くたくたの一週間

 それからの一週間は、名前にとって地獄だった。おそらく、ホグワーツに居る誰よりも。もっとも、名前にとっては三大魔法学校対抗試合だとか、代表選手が四人選ばれただとか、どうでもいい事だった。『どうでもいい』は言い過ぎかもしれなかったが、そんな事よりも、一週間後に確実にやってくる本の返却期限の方が、よっぽど大事だ。
 名前は限られた七日間の間、朝から晩まで、それこそ文字通り寝る間を惜しんで読書に耽っていた。朝はいつも通りに起きていたが、夜は真夜中の三時を回ってからベッドに行った。クィディッチが無くなった為、放課後のクィディッチ練習が無かった事は幸いだった。名前は朝昼晩の食事を、詰め込むようにして大急ぎで食べていたし、何をするにも俊敏に動き、余った時間の全てを読書に回した。授業中も、名前は友達と離れて座り、最後列に陣取って、講義の内容を耳で聞き流しつつ、ひたすら本を読んでいた。
 魔法薬学や薬草学などの実技の授業が、いっそ煩わしいくらいだった。何度さぼろうと思ったことか。大好きな魔法生物飼育学の授業を、無くなれば良いと思ったのは初めてだった。
 もちろん連日の夜更かしは、すぐに授業に不都合を出し始めた。まず、闇の魔術に対する防衛術が散々だった。ムーディ先生はいつものように、生徒達に「服従の呪文」を掛けた。しかし名前は掛けられた瞬間、命令に耳を貸すどころか背きもせず(いや、確かに背いていた事にはなるだろうが)、気絶するようにばったりと倒れ、そのまま爆睡してしまったのだ。
 見ていたハッフルパフ生達が皆ぎょっとしたが、誰よりもムーディが驚いていた。ハンナが教えてくれた事によると、目をまん丸に見開きすぎて、あの青い目が落ちそうになっていたぐらいだったらしい。その話を聞いた時、何故ムーディはそこまで驚いたのだろうと不思議に思ったが、考えてみれば自分が掛けた呪文と明らかに違う効果が表れれば、誰だって仰天するだろう。名前は医務室で半日以上眠った後に目を覚まし、更にムーディに居残り罰を課せられた。
 呪文学では呼び寄せ呪文の練習を授業で少しもしていなかった為、授業の終わりに上手く披露する事が勿論できなかった。フリットウィック先生は名前に特別の宿題を出したし、魔法薬学では間違った順番で材料を入れ、ついに大鍋を溶かしてしまった。鍋を溶かすだなんて流石の名前でも初めての経験だったが、スネイプは少しも贔屓をせず、ハッフルパフから三十点減点し、罰則を出した(何日も続くものじゃなかったのは幸いだ)。そして最後に、名前は魔法生物飼育学でも失敗をしでかしていた。
 尻尾爆発スクリュートは、この頃には一メートルを超える大きさになっていた。ヌメヌメと青白かった胴体は、今や分厚く灰色に光る甲羅――鎧と言った方がより正確かもしれないが――に覆われている。やはり頭も口も目も解らず、尻尾らしき先端が時々バンと爆発した。サソリだかカニだかよく解らないその不気味な姿は、見る者全員をゾッとするような恐怖に陥れた。
 スクリュートはお互いに殺し合いをするからと、一匹ずつ木箱に隔離され、ハッフルパフとレイブンクローの生徒達はその中に色々な餌を放り込んでいたのだが――未だに尻尾爆発スクリュートの好物が発見できなかった。名前は、もしかしたらスクリュートはもっと特殊なものを食べるのではないか、と思い始めていた。魔法火だとか、マートラップのピクルスだとか――、眠気と疲労でうっかりしていて、餌を放り込んだ後に箱から手を取り出すのを忘れていた。
 右手に激痛が走ったのを感じた時には遅かった。ハンナとアーニーが二人がかりで、やっとの事でスクリュートを引っ剥がした(その際、やはりバンと尻尾が爆発し、アーニーの前髪が被害にあった)が、名前の右手は既に血塗れになっていた。
「だ、だいじょぶか!」逆に、ハグリッドは真っ青だった。
「ハグリッド、スクリュートはやっぱり口あるよ。でも歯は無いっぽいな……」
 血がだらだらと流れる傷口を見詰めながら、名前が他人事のように、ぼんやりと言った。ハンナが急いで名前の手を引っ張り、医務室へと連行した。マダム・ポンフリーは一週間で二度もやってきた名前を叱るやら呆れるやら、何とも忙しなく表情を変えた。
 しかし努力の甲斐あって、ついに名前は木曜の昼過ぎに、六冊の本の大体を読み終えた。
 確かに変身術は名前の得意な科目ではあったが、かといってスポンジが水を吸い込むように覚えるわけではない。名前は早速、次の作業に移った。アニメーガスになる為に必要だと思われる箇所を、丸々写すという大仕事だ。本を借りたのは前の土曜日だから、明後日には図書室に返さなければならない。図書館の閉館時間ぎりぎりまで返却するのを粘るとして、あと残り五十時間を切っている。しかしながら、六冊という本の膨大な量を読み終えた名前には、一種の自信が生まれていた。もしかすれば、全て間に合うかもしれない。焦りもあったが、それ以上に希望も出てきていたのだ。

