マーピープルの歌声

 屋敷しもべ妖精の事情がどうだかは知らないが、どうもホグワーツの屋敷しもべ妖精達は、あの可哀想なウィンキーの事を、迷惑に思っているようだった。付き合いきれないという風にウィンキーの方を見ている屋敷しもべが何人も居たのだ。
 みんな、泣き喚いて業務を怠る事は、妖精としての恥だと思っているようだった。
 クリスマスまでの何日か、名前は厨房へ足を向ける度、そっとウィンキーの様子を窺っていた。結局いつ見ても、ウィンキーはバタービールを飲んだくれ、泣いているようだった。
 名前はあの仕事一辺倒なクラウチ氏が、ウィンキーがこうして悲しんでいる事をチラとでも考えただろうかと少し不安に思った。もちろん自分の家の屋敷しもべ妖精を解雇しようが、それは主人であるクラウチさんの自由だ。聞いた話では、彼は一人で暮らしているようだし。自分も存外ハーマイオニーのSPEW活動に感化されているのだなと、名前は頭の隅で考えた。積極的に参加しているわけではない(ビラを配ったりだとか、友達をSPEWに誘ったりだとか)ものの、鞄の奥底には、彼女が作ったSPEWバッジが――Eの文字が少し歪んでしまっているあのバッジが――眠っていた。

 名前はハーマイオニーに、「ドビー」なる屋敷しもべ妖精が居る事も聞いていた。自由と権利に目覚めた屋敷しもべ妖精なのだそうだ。こちらの妖精はウィンキーと違い、陽気で、幸せそうだった。ハーマイオニーのSPEWの活動成果なのだろうかと名前は訝しんだのだが、どうもそうではないようだった。
「ハリー・ポッター様がドビーめを自由にして下さったのでございます!」
 彼、ドビーが名前に嬉々として語った事によると、ドビーは以前、とある偉大な魔法使いの一族に仕えていたのだが、内心ではあまり良く思っていなかったのだという(その事を漏らした時、ドビーの丸い緑色の目玉が不審に揺れ動き、かと思えば彼はいきなり側の机に走り寄って「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」と頭を打ち付け出した。どうも屋敷しもべ妖精の習性らしく、解雇された後であっても、以前のご主人の事を悪く言えないらしい)。それに気が付いたハリーが、機転を利かせてドビーの主人の手から、彼に洋服が行くよう仕向けたのだそうだ。
 無理矢理、人の財産を手放させたわけだ。
 名前は視線を上に向けて、どう反応しようかと迷っていたのだが、ドビーはそんな名前の様子に少しも気が付かなかった。
「ドビーは幸せ者です。週に一ガリオン、月に一度のお休みを頂けるのですから」
「へえー――一ガリオン?」名前はぎょっとして叫んだ。「給料を貰ってるの?」
 その時、厨房の中がサッと静かになった。しかしそれは一瞬で、すぐに元の忙しない音が聞こえ始めた。一体何だったのかと、名前は考える間を与えられなかった。ドビーが再び、「悪い子、悪い子!」と叫んで自分の頭を殴りつけ始めたからだ(今度は近くにあった燭台を使った)。名前は慌ててその細い両手首をひっ掴み、自虐を止めさせた。先程は呆気にとられて動けなかっただけで、名前だって屋敷しもべ妖精が自分をおしおきしている所など見たくもない。
「ありがとうございます、お嬢様」ドビーがハァハァと言った。
「あー……良いよ。ウン、主人と話し合って決めたんなら、別にお給料を貰ってようが、休みを貰ってようが良いと思うし……」
 名前がそう言うと、ドビーは屋敷しもべ妖精特有の、その大きな目をきらきらとさせた。
「話し合い!」相変わらずのキーキー声だった。
「何という素敵な言葉なのでしょう」

