改訂ホグワーツの歴史にも、選択的ホグワーツの歴史にも

 二日間降り続いた雨は名前が朝目覚めた時には既に上がっており、嵐も収まっていた。暗雲が立ち込めてはいたが、この調子なら今日一日は降らないだろう。名前はかぼちゃジュースを啜りながら、梟便の時間を待った。チャーリーから手紙が来ているかもしれないと思ったのだ。しかし昨日の今日という事もあって、デメテルは姿を見せなかった(デメテルはひどく大きなメンフクロウなので、沢山の梟達にまみれて飛んでいてもすぐに見つけられるのだ)。名前の所に飛んできたのは、いつものキリリとした、日刊予言者新聞のコノハズクだけだった。
 名前はコノハズクに代金を払って梟が飛んでいってからも、新聞を読む事はしなかった。夏の間は随分お世話になっていたが、ホグワーツで友達と一緒に居る以上、読んだって仕方がない。いつものようにクロスワードパズルだけ見ようと思って新聞を開きかけたのだが、ここ数週間で見慣れた隠れ穴の写真が載っていたので、名前は思わずその記事を読んでいた。
 例のスキーターが書いた、魔法省に関する記事だった。
 魔法省のトラブルはまだ終わっていない模様……マグル製品不正使用取締局のアーノルド・ウィーズリーの失態(もしかすると違うウィーズリーかもしれないが、不正使用取締局に居るウィーズリーは、アーサー・ウィーズリーの事の筈だ)……マグルの法執行官と揉め事を起こしたマッド−アイ・ムーディの救助に駆け付けた模様……こんな顰蹙を買いかねない不名誉な場面に、何故魔法省が関与したのか……。
 ゴミバケツ数個、という文字を読んだ時点で、名前には昨日の朝、ディゴリー氏がウィーズリー家にやってきた事に関連があるに違いないと踏んでいた。そしてそれは、まさしく当たっていた。ムーディの家に何者かが侵入したやら、ゴミバケツが暴れ回ったやら、警察やら、ディゴリー氏が早口で言っていたあの事だ。
 名前はウィーズリー氏を心配したが、新しい時間割が回ってきた事によってそれは打ち止めになった。名前達の一時間目は薬草学だった。いっぱい忘れ物が届いたとやきもきしているハンナを引っ張って、名前は校庭の隅にある温室へと向かった。

 三号温室にやってきたハッフルパフ生は、合同授業の相手であるグリフィンドール生と共に、第三温室に入った。スプラウト先生はブボチューバーの『膿』を絞る事が今日の課題だと言った。皆最初は腫れ草の異様な見た目――腫れ草は巨大な黒ナメクジが直立しているように見えた。一本一本にテラテラ光る腫れ物があり、その中には大量の膿がつまっていた――により嫌がっていたが、膿を取る作業は存外楽しかった。もっとも、そう感じていたのは名前だけだったかもしれないが。
「とても貴重な物ですから、無駄にしないように。膿を、いいですか、この瓶に集めなさい」スプラウト先生がそう言って杖を振ると、脇に置いてあった机の上にバタービールの瓶ほどの大きさの瓶が五十本ほど現れた。「原液のままだと、このブボチューバーの膿は皮膚に変な影響を与える事があります」
 名前達はドラゴン革の手袋をつけ、腫れ草の膿を絞った。プツプツと浮き出ている腫れ物を突くと、ブチュッと潰れ、中から黄緑色の膿がどろどろと垂れた。それを瓶で集める。名前はそれをなかなか面白い作業だと思ったが、他の生徒達、特に女の子達は皆嫌がっているようだった。ハンナもスーザンも、あからさまに嫌そうな顔をしていた。
「マダム・ポンフリーがお喜びになるでしょう」
 授業が終わる頃、最後の一瓶にコルク栓をしながらスプラウト先生が言った。
「頑固なニキビに素晴らしい効き目があるのです。このブボチューバーの膿は。これで、ニキビを無くそうと躍起になって、生徒がとんでもない手段を取る事もなくなるでしょう」
「可哀想なエロイーズ・ミジェンみたいにね」
 ハンナがそっとそう言い、聞こえていたらしいスプラウト先生が更に付け足したので、名前は笑いを堪えるのに必死だった。確かに彼女のニキビは他の人より強烈だったが、名前だったら自分で取り除こうだなんてしないだろう。ニキビの代わりに鼻が取れてしまった彼女は、マダム・ポンフリーに無事付け直してもらったものの、顔の中心からほんの少しずれてしまっていた。
 薬草学が終わった後は変身術で、名前達は取り替え呪文を習った。ある物からある物へ、その名の通り取り替え、つまり付け替える事ができる呪文だが、どうにも使用法が解らなかった。もしかしたらニキビを取るのには有効だったのかもしれない。使い方を誤らなければだが。名前がそっと囁いた事を聞いたハンナは、クスクス笑いが止まらなくなってしまった。

