スクリュートと反吐バッジ

 名前は防衛術の授業が終わった後、ごく稀にムーディ先生の部屋に御邪魔させてもらうようになった。生前の父親がどんな魔法使いだったかや、闇祓いになる為の修行の合間にどんな事があったかなど、ただ聞いているのは楽しかった。たまに、ムーディは名前がどんな学校生活を送っているのかも知りたがった。
「名字、お前は、わしからしてみれば孫のようなものなのだ」
 以前ムーディはそう言って、目を細めた。
 しかし十月に入った頃、防衛術の授業で「服従の呪文を実際にかけて、お前達がどのくらい抵抗できるのか試す」と言った時には、流石に名前も閉口した。先生の恐ろしい形相にも、唸るような声にも、グルグル回る目玉にも慣れ始めていたのに、マッド‐アイという名の如く、言うこと為すこと狂っていると思えてならなかった。
 それを聞いた時、生徒達は一時呆然として、やがて抗議の声をじわじわと上げたが、ムーディは無頓着で、「ダンブルドアがお前達に体験的に教えて欲しいと言っている」と言うだけだった。
 ムーディに呼ばれ、生徒達は一人一人前に進み出て、服従の呪文をかけられた。クラスメート達はそれぞれ国家を歌ったり、見事な体操を披露したり、犬の真似をしたりした。名前も勿論、順番になると服従の呪文をかけられた。
 服従の呪文にかけられると、何もかもがどうでもよくなった。心配事も悩み事も無くなり、頭の中に直接響いてきた誰かの声に、ただ従うだけで良いのだ。服従の呪文にかけられている間は、自分が何をしているのか、全く解らなかった。後からハンナに聞いたところ、名前は兎跳びで教室を一周したらしい。どうりで脚が痛い筈だ。

 他の授業もOWLに向けてか、どんどん複雑に、どんどん難しくなっていき、平行して山のような宿題も出された。どうやら昔からの伝統らしく、ふざけて「もう辞めたい」とチャーリーへの手紙に書いたら、「諦めろ」という返事が届いた。
 数々の授業の中でも、毎回許されざる呪文を掛けられる闇の魔術に対する防衛術と、ハグリッドの魔法生物飼育学が、生徒達の悩みの種でも最大級の代物だった。飼育学で皆が困る理由は、尻尾爆発スクリュートの存在だ。
 十月が半分ほど過ぎた頃、ハグリッドは尻尾爆発スクリュートのプロジェクトの一環として、一晩おきに生徒を交代でやってこさせ、その生態について観察日記を付けるという課題を出した。ハッフルパフの生徒もレイブンクローの生徒も、たった一人を除いて悲鳴を上げた。
 尻尾爆発スクリュートは、その名の通りと言えば良いのか、時々尻尾が爆発した。攻撃された時に火を吹くのは火蟹と似ているが、実際は殻を剥かれたロブスターのような生き物だ。頭は無く、代わりに胴体からは四方八方から脚が突き出ていて、青白くヌメヌメとしている。雄は針を持っており、雌は腹部に吸盤が付いていた。名前達が初めてスクリュートを目にした時は、彼らはほんの十五、六センチほどだった。しかし今では倍ほどに成長している。
 みんな、この訳の解らない生物に辟易していた。尻尾爆発スクリュートは、火傷させるし、針で刺すし、口も無いのに噛み付きもした。見た目も気持ち悪い上、九月からずっと色々な餌を試しているのに、彼らの好物は一向に解らず気味が悪かった。

 名前だけは、この尻尾爆発スクリュートを気持ち悪いだとか思っていなかった。どうしてこんなに可愛い連中をみんなが気味悪がっているのだろうと、不思議に思っているくらいだ。名前はハグリッドが観察日記を付けると言った時も悲鳴を上げなかった。それどころか、諸手を上げる勢いで賛成した。ハンナとスーザンが急いで名前の口を塞ごうとしたが既に遅く、ハグリッドはじゃあそうする事にしようと言って、満面の笑みでスクリュートの観察当番の順番を考え始めていた。
「私、あんな気持ち悪いスクリュートなんか、面倒見るのごめんよ!」
 授業が終わった後、ハグリッドの小屋が見えなくなった辺りで、ハンナがそう叫んだ。名前は聞く耳を持たなかったが、ハンナは尚も言った。
「あんな危険な生物……絶滅しちゃえば良いのに!」
「大袈裟だなー。それに、ちょっとぐらい危険な方が、退屈よりも良いじゃんか」
 名前がそう言ったが、ハンナはキッと此方を睨み付けた。
「尻尾爆発スクリュートが冬に凍死する事を願うわ、心から」
「んー……でも冬眠しない動物って、その前に卵を残したりして越冬しない?」
「そんな恐ろしい事を言うのはよして!」
 ハンナが怯えたようにそう言うので、名前は仕方なく揚げ足を取るのを止めた。


