間違い勘違い御門違い

 セドリックと別れた後、名前は急いで図書室に向かった。プロのクィディッチ選手が呼んでるなんて言われたら、行かないわけにはいかないじゃないか?
 名前もこの時ばかりは、一般的な女の子と同じようにドキドキソワソワして、殆ど駆け足になって図書室へと向かっていた。クラムにダンスに誘われたらどうしよう! そう考えると、流石の名前でも胸の高鳴りは押さえられなかった。もっとも、普通の女の子はホグワーツ中の抜け道を知り尽くしてはいないだろうが。
 名前は殆ど時間もかからず、図書室へとやってきた。もうすぐ閉館時間なので、殆ど人は居なかった。いつでも図書室に籠もっているような、ガリ勉の生徒達だけが、ぎりぎりまで粘ろうと机に噛り付いているだけだ。名前はマダム・ピンスに怒られないくらいの早足で、棚と棚の間を歩いた。
 セドリックは、魔法史関係の棚の所でクラムが待っていると言った。偶々クラムと出会った彼は、名前を連れてきて欲しいと頼まれたらしい。

 名前がひょいと顔を覗かせると、確かにそこにあのビクトール・クラムが居た。
 クラムはいつも追っ掛けの女の子達に囲まれていたが、今は他に誰も居なかった。上手く撒いたらしい。名前はホッとして、そしてそわそわしながら彼の元へと近付いた。しかしクラムが振り返った時、その違和感に気が付いた。そして、彼がむっつりとしたまま名前の事を見た時、理由が解った。セドリックは勘違いをしたのだ。
 クラムは急に現れた女子生徒を見て、何の反応も返さなかった。そして何事もなかったように、本棚へと向き直った。どうやら名前を呼んでいたわけではないようだ。名前は内心で「あー……」と呟き、クラムにどう話し掛けようかと迷った。ここまで来て引き返すのは、何だかとても間抜けだったし、名前だってあのビクトール・クラムと話がしてみたかった。
「こんばんは。いきなりで悪いんだけど、セドリックに誰かを呼んできてもらうように頼んだ?」
 急に話し掛けられたクラムは怪訝そうに再び名前の方を振り向いた。彼はむっつりしたままだったが、やがて口を開いた。
「君ヴぁ今、ヴぉくに話した?」
「うん、そうよ。あのね、もしかして、ホグワーツの代表選手のセドリック・ディゴリーに、誰かを連れてきてくれないって、あなた、頼んだ?」
 名前がゆっくりとそう言うと、クラムはやっと、名前が何を言わんとしているのか解ったようだった。名前は彼のブルガリア訛りの英語を聞き取るのに、少しだけ時間がかかった。
「確かに、ヴぉくヴぁ彼に頼んだ。呼んできてくれるように。彼ヴぁ承知した」
「オッケー――あー……イエスって事だけど」名前はそう付け足した。
 クラムがとても言い辛そうだったので、名前は先に、「セドリックは間違ったみたい。ごめんなさい、私を呼んだんじゃないんだよね」と言った。彼はこっくりと頷き、そして困ったように視線を漂わせた。名前は内心で苦笑していたものの、もう反面でプロのクィディッチ選手と生で話せるなんてと興奮もしていた。想定外の出来事にあたふたしているクラムは、ワールドカップで素晴らしいフェイントをしてみせたあのクラムとはまるで別人だった。
「あなたが呼びたい人、あたしが連れてきてあげる」

「何も言わなくて良いよ。よく図書室に居る人で、あたしと同じくらいの身長で、あたしと同じくらい髪が長い女の子だよね」
 名前がそう尋ねると、クラムは驚いたように、何度も頷いた。
「君……君ヴぁ……――」
「まっかせといて。一つ教えてあげる。あなたが誘いたい女の子はハーマイオニー・グレンジャーっていう名前」
 名前はクラムの言葉を遮って、そう言った。彼は暫く口をパクパクさせていて、名前はこうしてみるとあのビクトール・クラムも、自分とそう年の変わらないただの生徒なのだという事が理解できた。クラムはやがて、何かを呟いた。名前が聞き取れなかったのは、どうも彼がハーマイオニーの名前を呼びたいようなのに、全く『ハーマイオニー』だとは聞こえなかったからだ。
「……何って?」
「あー、ハー……彼女の名前ヴぁ、言うのヴぁすごく難しい」
「解った、オッケー……心配しないで。此処で待ってて、連れてくるから」
 名前はクラムをそこに残し(「もしもあたしが呼んだ女の子が、あなたが会いたい女の子だったら、名前・名字宛にサインを送って!」と彼に言う事も忘れずに)、急いでそこから離れた。何気ない調子で、近くの棚から本を一冊抜き取るのも忘れずに。
 クラムの所に行くまでに、名前は偶然にもハーマイオニーの姿を見ていた。彼女の元へと向かいながら、もう図書室には居ないかも知れないとも考えたが、そんな事は無かった。ハーマイオニーはいつもと同じように机に座り、本の山を高く築き上げ、何やら羊皮紙に書き込んでいた。都合が良い事に、一人だ。名前は口元で笑みを作り、すぐに彼女に話し掛けた。
「ハーマイオニー元気? 何やってるの?」
 彼女は顔を上げて、名前を見るとすぐに顔を和らげた。
「名前、良いところに。あのね――」
「――ねえハーマイオニー、ハーマイオニーってもう誰とダンスに行くか決まった?」
 名前は彼女の言葉を遮って、そう聞いた。ハーマイオニーは少しだけ驚いたような顔をしたものの、すぐに首を振った。名前は内心で、また笑みを作る。もっとも、名前はそれを顔には出さなかった。
「まだよ。何故?」
「なーんでも。話は変わるんだけどハーマイオニー、この本って――」名前は先程本棚から掠め取ってきた本を差し出した。クラムが居た所の棚の本だ。「どこの本だったっけ? 私忘れちゃって……ごめんね、もし良ければ返しておいてくれると嬉しいな、あたしちょっとこれからマクゴナガル先生の所に行かなくっちゃいけないのを思い出して……」
 名前が早口でそう捲し立てると、ハーマイオニーは最初は呆気に取られて見ていたが、マクゴナガル先生の名前を聞いた瞬間に、「早く行かなくっちゃ!」と名前を急かした。
「解った、私がちゃんと元の所へ戻しておくわ。名前は早く先生の所に行ってちょうだい」
「ありがとうハーマイオニー、ありがとう!」
 名前は大急ぎで図書室を飛び出すふりをした。早足で本棚の間を抜け、すぐに立ち止まった。名前がこっそりと、本棚の間から顔を覗かせると、ちょうどハーマイオニーが、名前が適当にひっ掴んできた『近代魔法界の主要な発見』を持って、向こうの方へと姿を消すところだった。名前はにんまりとし、それから図書室を後にした。
 マクゴナガル先生の所に行かなければならないというのは、ハーマイオニーを納得させる為の方便に過ぎなかった。しかし名前は出来る限り嘘は付きたくなかったし、何かの拍子にその出任せがバレてしまうのも嫌だったので、本当にマクゴナガル先生の部屋に行った。変身術について聞きたいことがあったのだ。用事があったのは嘘だったが、明日の授業の後にでも聞ければ良いと思っていたので、丁度良い機会だった。
 名前は先生の部屋の戸をノックし、それから取り替え呪文は動物と動物とで行っても有効なのかと尋ねた。マクゴナガル先生が答えてくれた事によると、勿論有効らしい。聖マンゴ魔法疾患傷害病院でも、治療として使用されているそうだ。名前は紅茶とジンジャーブレッドをご馳走になり、それから研究室を後にした。


