防衛術の新しい先生

 城に辿り着く頃には、空に稲妻が走っていた。名前達は素早く馬車を飛び降り、雨に濡れないよう目の前に広がる階段を急いで駆け上った。樫の大扉を潜り抜ければそこは玄関ホールだ。松明が不気味に揺らめいていて、名前達はやはり急いで大理石の階段を上った。
 大広間は以前と少しも変わらず、四つの長テーブルがあり、一番前には教師陣が座るテーブルがあった。机の上には金の皿とゴブレットがあり、幾百の蝋燭は宙に浮いている。名前は教職員のテーブルの端から端まで見渡しながら、ハッフルパフのテーブルへと座った。

 大広間の席が全て埋まり、皆の腹の虫が鳴り止まなくなってきた頃、大広間の扉がパッと開いた。マクゴナガル先生に引率されて、新入生達が入ってきたのだ。喋り声が消え、一同はしんとなって、彼らを見守った。
 一年生達は頭から爪先まで、ぐっしょりと濡れていた。止め処なく水滴が滴り落ちていたし、歩く際に靴の中からがぽがぽと音がしていた。あんな大嵐の中、湖を小舟で渡ってきたのだから当然だ。名前は中央よりの席に座っていたので、彼らの凍えきった顔を間近で見る事ができた。寒さと、上級生達の視線と、これから何をするのかという不安とで、彼らは空を映す天井にも目を向けなかった。テーブルが四つあり、それぞれ同じ色のネクタイの生徒で固まっている事にも、気が付いているのかどうか。
 一年生は先生方の前に整列し、やがてマクゴナガル先生が三本足のスツールを持ってきて、その上に、あの組み分け帽子を置いた。帽子が息を吹き返し、朗々とした歌声が大広間に響き渡った。

 ――今を去ること一千年、そのまた昔その昔
 ――私は縫われたばっかりで、糸も新し、真新し
 ――そのころ生きた四天王、今なおその名を轟かす

 名前は一年生達が仰天しているのを見ながら、組み分け帽子の歌を聴きながらも、ふと教職員テーブルを見回した。ダンブルドアにマクゴナガル、スネイプ、スプラウト、フリットウィック。順々に先生達の顔を見回していったが、驚いたことに、見慣れない顔が一つもなかった。
 去年一年間、闇の魔術の防衛術を教えていたルーピン先生は、訳あって学年末に辞職してしまった。だから、防衛術は空席になっていた筈だ。名前は新しい先生が居るものと思っていたのに、教職員のテーブルに座っているのは知った顔ばかりだった。

 ――魔法使いの卵をば、教え育てん学び舎で
 ――斯くしてできたホグワーツ

 名前は体をねじるようにしてハンナを振り返り、防衛術の先生が居ない事を小声で教えた。彼女は最初、名前が振り返った事に対して咎めるように目を細めたが、やがて名前が言いたい事を察すると、同じように首を傾げた。やはり何度見ても、新しい先生は居なかった。
「どういう事かしら?」
「ダンブルドアが、新しい先生を見つけられなかったのかな?」
 名前とハンナはこそこそと言葉を交わしたが、反対側に座っているスーザンが、唇と唇を引っ付けたまま、「ちゃんと聞かなきゃ、駄目!」と押し殺した声で凄んだので、名前は慌てて前を向いた。組み分け帽子は、今は寮の特質を歌っていた――グリフィンドールは勇気を、レイブンクローは賢さを、ハッフルパフは勤勉を、スリザリンはその野望を。

 ――グリフィンドール、その人が
 ――素早く脱いだ、その帽子
 ――四天王達それぞれが、帽子に知能を吹き込んだ
 ――代わりに帽子が選ぶよう!

 ――被ってごらん、すっぽりと
 ――私が違えたことはない
 ――私が見よう、皆の頭
 ――そして教えん、寮の名を!

 ぼろぼろの帽子が口を閉じると、大広間中から拍手が送られた。やがて、マクゴナガル先生が太い羊皮紙の巻紙を読み上げ始めた。アルファベット順で生徒が呼ばれ、一人ずつ組み分け帽子を被った。
 名前はスチュワート・アッカリーがレイブンクローの席に走っていくのを見ながら、今年の闇の魔術の防衛術の授業がどうなるのだろうと考えた。防衛術が苦手な名前にとってみれば、開講されなかったら夢のようだ。もちろん、そんな筈はないだろうが。エレノア・ブランストーンがハッフルパフになり、名前は精一杯拍手した。エレノアはスーザンの隣に座った。
「コールドウェル、オーエン!」
「ハッフルパフ!」
 二人続けてハッフルパフ寮だ。名前は小走りでやってきたオーエン・コールドウェルを、拍手して迎えた。隣に座り込んだオーエンがずぶ濡れのビショビショだったので、名前はこっそりと杖を振って、頭から爪先まで乾かしてやった。
「――すっごい!」オーエンが小さく叫んだ。
 名前はにっこりして、組み分けの儀式を眺める作業に戻った。デニス・クリービーが、隣のテーブル、グリフィンドールの長机に走っていくところだった。ハグリッドに着せてもらったのだろう厚手木綿のオーバーが、ずるずると引きずられていた。
 最後の一人、ケビン・ホイットビーがハッフルパフに決まると、マクゴナガル先生が帽子と椅子を片付けた。やがて徐に立ち上がったダンブルドアは、微笑みながら一言だけ言った。
「思いっきり、掻っ込め!」

