ムーディのサイン

 それを受け取ったマダム・ピンスは、ムーディの魔法の目にも負けず劣らずの凄まじい眼力で、その薄っぺらい羊皮紙を眺め回した。鼻が引っ付くほど近付けて見たり、逆に腕が伸びる限界まで伸ばして離して見たり、裏側から灯りに透かして見たりしていたが、漸くそれが本物のマッド−アイ・ムーディのサインだと認めたらしく、信じられないとか何とか呟きながら、閲覧禁止の棚の方へ歩いていった。
 ムーディは名前が思ったよりも、あっさりとサインしてくれた。
 変身術の予習をしたいからとか、名前はもごもご言いながら、ムーディにサインをくれないかと頼んだのだが、彼がじろっと睨み付けるので、つい「父がアニメーガスだったから、私もそれがどんな魔法なのか知りたくって」と口走った。一応は、どちらも本当の事だった。名前の父親がアニメーガスだったのは本当の事だし、アニメーガスの魔法がどんな物なのか知りたいのも本当の事だ。ただ、父が動物もどきだったから知りたいのではなく、自分がなりたいから知りたいのだ。しかもどんな魔法なのか知りたいというのは、もっと正確に言えば、動物もどきになる為の具体的な方法が知りたいという事だった。
 名前は、ムーディが一言も何も言わずに自分を見続けていたので、嘘がばれたと思った。ここはムーディの部屋でなく廊下で、秘密発見器など無かったが、彼を騙すだなんて到底無理な話だったのだ。怒られる覚悟をしたのだが、ムーディが咎める事はなかったし、それどころかサインをしてやるからわしの部屋へ来いと言ったので、名前は内心で度肝を抜かれた。
 ムーディが名前の言った事を信じたのか、それとも父親の名前が効果を発揮したのか、はたまたムーディが特別に名前を気に入っているらしいからなのか、はっきりとした理由はついぞ解らなかったが、名前はこうしてマッド−アイ・ムーディ直筆のサインを手に入れたのだった。名前は名前が書かれた羊皮紙を受け取った時、初めてムーディ先生の名前がアラスターというのだと知った。

 やがて、マダム・ピンスは五冊ほどの本を抱えて戻ってきた。どれもが名前が注文した、閲覧禁止の棚の本だ。マダム・ピンスはくれぐれも扱いには注意するようにと恐い顔で命じ、名前は神妙に頷いていたのだが、図書室を出た瞬間名前は顔中を口にして笑った。
 ――ついに、アニメーガスになれるかもしれない!
 名前は急いで寮に戻り、自分の部屋に一人きりで籠もって、埃を被った本をばらばらと捲り始めた。全部で六冊の本を借りてきていたのだが、名前の勘はピタリと冴え渡り、借りた本のどれもが当たりだった。人を別の物に変える為の理論やら、全く違う動物への変身、動物もどきとは何なのか、名前が知りたい事の全てが載っていた。
 この本は一週間後には返さなければならないし、もう一度借りようとするなら、また誰か先生のサインが必要だった。ムーディが今日サインしてくれたのは滅多にない幸運だったと思っていたし、二度目はないだろうと名前は解っていた。以前マクゴナガル先生に頼もうと思った事もあったのだが、考えてみればマクゴナガル先生に『変身術大全』やら『有機物から有機物へ、動物への変身』やら借りたいと言い出せば、名前が何をしようとしているかバレてしまうに違いない。アニメーガスはただでさえ規制が厳しく、こうして未許可でなろうとしている事自体が法律破りなのだ。もしも何度も同じ本を借りて、それで誰かに咎められてしまったら、名前は杖を折られる事になりかねない。
 名前は残り一週間で、全ての本を丸々写してしまう事に決めた。
 もっとも、必要とするページだけだから、借りた本の全部を写す訳ではない。しかし名前はまだ四年生で、習っていないところだって当然ある。しかも大量にだ。アニメーガスの魔法を理解するには、その前の人の変身の理論をしっかりと理解しなければならないし、その理論を理解するには人体構造やら細胞やらをしっかりと理解しなければならないのだ。単にアニメーガスのページだけを写せば良いだけではない。
 名前は自分に一喝し、手近にあった『変身術大全』を手に取って読み始めた。まずは全ての本を読もうと思ったのだ。そうでなければ、必要な箇所が解らないじゃないか。一週間で六冊読破し、その上で必要な部分をメモしなければならない。名前自身あまりにも無謀にも思えていたが、昔からの憧れだったアニメーガスを諦める気には到底なれなかった。
 本当に一日中本を読んでいた名前は、日が沈んだ頃に腹の虫が鳴った事で我に返った。気付けば昼食を食べていないし、今日はハロウィーンのパーティーがあり、三大魔法学校対抗試合の代表選手が選ばれる筈だった。名前は宴会の席に本を持っていっては駄目だろうかと一瞬考えたが、やがて頭を振って、部屋を出てハッフルパフ寮を後にした。