 昼食の後、名前は一人図書室へと向かった。夏休みの間に借りていた本を返しに行こうと思ったのだ。案の定、授業が始まって一日目だというのに、数人の生徒達が広い机を独占し、読書に耽っていた。名前はマダム・ピンスに睨まれるようにして本を返却し、そのまま図書室をウロウロする事にした。去年だったら、こんな風に中途半端に時間が余れば、野良犬に餌をやりに行っていたのに、その犬は居なくなってしまったので、名前は時間の良い使い方を新たに見つけなければならなかった。
 黒い野良犬は実は世間を騒がせたあのシリウス・ブラックだったのだが、名前は彼が十三人ものマグルと魔法使い一人を殺したわけではないと偶然知っていた為、彼が一度捕らえられ、それからまんまと逃げ出してしまった事を残念にも思わなかったし、凶悪犯の影に怯える事なく外を歩く事ができた。もっとも名前の保護者は、必ずしも名前と同じ考えをしているわけではなかったので、名前は結局の所、夏の間ずっと家に閉じ籠もっていたのだが。
 名前はふと、自分が手招きされている事に気付いた。ハーマイオニーが何か必死な顔で、名前に向かって手を拱いている。名前は吸い寄せられるようにして、彼女の隣に座った。
「名前、良いところに来てくれたわ!」ハーマイオニーが勢いよく言った。
「ねえ、名前も見たでしょう? ウィンキーのあの扱われ方を。皆、あの子がまるで感情が無いみたいに、『しもべ』なんて呼んで。あの妖精達は、給金も貰ってないし、病欠も、年金も、何もかも貰ってないの。これは立派な奴隷労働よ」
 彼女はとても早口にそう捲し立てたが、名前には彼女が言っている事はよく解っていた。
「私、前に貴方と一緒にバックビークの裁判の資料を探してた時から引っ掛かってたの。魔法界の人達は、自分達魔法使い魔女以外の生物に冷たすぎるわ。マグル差別だなんて言うけど、それだけじゃない。マグルを差別しない、擁護しようなんて言っている人達も、平気で魔法生物を虐げるの。――ルーピン先生が良い例だったわ。あの人は自分が狼人間だと露見したから、防衛術の先生を辞めてしまった。あんなに良い先生は居なかったのに」
 彼女が「そうよね?」と言いたげな目で自分を見詰めていたので、名前はこっくりと頷いた。ハーマイオニーがどんどん此方に身を乗り出してくるので、名前は殆ど仰け反るようにして椅子に座っていた。
「屋敷しもべ妖精を始めとした魔法生物達は、もっとちゃんとした法的地位を得るべきよ。虐待もされず、そりゃ勿論、対等にというのは難しいって解っているけど、必要最低限の配慮はなされるべきだわ! あの子達にだって心はあるんだもの! 名前だってそう思うでしょう?」
 ハーマイオニーが段々と熱くなって来たので、名前は「声、声!」と息を殺して咎めた。初日からマダム・ピンスに睨まれてはたまらない。ハーマイオニーは今気が付いたようにパッと口を押さえ、それからきょろきょろと辺りを見回して司書の影が無い事を確かめると、先程よりは幾分小さな声で話し出した。
「私、昨日初めてホグワーツにも屋敷しもべ妖精が居るって事を知ったわ。しかも、百人も。でも、『ホグワーツの歴史』には妖精達の事なんて、全く書かれていなかった。『改訂ホグワーツの歴史』にも、『偏見に満ちた、選択的ホグワーツの歴史――イヤな部分を塗りつぶした歴史』にも。彼らの奴隷労働を少しでも早く止めさせるべきだわ」


 ハーマイオニーは、屋敷しもべ妖精の立場を向上させる為に全力を尽くすつもりだと言った。名前は半ば感心して、そして半ば呆れた。確かに、彼女の言っている事は尤もだし、名前だってずっとそう思ってきた。
 屋敷しもべ妖精の制度は非人道的だし、マグル界では奴隷労働は禁止されているそうだから、ハーマイオニーが怒るのも解る。ただ、彼らは魔法生物であって、ヒトではないのだ。

 屋敷しもべ妖精達は、本当の事を言えば、魔法使い達と同じように魔法を使う事ができる。彼らはホグワーツの中でも姿くらましできるように、細かい部分では違うのかもしれないが、確かに魔法族には分類されるのだ。知能だって高いし、魔法使いと会話ができるという時点では、対等だと言っても良い。しかしながらそういう括りにすれば、フィレンツェのようなケンタウルス達や、グリンゴッツの小鬼など、人語を理解する生物は多い。実際、小鬼と魔法使いとの間では、お互いの技術(ゴブリンの武器加工技術と、魔法使い達の魔法の杖製造技術だ)を巡って、今まで幾度となく小競り合いが起きている。
 どこからどこまで、どういった分類で魔法生物と自分達を分ければ良いのか、それは魔法界がずっと直面してきた問題だ。人狼や吸血鬼なんてものも居て、その境界線はハッキリと定める事が出来ていない。だから今現在、狼人間達は職を見つけるのに苦労するし、屋敷しもべ妖精達は無賃金の労働を強いられている。名前だって、それがベストだとは当然考えていない。

 しかしだからと言って、それを変えようだなんて思わないのだ。ハーマイオニーが言うのを聞かなければ、これからだって考えないに違いない。名前はハーマイオニーがさも当たり前のように『屋敷しもべ妖精の奴隷労働を止めさせなければ』と言ったのだ。名前には理解できない情熱だった。
「ハーマイオニー、厨房に行ったことってある?」名前はふと尋ねた。
「ないわよ。どうして?」
 彼女が不思議そうに聞き返したので、名前は「何でもない」と首を振った。

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