 恐ろしく難題な魔法薬学の授業の後、名前は一人で図書室に行った。スネイプ先生は解毒剤を研究課題として出し、生徒達は呻きながら教室を出た。一般の生徒と同じように薬学が嫌いな名前も同じく不満の声を漏らし、ハンナにレポートを写させて貰おうとしたのだが、すげなく断られてしまった。こういうのは自分でやらなきゃ駄目、だそうだ。
「ああ……そうそう、諸君らがやる気を出して頂けるよう、一つ提案をしよう。来週のこの時間、調べてきた解毒剤をその通りに調合し、実際に毒を飲ませ、ちゃんと効能があるかどうかを見極めることとしよう。我輩としても、君達が熱心にレポートを書く事を期待しているが……」
 スネイプ先生はそう言って、ちらりと名前を見下ろした。
 紛れもなく、スネイプは名前に毒を飲ませるつもりだ。もしも仮に、調べてきた解毒剤が、解毒できなかったらどうなるだろう。名前もそうなる事を阻止する為、今回ばかりは真剣に課題に取り組もうとしたのだが、こういう時に限ってハンナは本来の生真面目な性格を取り戻し、名前は一人きりで研究課題に挑まなければならなかった。普段なら、彼女は少しくらいなら名前に教えてくれるのに、一切無しだ。
 名前は小声でスネイプへの雑言をぶつくさと呟いていたが、ふと本棚と本棚の間から、ふわふわの栗毛を発見した。学年一番のハーマイオニーなら、解毒剤のレポートを手伝ってくれるに違いない。しかしどうも、気軽に話し掛けられるような雰囲気ではなかった。ハーマイオニーは机に向かい、何やら真剣に杖を握っていて、名前が近くまで寄っていっても殆ど反応しなかった。
 ハーマイオニーは自分の杖を、羽ペンを握るようにして持ち、左手に持った小さな何かに、細かい細工を施しているようだった。彼女の周りにはいつものように本の山が出来ていたが、その他に何やら箱が置いてあり、その中に五十個ほどのバッジが入っていた。一つ一つに、今彼女がしているように、お手製なのであろう文字が刻まれていた――SPEW。
「反吐?」名前は何事かと思って、ぽつりと呟いた。
 何でハーマイオニーは、反吐だなんて書かれたバッジを量産しているんだろう。
「まあ、名前――あっ……あーあ」
 振り返った彼女は驚いたように名前の名前を呼んだが、その後、残念至極という声を出した。どうやら驚かせてしまった為に、魔法で彫り込んでいた文字が歪んでしまったらしい。Eと入る筈の文字が、横棒を入れ過ぎてしまって、Tのような形になっていた。
「ハーマイオニー、それ何?」
「反吐じゃないわよ。エス、ピー、イー、ダブリュー――しもべ妖精福祉振興協会よ」
「しも……何だって?」
 名前が聞き返すと、ハーマイオニーは辛抱強く「しもべ妖精福祉振興協会!」と繰り返した。名前は魔法生物の事に詳しいと自分でも思っていたし、生物関連の様々な事象にも他の生徒達よりよっぽど知識を持っていると自負していたのだが、しもべ妖精福祉振興協会なんて聞いたことがなかった。もしもそんな物があったならば、ここまでハーマイオニーは熱心に屋敷しもべ妖精の奴隷労働を止めさせようだなんて思わなかったんじゃないだろうか。
「そんなのあったっけ?」
「なかったわ。私が創ったの」
 彼女があっさりと言ったので、名前は驚いた。
「しもべ妖精達の奴隷制度は、何百年も前から今まで続いてるの。私、徹底的に調べたわ。信じられない事よ――屋敷しもべ妖精達を保護しようっていう組織も団体も一つもなかったから、私が始めたってわけ」
 ハーマイオニーはそこはかとなく得意げで、この間とはどこか感じが違っていた。
「屋敷しもべ妖精の正当な報酬と労働条件を確保する事が、当面の目標なの。長期としては、杖の使用禁止に関する法律の改正や、妖精の代表を最低一人は『魔法生物規制管理部』に参加させる事を目指すわ。――まずはメンバーを集める事から始めて、段々活動を大きくしていこうと思うの。入会費を二シックルとして、バッジを――」ハーマイオニーはバッジが入っている小箱を取り上げた。「――買ってもらうの。名前も参加するでしょう?」
 彼女は期待を込めて、名前を見上げた。
 名前は暫く沈黙していたものの、やがて肩に掛けてあった鞄を漁り、さも申し訳なさそうに「アー……ごめん、今持ち合わせがないみたい。また今度で良い?」と言った。ハーマイオニーが頷いたので、「参考書を探さないといけないから」と言うと、逃げるようにその場を離れた。宿題をしなければならないのは本当だったが、二シックルを持っていないのは嘘だった。名前は普段からお小遣いを持ち歩いていたし、ワールドカップ以来何にも使っていなかったので、財布は小銭で膨れていた。

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