八月最後の夜

 ホグワーツに向かう前日の晩、珍しく早くに帰ってきていたパーシーは、うんざりしたように誰にともなくぼやいていた。フレッドとジョージは我関せずという風に、二人でこそこそ話していたし、ロンとビルはチェスに夢中だったので、実際に聞いているのは名前とジニーや、ロン達を眺めているだけのハリーぐらいしか居なかった。もっとも、一人も聞いていなかったとしても、パーシーは愚痴らずにはいられなかったかもしれない。それほど疲れているらしいのだ。
「一週間、ずっと火消し役だった。何せ、吼えメールはすぐに開封しないと爆発するから。僕の机は焼け焦げだらけになったし、一番上等の羽ペンは灰になった」
「どうしてみんな吼えメールを寄越すの?」
 ジニーはスペロテープを千切りながらそう聞いた。名前が押さえ付けている薬草ときのこ千種に、ジニーはテープを貼り付ける。テープの呪文が効いて、一応はぴったりとくっついたが、強い力を入れると取れてしまいそうだった。
「ワールドカップでの警備の苦情だよ」
 名前達の元へとやってきたパーシーは、そう言いながら杖を振った。無惨にばらけていたジニーの教科書が、表紙だけを掴んだとしても無事で済みそうな程に修復された。ジニーは兄に礼を言い、それからそれを更に補強しようと、新たにスペロテープを千切った。
「みんな、壊された私物の損害賠償を要求するんだ」
「そういうのって、魔法省の仕事なの?」名前が尋ねると、パーシーは肩を竦めた。
「マンダンガス・フレッチャーなんか、寝室が十二もある、ジャグジー付きのテントを弁償しろときた。だけど僕はあいつの魂胆なんか見抜いてる。棒切れにマントを引っ掛けて、その中で寝てたという事実を押さえてるんだ」
 彼はぶつぶつとそう言って、それからハァと溜息を吐いた。その向こうで、ウィーズリー夫人も同じように嘆息していた。夫人は部屋の隅の大きな柱時計を見ていた。その時計は文字盤が「家」、「学校」、「仕事」といった事柄を示しており、十二時の位置は「命が危ない」だった。針は九本あり、それぞれに家族の名前が刻まれている。今、その針の内、八本は家を指し示していたが、一番長い「アーサー・ウィーズリー」の針は、未だ「仕事」を指していた。
「お父様が週末にお仕事にお出かけになるのは、例のあの人の時以来の事よ。お役所はあの人を働かせすぎるわ」ウィーズリー夫人が言った。「早くお帰りにならないと、夕食が台無しになってしまうわ」
「でも父さんは、ワールドカップの時のミスを埋め合わせなければ、と思っているのでしょう?」パーシーが尋ねた。「本当の事を言うと、公の発表をする前に、部の上司の許可を取り付けなかったのは、ちょっと軽率だったと――」
「あんな卑劣な女が書いた事でお父様を責めるのはおやめ!」
 ウィーズリー夫人がぴしゃりと言った。
「父さんが何にも言わなかったら、あのリータの事だから、魔法省の誰もコメントしないのはけしからんとか、どうせそんな事を言ったでしょうよ」

