始めた。しかしやがて、彼女は顔を曇らせた。ハンナの横から覗き込んだアーニーも、同じように顔色を変えた。二人が事態を理解するのに、少しの時間が掛かった。
「ほ、本当に?」ハンナが呟くように言った。「本当に、ハグリッドは――?」
 名前は彼女の声色に、ほんの僅かな怯えを感じ取った。

「もしもハグリッドをクビにしたりしたら――」名前が独り言のように言った。「――ただじゃおかない」
 ハンナもアーニーも、揃って名前の方を向いた。
 名前は午後になってからも、再びハグリッドの小屋へと向かった。今度はハンナも一緒だった。勿論、ちゃんと防寒着を着てだ。しかし結局ハグリッドは姿を見せなかったし、食事の際に大広間にも現れなかった。次の日から始まった授業においても、どうやら彼は来なかったらしかった。名前達は新学期の二日目に、丁度彼の授業があった。魔法生物飼育学だ。しかし森の脇にある小屋の前に立っていたのはハグリッドではなく、見たことのない中年の魔女だった。
 その魔女はグラブリー−プランクという名前で、ハグリッドの代理としてやってきた、飼育学の先生だった。グラブリー−プランク先生は生徒達を集め、ボーバトンの馬達の居る囲い地を通り過ぎ、森の際までやってきた。一本の大木に、成獣のユニコーンが繋がれていて、グラブリー‐プランク先生はじっくりと観察させた。一角獣には毒も牙もないので、名前は物足りなさを感じていたが、他の女子生徒達(男子生徒はユニコーンに近寄らせてもらえなかったのだ)はいつにもなく楽しそうだった。
「先生、ハグリッドはどうしたんですか?」
「気にしなくて良い――男の子達、あんまり近付くんじゃないよ!」
 名前は友達がユニコーンに夢中になっている時、グラブリー‐プランク先生にそう尋ねたが、先生はどういう理由でハグリッドが居ないのかは教えてはくれなかった。ユニコーンにこっそりと忍び寄っていた男子生徒の一団は皆どっきりし、おずおずと後退していった。名前は食い下がってグラブリー‐プランク先生に何度か尋ねたが、やはり何も答えず、それどころか次第に、名前が何を言っても無視するようになった。結局ハグリッドは、その日が終わっても、一週間が過ぎても、一度たりとも姿を見せなかった。

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