土砂降りの朝

 名前はその日、部屋のどの女の子よりも早く起き出した。目を覚ました時、ジニーもハーマイオニーもまだすやすやと眠っていた。名前はそっとベッドから抜け出し、服を着替え、静かに部屋を出た。雨がザーザーと降っていて、まさに土砂降りだった。
 階下に降りると、ウィーズリー夫人が一人、あくせくと朝食の準備をしていた。名前は手伝うと言ったのだが、彼女は名前に先に食べるようにと言い、仕方なく一人テーブルに着き、バタートーストを囓っていた。
 しかしやがて、突然キッチンの中央にある暖炉に、ボッと魔法火が灯った。
 緑色の炎が独りでに揺らめき、やがてくるくると回転して、そこに男の首が現れた。もしも名前が魔法界の子供でなかったら、度肝を抜かしていただろう。
「ディ――ディゴリーさん?」名前はトーストに咽せ返りながら聞いた。
「ああ……やあ、君は、名前だったね?」
 名前は急いでおばさんを呼んだ。卵を取りに庭に出ていたウィーズリー夫人は仰天しながらやってきて、それでもすぐにウィーズリー氏を呼びに行った。廊下の向こうから、「アーサー!」と大声で呼ぶ声が聞こえてきた。
「セドが君の事を心配していたが……無事だったのだね、良かった」
 階段から転げ落ちるような音を立てて、ウィーズリー氏がすぐに現れた。余程急いで来たらしく、ローブを前後反対に着ていたが、ウィーズリー氏もディゴリー氏も少しも気にしなかった。
「ああ、アーサー。朝早くにすまない、問題が起きた」
「いいやエイモス、続けてくれ」
 ディゴリー氏は早口で話し始めた。聞いている此方が舌をもつれさせそうになる程だ。
「マッド−アイが問題を起こした。彼の家の庭のゴミバケツが、昨夜急に、そこら中にゴミを飛ばしたのだ。近所のマグル達が、ドタバタいう音や叫び声に気付いて知らせたのだ、ほら、何とか言ったな――うん、慶察とかに」
 ウィーズリー夫人がおじさんに羊皮紙とインク壺、羽ペンを渡した。
「私は今朝、梟便を出す必要があって、それで早朝出勤していた。聞き付けたのはまったくの偶然だった。そうしたら、魔法不適正使用取締局が全員出動していて――リータ・スキーターがこんなネタを押さえでもしたら、アーサー……」
 名前はやっと、一枚目のトーストを食べ終えた。同じ頃、ハリー、ロン、フレッド、ジョージが上から降りてきて、席に座った。みんな、暖炉に現れているディゴリー氏の首を興味深そうにしげしげと眺めていた。男の子達に朝食を運んできたウィーズリー夫人も、同じように二人の様子を見詰めていたが、夫人はどちらかというと心配しながら見ていた。
 やがて話が纏まったらしく、ウィーズリー氏がキッチンから飛び出していった。
「モリー、すまんね、こんな早くからお煩わせして……しかし、マッド−アイを放免できるのはアーサーしか居ない。それに、マッド−アイは今日から新しい仕事に就く事になっている。何でよりによってその前の晩に……」
 ディゴリー氏は申し訳なさそうに眉を下げて言ったが、おばさんが首を振り、トーストを口へ受け取らせると、ポンと軽い音を立てて消えてしまった。五分足らずでやってきたウィーズリー氏も、慌ただしく皆に挨拶すると、やがて姿くらまししてしまった。