 ウィーズリーおじさんは雨が降り始めた頃、やっと役所から帰ってきた。あの柱時計の一番の長針がプルプルと震え、「仕事」が「移動中」になり、やがて「家」になった。ウィーズリー氏は雨に濡れていた訳ではなかったが、ほとほと疲れ果てていた。
 おじさんは夕食の盆を受け取ったが、口に入れる事もなく夫人に話し掛けた。
「リータ・スキーターが、他にも魔法省のごたごたがないかと、この一週間ずっと嗅ぎ回って、記事のネタを探していたんだが、とうとう嗅ぎ付けた。あの哀れなバーサの行方不明事件を」
「バーサ?」と名前が呟くと、これ幸いと、ロンとチェスをしていたビルが説明してくれた。ロンが使っている白い駒達が、ぶーぶーとビルに文句を垂れた。
「バーサ・ジョーキンズだよ。魔法ゲーム・スポーツ部の役人で、この夏アルバニアに行って以来、行方不明になってる」
「明日の日刊予言者新聞のトップ記事になるだろう。とっくに誰かを派遣して、バーサの捜索をやっていなければならないと、私はバグマンにちゃんと言ったのに。言わんこっちゃない」
 何故バグマン氏の名前が出てくるのだろうと名前は考えたが、彼が魔法ゲーム・スポーツ部の部長だった事をすぐに思い出した。クラウチさんなんか、もう何週間も前からそう言い続けていましたよ、とパーシーが言った。はてなを飛ばしている名前に、ビルがバーサはクラウチの所で働いてた事もあったんだと教えてくれた。
「クラウチは運が良い。リータがウィンキーの事を嗅ぎ付けなかったからね」
 ウィーズリー氏は苛々して、茹でたカリフラワーをぶすりと突き刺した。
「クラウチ家のしもべ妖精、『闇の印』を創り出した杖を持って逮捕さる、なんて、まる一週間大見出しになる事間違い無しだ」
「あのしもべは、確かに無責任だったけれど、あの印を創り出しはしなかったって、みんな了解済みじゃなかったのですか?」
「私に言わせれば、屋敷妖精達にどんなにひどい仕打ちをしているのかを、日刊予言者新聞の誰にも知られなくて、クラウチさんは大変運が強いわ!」
 先程まで基本呪文集を読み耽っていたハーマイオニーが、そう言っていきり立った。名前はジニーと顔を見合わせ、これはまずいぞと思った。パーシーも、彼女と同じように熱くなっていた。
「解ってないね、ハーマイオニー! クラウチさんくらいの政府高官になると、自分の召使いに揺るぎない恭順を要求して当然なんだ」
「あの人の奴隷って言うべきだわ!」ハーマイオニーが叫んだ。
「だって、あの人はウィンキーにお給料を払っていないもの! でしょ?」
 ぐるんと振り向いたハーマイオニーにいきなり話を振られ、名前は曖昧な返事しか返せなかった。ウィーズリー夫人が割って入ってくれたので、名前は彼女の質問に答えなくて済んだ。
 本当の事を言えば、確かにパーシーが言う事ももっともだと名前は思っていたのだ。屋敷しもべ妖精達は、主人の命令には従わなければならない生き物だし、そもそも彼らは給料なんて求めていない。代々受け継がれる家に仕える事こそが存在意義だと信じているのだ。しかし、ハーマイオニーが言いたい事、言っている事も名前は理解できた。全ての屋敷しもべ妖精達が、必ずしも今の境遇に満足しているわけではないかもしれない。バックビークの件で浮き彫りになったように、確かに魔法界の人間が魔法生物に対してひどく冷たかった事は、紛れもない事実だった。

 ウィーズリー夫人に促されるまま、名前達は全員寝室に上った。ジニーの部屋に戻った後も、ハーマイオニーはまだカッカしていて、名前に話したそうな素振りを見せていた。しかし、名前はそれどころではなかった。
「何、これ」買い物包みの中から一枚のローブを摘み上げ、名前が言った。
「なあに?」
 素っ頓狂な声を聞いて、二人ともが揃って名前の所へとやってきた。
 名前が摘んでいるローブは、制服の黒いそれとは違い、パーティー用のドレスローブだった。明るいイエローの生地で、しかしながら派手ではなく、しっとりとした色合いだった。胸元と裾の所に僅かなフリルがあったが、ひどく大人っぽいデザインだ。一体、誰の為にこんなものが?
「可愛い!」ジニーがそう言って、キャーキャーと騒いだ。
「まあ、もしかしてそれがドレスローブ?」
 ハーマイオニーが言った。彼女の意識は既に屋敷しもべ妖精から離れていて、先程まで憤慨していたのが嘘のようだ。ハーマイオニーはマグル生まれだから、ドレスローブを見た事がなかったのだ。名前が絶句していると、彼女達もドレスローブの包みを開封し、黄色い声を上げていた。それから二人がふと名前に言った。
「名前ったらどうしたの?」
 ジニーは真新しげなドレスローブを胸に抱き、ご機嫌だった。ウィーズリーおばさんは一人娘の為に奮発したらしく、ジニーが持っているものは最先端とは行かなくても、普段兄妹が持っているようなお古でもなければ、ひどく時代遅れの物でもなかった。
「あたし……ドレスローブ買う気なかったのに」
「駄目よ!」名前が悲痛な声を上げると、ハーマイオニーがすぐに言った。
「四年生以上はドレスローブを準備する事って書いてあったでしょう?」
「考えてもみてよ、ハーマイオニー。ドレスローブを何に使うと思ってるの? もしかして、誕生日パーティとか? ――学校でドレスローブが要るって事は、つまり、ダンスパーティしか無いよ!」

 別に名前は、ダンスパーティが嫌なわけではなかった。名付け親が出してくれているお金を、不必要な物に使いたくなかったのだ。確かにドレスローブを準備するようにと書かれていたが、絶対にとは書かれていなかった。しかしながら名前はその事をハーマイオニー達に言う気はなかったので、ダンスパーティが嫌なのだという振りをした。もっとも、自分が誰か男の子と踊るだなんて、考えられなかった事も確かだが。
 ハーマイオニーは何故かポッと顔を赤らめて、それから自分のベッドによじ登った。
 名前はウィーズリーおばさんに、「ドレスローブは買わなくていい」と言い忘れた自分を後悔した。しかしながら、もしかしておばさんは名前が遠慮していると思って、例え言ってあったとしてもやはり買ってきてくれるのではないかと、名前は布団に潜ってから何となくそう思った。
 雨足はどんどん強くなり、やがて夜が明けた。

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