 何故か「ハリーへのプレゼントを渡したいのだが、どんな物にすれば良いのか」という相談に、名前は親身になって乗ってやりながら(とりあえず、男の子はみんなドラゴンが好きな筈だと教えておいた。魔法界の男の子は、みんなドラゴンに夢中になる時期が一度はあるのだ。もっとも、ハリーはマグル育ちだという事を、名前は厨房を出てから思い出したが)、周りの屋敷しもべ妖精の反応を見ていた。
 どうも、ハーマイオニーが望んでいるような事態になるのはまだ先のようだ。
 ハーマイオニーは屋敷しもべ妖精が、魔法使い達と対等に接し合えるような世の中になる事を望んでいる。いや、する事を目指している。その為には、まずは屋敷しもべ妖精達が、酷使されているという現状に疑問を持たなければならないのだ。しかしどう考えてみても、厨房に居る屋敷しもべ達は、『自由と権利に目覚めたドビー』をハウスエルフの恥曝しだと思っているようだった。
 賃金に休日? そんな物はナンセンスだ、自分達はただ主人の為に尽くしていれば良いのだ、と。

 名前はドビーと別れて厨房を出た後、思わぬ人物と顔を合わせた。ムーディ先生だ。
 ムーディ先生は厨房から現れた名前を見て、少し驚いたような素振りを見せたが、それ以上に名前が驚いた。どうしてこんな寒々しい地下なんかに、わざわざ先生が居るんだ? しかも休暇中だっていうのに? 目が合えば減点、口を開けば減点のスネイプよりはマシかもしれないが、ムーディだって、できれば休日に会いたくない部類だ。
「ほう!」ムーディが言った。相変わらず、彼が何を考えているのか名前にはさっぱり解らなかった。「名字、お前、妙な所に現れるものだな?」
 あんたもな!と名前は心の中で叫んでいたのだが、その反面ではビクビクしていた。今、名前は左手にシリウスへ送る為の、食べ物の沢山詰まったバスケットを持っている。とても名前一人が食べきれるような量ではない。もしもムーディ先生に、「それは一体何なのか」と聞かれてしまえば、名前は答えざるを得ない。元闇祓いである彼を相手に誤魔化せる自信など、元から皆無だった。そんな事になってしまえば、シリウスがどうなるのかあまり考えたくないし、彼の事を匿っている事も、そして名前がアニメーガスになりたいのだという事もバレてしまうかもしれない。(もっともシリウスがどうなろうと、正直な話、名前にはあまり関係はないのだが、バックビークの行方も心配だし、)自分が被害を被るのはごめんだった。
 ムーディの青いギョロ目がバスケットの方をジッと見詰めていたので、名前は気が気ではなかった。肩からずり落ちかけた鞄を抱え直しながら、彼が何かを言うのを待っていた。しかし名前の予想とは違い、ムーディ先生は名前を問い詰める事はしなかったし、むしろ気にしたりすらもしなかった。
「ディゴリーはあの卵の謎を解いたと思うか?」ムーディ先生が言った。
 セドリックだけを気に掛けているわけではないようで、ムーディはその後、ハリーや他の学校の生徒もあの卵から発せられる音の正体に気付いたかどうか疑問だと言った。ムーディ先生が言う事によると、どうやら先生は時々その魔法の目を使って代表選手達の方を窺っているようだった。彼らが謎を解けた様子が見られないらしい。
 名前は首をかしげてみせた。セドリックがあの卵をどうしたかなど、全く知らないのだ。ほんの時たま、談話室で他の六年生達と一緒に、あの金色の卵をちょっとだけ開いている事もあったが、咽び泣くような甲高い音に辟易して、パッと閉めてしまうのが大半だった。
「さあ……どうでしょう。見てる限りでは、まだ苦戦してるみたいですけど」
「そうか。――名字、お前、あれが水中人の声だと教えてやらんのか?」
 ムーディ先生はそう言って、にやっと笑って口を歪ませた。

 名前は金の卵から出てくるあの叫び声のような甲高い音が、水中人の声なのだろうと気が付いていた。以前ムーディに確認した事があったが、どうやら名前の考えはあっていたらしい。
 別に名前は、誰かから教えて貰ったわけではない。自分一人で、あれがマーピープルの声だと察しを付けたのだ。キーキーと甲高く、悲鳴のような音。実際に聞いた事はなかったし、勿論話せるわけがないのだが、本で読んだ特徴とはピッタリ一致していた。マーミッシュ語は空気中ではあのような金属音にしか聞こえないが、水の中で聞けばちゃんとした言葉に聞こえるそうだ。
「だって私が口を出す事じゃない、そうでしょう?」
「ほう? ホグワーツが勝って欲しいと思わんのか? それに、ディゴリーは同寮だろう」
 名前はムーディに言われ、少しだけ考えてみた。どうやったら、セドリックが不思議に思わないよう、卵から発せられる音が水中人だと教えられるというんだ?
 名前が黙り込んでいるのを見て、ムーディは小さく笑っていた。先程の意地の悪い笑みと違い、僅かに口角を上げるだけの、微笑みだった。


