白いケナガイタチ

 午後一の呪文学、名前は殆ど身が入らなかった(もっとも、名前はフリットウィック先生がどうにも苦手なので、元から呪文学は真面目に受けていなかったが)。ハーマイオニーの熱い眼差しが、どうやっても頭から離れないのだ。
 ――屋敷しもべ妖精の奴隷労働を止めさせるだって?
 考えただけで、頭が痛くなってきそうだ。ハーマイオニーは屋敷しもべ妖精の制度がいつ頃から始まったものなのか、知っているのだろうか? 屋敷しもべ妖精の存在がどのように魔法界に根付いているのか、彼女は知っているのだろうか?
 答えはどちらも否だろう。名前は「応援する」とは言ったが、心の何処かで無謀だと思っていた。箒で火星に行くより難しい事だ。――なのに、胸が高鳴るのは何故だろう?

 フリットウィック先生は呼び寄せ呪文の意義についてというレポートを出し、生徒達に呻き声を上げさせた。薬草学でも腫れ草の生態を調べろという課題が出ていたので、ハッフルパフ生達は図書室に籠もる時間が倍になったと同じだった。四年生になったからといって、いきなり宿題の具合が増えるとは、皆思ってもいなかった。
 授業の後、名前は夕食に向かうつもりだったのだが、ハンナとスーザンが先に図書室に行って参考書になりそうな本を借りてくると言ったので、名前は先に大広間に行く事にした。図書室には昼間行ったし、もう一度行けば、確実に宿題とは何の関係もない本を探しそうだったのだ。階段を降りている最中に、名前は自分の前をマクゴナガル先生が歩いている事に気が付いた。先生は腕一杯の本を抱えている。
「先生、手伝います!」名前は急いで駆け寄った。
「いえ、いえ、ミス・名字――」振り向いたマクゴナガル先生は、名前を見て少しだけ表情を和らげたが、すぐに本を渡そうとはしなかった。「――大丈夫ですよ、ありがとう」
 名前だって、もしこれがスネイプ先生だったら、手伝うなんて言わないだろうし、むしろ踵を返したかもしれない。しかし他ならぬ、大好きなマクゴナガル先生だから申し出たのだ。
 名前はもう一度手伝いますと言うつもりだったのだが、マクゴナガル先生が持っている本を見て、言葉が何処かへ飛んでしまった。
「ミス・名字? どうかしましたか?」
「あ――いえ、何でもないです。半分持ちますよ、先生」
 名前が自分の鞄を背負うようにして、それからもう一度言うと、マクゴナガル先生は苦笑し、持っていた本を少しだけ名前に手渡した。『上級変身術』、『いにしえの変身−あなたはウサギになれるか−』、『物質を出現させるには』、『変身術概論――変化呪文からアニメーガスまで』。
「これって、マクゴナガル先生の本ですか?」
 名前は先生の半歩後ろを歩きながら何気なくそう尋ねた。
「いいえ。図書室の本ですよ。先程の、七年生の授業で参考書として紹介したんです」

 名前がずっと前から読みたかった本が、今まさに自分の腕の中にあった。
 名前は小さい時からアニメーガスになりたかった。それが去年の変身術の授業中にマクゴナガル先生がトラ猫に変身した事で、一気に火がついたのだ。名前は図書室にある、ありとあらゆる変身術の本を読み尽くしていた。が、動物もどきになる具体的な方法は、そのどれにも記載されていなかった。残りは閲覧禁止の棚だけだった。
 ビーキーの事があって、名前は去年図書室に行っている間はずっとヒッポグリフ関連の本を読んでいた為、アニメーガスの事については解らずじまいだった。――ウサギになれるかだって? なってやろうじゃないか。
 マクゴナガル先生が持っていた本は、全てとは行かなくても何冊かが禁書の棚の物だった。何千冊もあるホグワーツの図書館の事だから、アニメーガスになる為の方法が書かれた本があったって不思議ではない筈だ。閲覧禁止の棚の本を読む為には、教師の許可とサインが必要だった。
「あの、先生、私、実は読みたい本があって――」
 バーンという大きな音がして、名前の言葉は尻切れとんぼに終わった。
 名前もマクゴナガル先生もぎょっとして、急いで音源の方、階段の下を見た。二つ目のバーンが聞こえた時、二人は駆けるようにして階段を降りていた。
「そうはさせんぞ!」マッド−アイ・ムーディが吼えていた。
「敵が後ろを見せた時に襲う奴は気に食わん。鼻持ちならない、臆病で、下劣な行為だ――二度と――こんな――事は――するな――」
 ムーディは一言一言に力を込め、同時に杖を振っていた。ムーディの杖が上へ下へと動く度に、何か白くて細長い物がその杖の先の空中で、上へ下へと動いていた。その白い物は、何故かくねくねと動いているように見えた。
「ムーディ先生!」
 ショックを受けたようなマクゴナガル先生が叫ぶようにして呼び掛けると、ムーディは振り向き、「やあ、マクゴナガル先生」と何でもないように挨拶した。名前はマクゴナガル先生の後ろから眺めながら、ムーディの周りにハリーとロンとハーマイオニー、幼馴染みのクラッブとその友達のゴイル、そして夕食に行こうとしていたのだろう沢山の生徒達が、恐々とムーディを見ているのが解った。ムーディの奇行を前に、動けなくなっているのだ。