 静物画を潜り抜け(「ニーズルの手も借りたい」)、談話室に戻った名前は、ハンナ達が居る所へ行こうとしたのに、その前にセドリックに呼び止められた。「あー、名前? もし良ければ、少し話さない?」
 名前が彼の元へと行くと、セドリックは少しだけ辺りに目をやり、驚いたことに外へ行こうと促した。彼が座っていたテーブルには、参考書の一冊も置かれておらず、セドリックはまるっきり手ぶらだった。自意識過剰と言ってしまえばそれまでだが、まるで、名前を待っていたみたいじゃないか?
 二人はトンネルを通り廊下に出た。静物画の食べ物達が、「折角通してあげたのに!」と先程談話室に入ったばかりの名前に文句を言ったが、名前は無視したし、セドリックも曖昧な笑みを返すだけだった。セドリックは、此処でもまだ話したくなさそうだった。もっとも、名前だってこの廊下では内緒話はしたくないと思うだろう。静物画の食べ物達は揃いも揃ってお喋りだから、一言でも聞かれようものなら、明日中にはホグワーツ全体に広がっているからだ。二人は手近な空き教室に入った。
「クラムにダンスに誘われた?」
 名前が教室のドアを閉め、適当な机の上に座った頃、セドリックがそう尋ねた。魔法で教室の燭台に火を灯したので、暗くはなく、名前からは彼の表情がよく見えていた。セドリックは決して、名前の方を向いてはいなかった。
 名前は少しだけ、どう答えようか迷った。おそらく、クラムがセドリックに頼んだのはお互いが顔見知りだったからだろうし、セドリックは見た通り好青年だから、クラムも言いやすかったに違いない。セドリックだって快く引き受けたのだろう。だからだろうか、「人違いだったみたい」とは言いにくかった。
 セドリックは名前のだんまりをどう解釈したのか、ただ、「そう」と小さく言っただけだった。

 名前はやっと、セドリックが今から何を言おうとしているのか理解した。
 理解に時間が掛かったのは、その答えが全く想像していなかったからだ。だって、名前とセドリックはただのチームメイトで、そう、ただの友達だ。名前が考えている事が、全くの見当外れという可能性もないわけではない――しかしながら、それは恐らく間違いだ。セドリックの頬がほんのりと紅潮しているのが、名前には解っていた。名前は何故か、自分まで何だか照れ臭くなってきた。彼の熱が名前まで熱くさせていた。
「あー……それで、」セドリックが、何とも歯切れ悪く言った。
「もしも僕が、君をダンスに誘ったら、君は承知してくれる?」
 名前は、「代表選手って一番最初に踊るんでしょ? あたしがそんなの堪えられると思う?」とか、「嘘、だってセドリックとあたしじゃ釣り合わないよ!」とか、そんないつもの軽口がまるで出てこなかった。
 セドリックのグレーの瞳に真っ直ぐ見詰められ、名前は真っ赤になったまま、口をもごもごさせるしかなかった。
「あの……あの、あたしもっと前に、他の人と一緒に行くって言っちゃって……だから……」
「――……そっか」セドリックは呟くようにそう言って、やがて微笑んだ。

 彼は穏やかに笑っていたが、それがとても苦しげに見え、名前は罪悪感で一杯になった。どうすれば良いのか解らなかった。しかしやがて、ゆっくりと口を開いた。
「あの……あたしもう寮に戻るけど、セドはどうする? 一緒に戻る?」
「ありがとう」セドリックは小さくそう言って、ただ首を横に振った。
 名前はセドリックを教室に一人残し、その場を後にした。扉をぴったりと閉めた後も、名前の心臓は何故かまだどきどきと脈打っていて、頬の紅潮は談話室に戻る頃まで元には戻らなかった。

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