 流石に、分厚い本を机の上で開き、その横で羊皮紙を広げているわけにはいかないので、名前は授業中は大人しく授業を受けていた。やはり机の下では禁書の棚の本を広げていて、隙あらば動物への変身の理論を詰め込んでいたが。ハンナはそんな名前を見て半ば呆れ、半ば咎めた。授業中に余所事をしているのはけしからんというわけだ。少しぐらいなら彼女だって目くじらを立てて怒ったりはしないが、毎日毎時間行われるそれに、いい加減愛想が尽きてきたらしい。
「まったく、貴方ったら何しに授業に来ているのよ」
 占い学の授業の後、談話室の隅の机を占領し、何冊かの本を広げてその上で羊皮紙を取り出し、ガリガリと一心不乱に文字を綴っている名前を見て、ハンナがそう言った。名前は先程の占い学の間、他の生徒達は月球儀や星図表を眺め、自分の一ヶ月後の運勢を星で占っている時に、ずっと机の下に『変身術大全』を広げていたのだ。名前が星図と向き合ったのは、トレローニー先生が近くを通った三回だけだった。十二月の名前の運勢は、結局ほとんど白紙で提出された。
 ハンナがぷりぷりと怒っている間も、名前は無言だったし、せっせと書き写していた。羊皮紙はとうとう一巻きを越え、二巻き目に突入していた。いつものレポートと打って変わった細かい字で書いているのに。纏めたら、薄い本ならば出来上がるかもしれないという量だった。名前は字の書き過ぎで痛くなってきた右手をプルプルと振り、また羽ペンを動かし始めた。
「まったくもう!」ハンナが言った。
「諦めろよ、名前に何かやってる時、横で言ったって仕方がないさ」
 悟ったような顔で、アーニーがそうハンナに言った。彼もどちらかと言えばハンナと同じ、品行方正な生徒だから、こうやって注意しているのを止めさせるなんて本当ならばおかしい。しかしながら、彼は一年生の時名前と仲違いしていた事をまだ覚えているのだ。ハンナは口を尖らせたが、それ以上は何も言わなかった。


 名前がアニメーガスになる為の読書に没頭している間、ホグワーツではハリーに対する陰湿な嫌がらせが横行していた。みんな、ハリーが目立ちたいが為に三大魔法学校対抗試合にエントリーし、何らかの姑息な手段で炎のゴブレットを騙したんだと信じ込んでいた。スリザリン生を中心に、『汚いぞ、ポッター』と明滅するバッジが広がっていた。
 ハッフルパフ生の間でも、そのバッジは大流行していた。おそらくスリザリン生の次に多く付けているのではないかという程だ。十人中の七人がマントやローブ、鞄にそのバッジを付けていて、事あるごとにそれを押し付け、『汚いぞ、ポッター』とチカチカさせた。ハッフルパフ生がそのバッジを持っているのは、何も『セドリック・ディゴリーを応援しよう――ホグワーツの真のチャンピオンを!』という文句の為だけではなかった。ハッフルパフ生の殆どが、ハリーに対して反感を抱いていたのだ。
 ハッフルパフ生は、ハリーがハッフルパフの栄光を横取りした、大半がそう考えていた。何せ、生き残った男の子、ハリー・ポッターだ。彼が何かをすれば、すぐにそれは際立ち、ハッフルパフなど霞んでしまう。クィディッチ杯でも、寮対抗杯でも滅多に良い成績を残さないハッフルパフは、今回の三大魔法学校対抗試合でセドリックが代表に選ばれた事を、本当に嬉しく思っていた。そこで、有り得ない筈の四人目の選手の出現――しかもそれが二人目のホグワーツ代表で、あのハリー・ポッター。
 今やハッフルパフ生全体が、グリフィンドールに対して悪感情を持っていた。グリフィンドール生とスリザリン生がぶつかっている時、普段ならばハッフルパフ生は傍観しているだけだ。それが今では味方に付かないどころか、冷やかして笑う程だった。
 ハンナもスーザンもアーニーも、名前の友達の殆どは、セドリック・ディゴリーを応援しようバッジを付けていた。みんながセドリックを応援し、ハリーを貶した。名前はというと、セドリックバッジを付けていなかった。ハリーが友達だという事もあったし、それ以上にゴブレットから四枚目の羊皮紙が出て、名前が読み上げられた時のハリーの表情を知っているので、付ける気にはなれなかったのだ。バッジを勧めたクラッブが、名前が首を振った時、「そう答えるのは解っていた」とでも言う風にすぐにバッジを引っ込めた事だけが、救いのように思われた。もっとも、名前がバッジを付けなかったのは、アニメーガスの事に掛かりきりで、他の事に取られている暇が無かった事も確かだったのだが。
 そしてその日、名前は二日間の徹夜の末、とうとうアニメーガスになる為に必要な箇所を丸々写し終えた。

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