 マクゴナガル先生と話す間も、白い何かはキーキーと鳴き声を上げながら、やはりムーディの杖の動きに合わせてボンボンと跳ねていた。名前が思うに、それは白い毛のイタチだった。
「な――何をなさっているのですか?」
「教育だ」ムーディはあっさりと答えた。
「教――」マクゴナガル先生の顔が蒼白になった。「――それは生徒なのですか?」
「さよう!」
「そんな!」
 ムーディが言い、マクゴナガル先生も叫んだ。
 先生は唖然としたまま、一体ムーディに何と言えば良いのかと、口をぱくぱくさせた。奇人、変人、人間不信――ムーディを表す言葉は多すぎた。硬直しているマクゴナガル先生の隣で、名前は急いで杖を取り出し、弾んでいる白いケナガイタチに向けてヒュッと杖を振った。
 バシッと音がして、白イタチがいた所に、ドラコ・マルフォイが現れた。
 普段の青白い顔が今や燃えるように紅潮し、滑らかなブロンドはぐしゃぐしゃに乱れ、ローブもよれよれになっていた。あろう事か彼の青灰色の目は潤んでいる。いつもの威張り散らしているマルフォイと打って変わり、ひどく情けない姿だった。
「ほう――!」ムーディが感心したような声を出した。「やるな、名字――」
 名前はいきなり唸り声を向けられてどっきりした。ムーディの目(小さく黒い方も、大きなブルーの目も両方だ)が真っ直ぐと名前を見据えていて、間違いなく名前に言われたものだと理解できた。何故名前の名前を知っているんだろう。彼の授業はまだ受けていないのに。しかし名前はムーディが自分の事を知っていた事以上に、次の瞬間腕に加わった重みに対して驚いた。
「ムーディ、本校では懲罰に変身術を使う事は絶対ありません!」
 マクゴナガル先生は我に返ったのだろう、持っていた本を名前が抱えている本の上にドンと置き、叫ぶようにそう言った。名前は急に重くなった荷物に、フラフラするやら腕をガクガクさせるやら、立っているのがやっとの有様だ。大理石の階段を駆け下りたマクゴナガル先生の後を、付いていく事はできなかった。
「ダンブルドア校長が、あなたにそうお話しした筈ですが?」
「そんな話をしたかもしれん」
 そんな些細な事など、どうでも良いと言っているように聞こえた。
「しかし、わしの考えでは一発厳しいショックで――」
「ムーディ! 本校では居残り罰を与えるだけです! さもなければ、規則破りの生徒が属する寮の寮監に話をします」
「それでは、そうするとしよう」
 マクゴナガル先生の剣幕に押されたのか、ムーディは些か不満げではあるもののそう言った。
 ムーディとマルフォイが何やら会話を交わし、地下の方へと去っていった後(おそらく、スリザリンの寮監のスネイプの所へ行くのだろう)、人垣は俄に減っていき、ハッと気付いたマクゴナガル先生は慌てて名前から本を受け取った。名前の腕は痙攣し始めていて、あと十秒でも遅ければ本を取り落としていたかもしれなかった。先生が「ありがとう、もう夕食にお行きなさい」と言ったので、名前はお言葉に甘えてそのまま大広間に行く事にした。
 名前は同級生達が座っている所に行き、やがて先程の玄関ホールでの出来事を話して聞かせた。何の脚色もせず、ただ客観的に、ありのままを話した。いきなりやってきて何を話し始めるのかと名前を見ていたアーニーは、ぶほっと糖蜜パイを噴き出したし、ザカリアスは遠慮無く腹を抱えて笑い転げた。ジャスティンでさえも、苦しそうに体を捻って肩を震わせている。
「何だそれ! ムーディのやつ、最高だ! 僕も見たかった」
 ザカリアスはそう言って、心底悔しがった。

 何だあれ。ムーディってやっぱり狂ってる。名前は素直にそう思い、手持ち無沙汰にビーフシチューを掬った。しかし心の中では、早くハンナ達が来ないかなと考えていた。
 彼女達が大広間にやってくるのは十分後、ハンナが笑い出すのはその十数分後で、ムーディが義足を引きずりながら夕食を食べにやってくるのは、それから三十分が経過した頃だった。

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