 金色の皿が食べ物で一杯になり、名前はどれから食べようかと目移りした。自分の皿に山盛りに積みながら(スーザンが困惑しきっているらしいエレノアの皿を、食べ物で一杯にしていた)、名前はハッフルパフのテーブルを見回した。少し向こうではザカリアス・スミスが、珍しくもクィディッチのチームメイトと話し込んでいる。その反対側にはジャスティンとアーニーが居て、ハッフルパフ寮付きゴーストの太った修道士と何やら談義をしていた。名前は、今年のホグワーツで何があるのかと聞いているのではないかと思った。アーニーは、ホグワーツ特急に乗っている時、わざわざ名前の所まで訪ねてきて、何か知らないだろうかと聞いていたのだ。
 やがて料理がデザートに変わり、最後のパイ屑が無くなって皿が元通りピカピカになると(オーエンがまたしても、「すっごい!」と叫んだ)、ダンブルドア校長が立ち上がり、大広間は静寂に包まれた。ダンブルドアは最初に持ち込み禁止品の事に少し触れて、それから名前達にとっての最重要事項を、あっさりと言い放った。
「寮対抗クィディッチ試合は今年は取りやめじゃ」
 ダンブルドアは、「これを知らせるのはわしの辛い役目での」と言ったが、殆ど名前の耳には入っていなかった。クィディッチ試合が取りやめだって? そんな馬鹿な……そんな事許される筈ない、犯罪だ……。だって、今年こそ優勝しようと言ったのに……。
 名前は唖然として、この事態にセドリックがどう反応しているか見ようと思った。彼はハッフルパフ・クィディッチチームのキャプテンだったし、アーニー達の向こうの、名前の目の届く範囲に居たのだ。しかし名前はセドリックを見る前に、ザカリアスと目が合った。ちょうど此方を見ていた彼は、何故かそれほどショックを受けていないように見えた。彼も自分と同じチェイサーで、クィディッチが大好きな筈なのに、と名前が不思議に思っていると、やがてダンブルドアが再び話し始めた。名前は慌てて前を向き、長い白髭を生やした校長を見詰めた。
「これは、十月に始まり、今年の終わりまで続くイベントの為じゃ。先生方は殆どの時間とエネルギーをこの行事の為に費やすことになる――しかしじゃ、わしは、皆がこの行事を大いに楽しむであろうと確信しておる。ここに大いなる喜びを持って発表しよう。今年、ホグワーツで――」
 今年、ホグワーツで何があるのか、一人の男の登場によって解らなかった。


 大広間の扉が大きな音を立てて開いた。戸口には、一人の魔法使いが立っていた。
 耳を劈くような雷鳴と共に入ってきた男は、異様な雰囲気を纏っていた。少なくとも、ホグワーツには似つかわしくない雰囲気だ。
 男は黒い旅行マントを羽織り、長いステッキを手にしている。顔は傷だらけで、鼻は削がれ落ちているように見えた。暗い灰色がかったまだらの髪をしていて、その男が一歩歩く毎にコツッ、コツッと、木杭が打ち付けられるような音がした。しかし何よりも、その男の目が皆の注目を集めた。右目は普通だった――何の変哲もない、ただの黒い目だ――男の青い左目はシックル銀貨ほども大きく、前後左右、自在にぐるぐると動き回っていた。瞬きもせずに。
「マッド−アイ・ムーディ……?」名前は小さく呟いた。
 男は暴風雨に晒されていたが、それ以上に歴戦を潜り抜けてきた風格を醸し出していた。やはり、ホグワーツには到底似つかわしくない。不気味だし、こんな所に居る筈のない人だ。しかし名前は、今朝ウィーズリー氏や、ディゴリー氏が話していた事を思い出していた――マッド−アイは今日から新しい仕事に就く事になっている……。
 だって、そんな馬鹿な――?

 誰も、一言も口を利かなかった。ムーディは一歩一歩、コツッ、コツッと音を立てながら歩いてきた。やはり、遠目から見てもそうだったのと同じように、彼の左目は上下左右に絶え間なく動いていた。名前は一瞬だけ――錯覚だった気がしないでもないが――そのブルーの瞳と目が合った気がした。
 教職員のテーブルに辿り着くと、ムーディは右に曲がり、それからダンブルドアと握手した。

 名前は呆然として、そしてまさかと思っていた。名前は彼を知っている――マッド−アイ・ムーディ、父と同じく闇祓いをしていた男だ。闇の魔法使いを捕まえる事に生涯を捧げ、戦い抜いてきた男だ。ひどい被害妄想に取り憑かれるようになったとも聞いたが、それは彼が少したりとも油断しない魔法使いだったという証に過ぎない。名前は、彼がダンブルドアと握手した時、その右手すらも古傷で覆い尽くされているのを見た。
 まさか……そんなまさか?
 ムーディはダンブルドアと低い声で言葉を交わした後、示された席にそのまま座った。教職員テーブルに残されていた、ただ一つの空席だ。ムーディは自分が奇異の目で見られている事や、紹介の後もダンブルドアとハグリッドにしか拍手されなかった事になど、全く無頓着だった。ただ、彼は大広間の食事にそのまま口を付ける事はしなかったし、携帯用の酒瓶から飲み物を飲んでいた。
「闇の魔術に対する防衛術の新しい先生をご紹介しよう。ムーディ先生じゃ」

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