 名前は別に、自分が水中人の声だろうと察しを付けていたからと言って、セドリックにそれを教えるつもりなどなかった。勿論、ハリーにもだ。ただ談話室に戻った時、丁度セドリックが再び卵を持ち出し、六年生の友達と共に咽び声に挑んでいる所だったので、ついうっかり「それって音じゃなくて、声だよね」と言ってしまった。
「声?」セドリックが聞き返した。
 名前は十日ほど前に、セドリックにダンスに誘われてから、なんとなく彼と会わないようにしていた。どんな顔をすればいいか、見当がつかなかったのだ。そしてそれはもちろん今も変わっておらず、セドリックにまじまじと見られて(おかしなことに、彼の方は何も気にしていないように見えた)、名前の頬はほんのりと色付いていた。
 名前の独り言を拾い上げた彼は、何を言っているんだという目で暫く名前を見ていたが、やがて何かを思い付いたようにバッと駆け出した。金の卵を抱えて。置き去りにされた六年生達は、何なんだとセドリックが走っていった方を見たり、名前を見たりした。
 それから数分後、セドリックがバタバタと駆け戻ってきた。
「名前、ありがとう! 本当に!」
 セドリックはそう言って、座っていた名前にがばっと抱き付いた。何事かと此方を見たザカリアスは、そのせいで油断して積み上げていたカードのタワーを一度に崩れさせてしまい、カードが次々に爆発した。彼は「名前のせいだ!」とかんかんになって叫んだが、名前は興奮しきったセドリックを引き剥がすことだけに精力を注いでいた。名前がぐいぐいと押し返さなければ、彼はそのまま名前を絞殺しそうな勢いだった。珍しく騒いでいるセドリックを見て、談話室に居た半分の生徒が此方に注目していた。
「一体、どうやって解ったんだ? あれが水中人だって!」
 マーピープル?と何人かが聞き返した。
「え? エー……ムーディ先生が教えてくれて……」
 漸く離れたセドリックは、名前が言った事を半分も聞いていなかったように思えた。彼は何度も、ありがとうと繰り返した。

「マーピープルか……知らなきゃ気付かないだろうな」
 近くのテーブルに偶々座っていたアーニーが、勿体ぶってそう言った。焦げてしまった前髪を、どうにか戻せないかと弄くっていたザカリアスは、ムッとして「だからマーピープルって何なんだ」と聞き返した。
「水中人さ」アーニーが言った。「その名の通り、水の中に住んでる」
「という事は、あれはただの音じゃなくて、マーミッシュ語だったのね」
 やってきたスーザンがそう言った。どうやら会話が聞こえていたようだ。彼女と、そして一緒にやってきたハンナの視線の先では、金の卵の文句を全部聞き取るにはどうしたら良いだろうか等々、セドリック達が思案を巡らせているところだった。
「人魚とか、ああいうのの一種だよ。いや、人魚が水中人の一種なのかな? まあ取り敢えず、水の中に住んでる魔法族さ。マーミッシュ語という独特の言語を喋るんだ。知能も高いから、ヒトたる存在に定義されてる」アーニーが説明した。
「フーン」ザカリアスが言った。
 アーニーは素っ気ないザカリアスの返事も気にせず、そのままジャスティンやスーザン、ハンナと一緒に、次の課題は湖で行われるに違いないと話し始めた。
「で、何で先生は何で君に教えてくれたんだ?」
 爆発スナップのカードを拾い終えたザカリアスはそう尋ねた。名前は答える事ができなかった。別にムーディ先生に教えてもらった訳じゃないのだ。しかしそれを誰かに打ち明けるのは何だか嫌だった。質問に答えず再びカードを配り始めた名前を見て、ザカリアスは不愉快そうに鼻をひくつかせた。

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