「誰かマッド−アイって言った?」キッチンに入ってきたビルが言った。欠伸を噛み殺している。
「今度はあの人、何しでかしたんだい?」
「昨日の夜、誰かが家に押し入ろうとしたって、マッド−アイがそう言ったんですって」
「マッド−アイ・ムーディ?」ジョージが不思議そうに言った。
 名前はその、マッド−アイ・ムーディという人間が、元闇祓いであり、誰彼ともなく疑ってかかるような用心深い人間だと知っていた。何故かと言うと、名前の父が闇祓いだったし、父親はそのムーディに師事していたからだ。口数の少ない父親が偶に喋った事といえば、主に同僚の話で、マッド−アイ・ムーディの事も彼は話した事があった――他人を人間不信に陥れさせる天才。
 確かに、名前の父親も人間不信の気があった。戸締まりに始まり、郵便物や人から渡された物は逐一自分でチェックしていたし、いつでもポリジュース薬や真実薬を持ち歩いていた。それだけではなく、常日頃から閉心術を使っていたようだったし、その反面で自分自身が開心術士でもあった。その全てがムーディの影響かと言われると、名前には到底判断できないのだが、彼の教えが染み付いている結果だとは言い切れる。
 ジョージがムーディを「変人」と言ったのを、おばさんは窘めた。
 ムーディが誰なのか、闇祓いとは何なのかと不思議がるハリーに、チャーリーが説明していた。闇の魔法使いを捕らえる、いわば捕獲人である事や、アズカバンの独房の半分はムーディが埋めたようなものであり、そのおかげで彼には敵が多いという事。
「ママ、僕も一緒に、キングズ・クロスまで見送りに行くよ」
「ああ、僕も行く」チャーリーが言うと、ビルも同じように母親にそう言った。
「アー……その事なんだけど、僕は無理だ。すまない、どうしても今は手が放せないんだ」
 パーシーが至極申し訳なさそうに言った。
「クラウチさんは、本当に僕を頼り始めたんだ」
「そうだろうな。そう言えばパーシー、僕はあの人がまもなく君の名前を覚えると思うね」
 生真面目な顔をしてジョージがそう言うと、パーシーは顔を真っ赤にして怒ったが、喧嘩をしている暇はなかった。雨がどんどん強くなってきていたし、何だかんだと言っている間に、ホグワーツ特急が発車する時間が迫ってきていたからだ。
 大人が三人だけで、七人の子供達と一緒に姿くらましをするのは、流石に無謀だった。チャーリーは自分の他に二人一緒に完璧に姿をくらましきる自信がないと言ったし(名前はこの時、チャーリーが一度姿現しの試験に落ちた事を知った)、その子供達のそれぞれが、大きなトランクや鳥籠を持っていたので、付添姿くらましは不可能に近かった。
 最終手段として、ウィーズリー夫人がオッタリー・セント・キャッチポール村まで一っ走りし、マグルのタクシーとやらを呼んでくれた。行きたいところに連れて行ってくれる車らしい。名前は夜の騎士バスのようなものかと思っていたが、数十分後にやってきたのはナイトバスよりも断然小さく、まさにマグル式という何の種も仕掛けもない、ただの乗用車だった。
 三台のタクシーに七つのトランクを詰め込み、一行はぎゅうぎゅうと車に乗り込んだ。名前はジニーとチャーリー、ビルと一緒の組になり、ジニーは運転手の横の助手席に座り、名前はビルとチャーリーに挟まれて、三人で密着するようにして後部座席に収まった。
 どうやらこの後ろの座席は、本来二人で座るものらしく、無理矢理詰め込まれた名前はひどい座り心地だった。トランクを抱えてくれているビルとチャーリーの手前、言う事はしなかったが、お尻が二つに割れそうだ。ちなみに、助手席に座っているジニーは、デメテルの籠を抱えてくれていた(デメテルは未だウィーズリー家に留まっている。雨が上がったらそっちへ向かわせるよとチャーリーが言ってくれたのだ。返事を書かなければならないしね、とも)。
「――ご家族でお出掛けですか?」運転士が聞いた。
「まあね」ビルが答えた。トランクのおかげで、彼の声は潰れていた。「家族だよ、うん」
「ロンドンの、キングズ・クロス駅まで頼む」

 マグルのタクシーは、あの夜の騎士バスのように飛んだり跳ねたりしなかったし、渋滞の中を縫って走ったり、家々の間を糸のように細くなって通り抜ける事もしなかった。普通に車の流れに乗り、普通にキングズ・クロス駅まで辿り着いた。ただ、駅までの料金を数えるメーターとかいう物に、思わず名前は「どんな魔法が掛かっているのか」と聞きそうになってしまった。運転席の横に付いている文字盤に、車が進む度、勝手に精算がされていったのだ。
 タクシー代はビルがすぐに払った。どうやらグリンゴッツに勤めているおかげで、マグルのお金事情にも詳しいらしい。一行は雨から逃げるようにして、一目散に9と4分の3番線に向かった。9番線と10番線の間の鉄柵前まで辿り着き、まずハリーとロン、ハーマイオニーが通り抜けた。三人はそれぞれペットを持っていたので(生憎と、ヘドウィグはまだ帰ってきていなかったが)、トランクだけならまだしも、マグル界ではひどく目立つのだ。
 クルックシャンクスの瓶洗いブラシのような尻尾が消えた時、名前とジニーの組が進み出した。ビルとチャーリーも一緒で、二人は名前達のトランクの乗ったカートを運んでくれた。名前達はぺちゃくちゃとお喋りをしながら、何気なく、鉄柵に向かって真っ直ぐ歩いた。勿論柵にぶつかる事はなく、名前達は次の瞬間には、9と4分の3番線のホームへと辿り着いていた。
 紅色の蒸気機関車、ホグワーツ特急は既に入線していた。ホグワーツ生のざわめき、梟がホーホーと鳴く声、ホグワーツ特急の赤い煌めきを見た時、名前はやっと、学校が始まるのだと実感した。
 名前とジニーは生徒の間を縫ってホグワーツ特急に乗り込んだ。空いているコンパートメントはなかなか無かったが、名前は歩いている途中、知り合いが一人で座っているのを見つけた。名前は少しでも早くおばさん達の所へと戻りたいと思っていたので、一瞬ジニーを振り返った。やがて一瞬の逡巡の末にその戸を叩き、名前はコンパートメントを開けた。
「失礼、ねえごめん、ちょっとの間トランクを預かってって言ったら承知してくれる?」
「ああ……そう、御自由に」ノットは名前を見て、読んでいた文庫本を閉じた。
 彼は少し奥の方へと座り直し、トランクを入れられるスペースを作ってくれた。二つのトランクを無事に入れ終え、名前はノットへのお礼もそこそこに、ウィーズリー夫人達にお別れを言う為、ジニーと共に一旦汽車を降りた。

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