トレーナーと意思の疎通を図ってみようとは思わなかった。喋りかけたらどうなるだろう。テレビ局に持って行かれるんじゃないだろうか。元の世界的に言えば、ペットのタマが急に「もう少しお高い猫缶が食べたいですニャン」とか言い出すようなものだ。立派な化け猫である。
 アニメのサトシとか、プレイヤーキャラのトウヤやトウコといった主人公的存在なら、喋るポケモンでも簡単に受け入れてくれそうな気がする。しかしこのトレーナーの下を離れてそんな彼らに出会える確率は、色違いに出会う確率よりも低いように思う。
 それに、飼い猫ならぬ飼いモノズで居るのはなかなかに楽だ。学校に行かなくていいし、勉強もしなくていい。ポケモンになりたくてなったわけではないが、思っていたよりは楽しい。目が見えたらもっと良かっただろうが。あと、ポケモンをプレイできたらもっと良い。

 逃げ出そうという気は起こらなかった。逃げたところで、人間に戻る方法はおろか、元の世界に帰る方法も、名前には解らないのだ。


 逃げ出そうとは思わなかったが、散歩してみようとは思った。
 上手くトレーナーの手を擦り抜けた名前は、一匹で家の外に飛び出した。家の外というか、部屋の外だった。集合住宅らしい。特に宛もなく彷徨い歩いていると、何人もの人間の気配を感じ取った。大人しか居なかった。集合住宅というか、会社の寮か何かなんじゃなかろうか。会社といっても、名前のトレーナーはサラリーマンのような気はしないが。というか職業:ポケモントレーナーなんじゃないんだろうか、この世界は。
 一匹だけで歩いているモノズを見て、何やらひそひそする者は居たようだったが、ちょっかいを出そうとする者は居なかった。ポケモン生イージーモードである。案内してくれる人が居たりするともっと良いんだけど、さすがにそれはない。

 がじがじ、がじがじと、手探りならぬ口探りでゆっくりゆっくり通路を進んでいく。もっとも、障害物らしきものはないのであまり噛み付いていないわけだが。あるのは大抵壁だった。何度か頭をぶつけた。この調子なら、ボーマンダに進化できるだろう。
 と、障害物。
 顔をぶつけたそれは何やら柔らかかった。多分、生き物なんじゃないのか。というか気配がする。音がする。匂いがする。生き物というか、普通に人間だ。多分ポケモンじゃない。甘いリンゴの香りが鼻腔を満たす。
 まあ、目と鼻と先に得体の知れない何かがあるなら、やることは一つだ。

 モノズはぱかりと口を開け、そのままその『何か』に齧り付いた。
 人間だと解っていて噛み付くなんて、名前だって正直どうかと思ったが、モノズとしての本能に逆らうことができない。知りたい、知りたい、知りたい。正体不明の物体なんて、恐いじゃないか。これだって、出来る限り我慢したのだ。三秒くらいは。許してくれ。


 結果的に、名前がぶつかり、あまつさえ噛み付いたその未確認生物は、まあ、人間だった。
 転倒させられ、噛み付かれ、さぞかし驚いたことだろうが、その『人間』は特にこれといって大きなアクションを起こさなかった。
「君はどこから来たのかな。外から迷い込んだわけじゃないみたいだ。誰かの友達なのかな」
 友達っていうか、手持ちですねと脳内で答える。
 頭上から降ってきたのは、子どもの声だった。何らかの寮じゃないかという予想に斜線を引く。モノズの頭突きで倒れたことから考えるに、せいぜい小学生くらいだろうか? ソプラノの声は、男の子なのか女の子なのかも解らない。とりあえず、その子どもが出会い頭に角(?)を引っ張ったりするような悪ガキじゃなくて良かった。
「心配しないで。ボクは君のことを助けられると思う。教えてくれたら、君の家に連れて行ってあげられる」少年は(「ボク」と言ったのだ、多分男の子だろう。まあ僕っ娘という可能性も無きにしも非ずだが)そう言ってから、ふと思い出したように付け足した。「ボクの名前はN。君の名前を教えてくれるかな」

 ……今この子、なんつった。

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