 名前が大広間にやって来た時、丁度夕食の為に一番乗りの生徒達が席に座り始めていた。名前はいつも、席が空いていたとしても机の中ほどに座るのだが、考え直してテーブルの前の方に行った。公明正大なる選出者、炎のゴブレットがどうやって何十人もの生徒の中から、代表に相応しい者を選ぶのかを見たかったのだ。
 名前は友達が来るのを待ちながら、今朝は急いでいて見れなかったハロウィーンの飾り付けをまじまじと見た。どうやら例年よりも豪勢に飾り付けられているようだった。より沢山だったし、より華やかだった。何百個ものジャック・オ・ランタンがふわふわと宙に浮かんでいたし、その間を蝙蝠が群れを為して飛び交っていた。壁際にはハグリッドが育てた巨大南瓜が所狭しと並べられていて、恐そうな顔で笑っていた。
 フィルチが玄関ホールから炎のゴブレットを運んできた頃、大広間の四つのテーブルが徐々に埋まりだしていた。名前の隣にはハンナが腰掛け、向かい側にはアーニーが座った。やがてボーバトンとダームストラングの一行も到着し、昨日と同じようにレイブンクローとスリザリンの席に座っていた。
 やがて生徒の全員が席に着いた頃、ダンブルドアが立ち上がり、宴会が始まった。
 ハロウィーンのご馳走が並べられたが、多くの生徒達は気もそぞろで、豪華な食事にそれほど関心を抱いていないようだった。みんな、代表選手が誰になるのか気になって仕方がないのだ。ハンナを含め、何人かが非常にゆっくりとしたスピードでローストビーフを口に運び、それでいてソワソワと、何度もダンブルドアの方を見遣っていた。
 ハンナが言った事によれば、彼女は結局、本当に一日中玄関ホールに居たらしかった。ハンナが見ていた限りでは、立候補したホグワーツ生は、三十人は居たようだ。もっともセドリックと同じように、昨日の夜、誰も居ない時に名前を入れた生徒もたくさん居るに違いないから、実際はもう少し多い筈だ。
「ああもう、早く夕食が終わらないかしら。気になって仕方がないわ」
 名前も『早く終わらないか』という事には賛成だが、もっと言えば代表選手の選出すら早く終わらないかと思っていた。一週間後にあの本を返さなければならない以上、少しでも時間が惜しかった。食事に集中できていない彼女の隣で、昼ご飯も食べていなかった上、代表が誰なのかという事にそれほど関心が無い名前は、いつも以上にぱくぱくと夕食を食べていた。
 料理がデザートに変わり、名前がフランス料理らしきフワフワしたプリンのような物を食べ終えた後、金色の皿は磨き上がられたばかりのそれに変わり、盃も空っぽになった。生徒達のざわめきが一層大きくなったが、ダンブルドアが立ち上がると一斉に静かになり、全員が――ホグワーツの生徒も、ボーバトン、ダームストラングの生徒も、マダム・マクシームとカルカロフ校長も――彼が喋り出すのを心待ちにしていた。
「さて、ゴブレットは、ほぼ決定したようじゃ。わしの見込みでは、あと一分ほどじゃろうて。代表選手の名前が呼ばれたら、その者達は大広間の一番前に来るがよい。そして、教職員テーブルに沿って進み、隣の部屋に入るように。そこで、最初の指示が与えられるであろう」
 ダンブルドアは先生達が座っているテーブルの後ろにある扉を指し示しながらそう言い、やがて節くれ立った杖を取り出して、大きく一振りした。ダンブルドアの杖の動きに合わせ、大広間中の蝋燭の火がパッと消えた。後に残っているのはくり抜きかぼちゃの仄かな明かりと、煌々と燃えている炎のゴブレットの明かりだけだ。今や全員が、炎のゴブレットの青白い炎を見ていた。

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