皆が無事で

 それは闇の印だった。
 例のあの人の印。ヴォルデモート郷の印だ。あの人が殺しをする時、必ずそれを空に打ち上げた。あの人の配下、死喰い人達もそれを使った。人々を恐怖に陥れさせるには、その印だけで充分だった。
 あの人の直接の恐怖政治を知らない名前やジニー、フレッドとジョージは、闇の印を見ても背筋に冷たい物が通るのを感じるだけで、他の人々のようにパニックになる事はなかった。そこら中で、人が叫んでいた。皆が恐怖のどん底に陥っている――名前は三人に気付かれないようにして、口元に触れた。
「……行こう」やがて、闇の印から目を背けたフレッドがそう言った。
「ロン達はもうテントに戻ってるかもしれない」
 三人は頷いて、ゆっくりと元の道を戻りだした。
 あれだけ走ったのに、帰り道は呆気なかった。一行は何十人もの怯える人々と擦れ違い、名前は皆が叫んでいるのだと思っていた。クィディッチを見に来た何万という群衆の全員が。しかし、辿り着いたキャンプ場は、気味が悪いほど静かだった。暗闇の中ではそれが特に際立った。キャンパーの誰もが居なかったし、黒いフードの集団も、影も形もなくなっていた。名前は燃え落ちたテントから、パチパチと燻る音を聞いた。
 ウィーズリー家のテントは無事だった。焼けてもいなかったし、押し潰されても吹き飛ばされてもいなかった。
「ジニー!」男子用のテントから顔を覗かせていたチャーリーが叫んだ。
 チャーリーは駆け寄り、ジニーを抱き締めた。
「フレッド! ジョージ! 名前! 無事だったのか、良かった! ――ロンはどうしたんだ? ハリーは? ハーマイオニーは?」
「はぐれた。戻ってきてないのか?」
 チャーリーは頷いた。名前は彼の顔に一瞬焦りが浮かんだのを見たが、彼はすぐさまきゅっと顔を引き締め、四人に中にはいるよう促した。テントの中にはパーシーとビルが居た。二人とも満身創痍で、パーシーは鼻血を流していたし、ビルは腕からかなり出血していた。よく見れば、チャーリーだってシャツが裂け、その下には大きな火傷ができていた。
 名前は急いでビルに駆け寄り、彼がシーツを巻き付けるのを手伝った。ジニーがチャーリーに抱き付いたまま、ぐすぐすと鼻を啜っているのを聞きながら、名前はビルの腕をぎゅっと縛った。見た限りでは、怪我は血が止まるまでにまだ少し時間が掛かりそうだった。
 名前は闇の印を真っ向から見た時にもそんな風には思わなかったというのに、ビルが誰に言うでもなく、「みんな無事で良かった」とただそっと呟いた時、何故か泣きそうになってしまった。

 名前がチャーリーの背中の傷を、清めるだけの本当に簡単な治療をしていた時、テントの入口がパッと開き、ウィーズリー氏が入ってきた。ロンとハリーとハーマイオニーが一緒だ。名前はすぐさま駆け寄り、ぎゅっとハーマイオニーを抱き締めた。ハーマイオニーは小さく震えていた。
「父さん、捕まえたのかい? あの印を創った奴を?」
 ビルが険しい口調で聞いたが、ウィーズリー氏は首を振るだけだった。
「いや。バーティ・クラウチのしもべ妖精がハリーの杖を持っているのを見つけたが、あの印を実際に創り出したのが誰かは、皆目解らない」
 テントで待っていた全員が、同時に「えーっ?」と叫んだ。
「何だって?」
「ハリーの杖?」
「クラウチさんのしもべ?」
 名前はチャーリーの所へ戻り、治療を再開しようとしたが、彼は手を振って「もう大丈夫だから」と言った。名前が「でも」と言おうとした時、ウィーズリーおじさんがテントに居る皆に話し始めた。
「闇の印が打ち上げたのは、森の中に居た誰かだった。ロン達がそれを間近で聞いていたそうだ――誰だったのかは解らなかったが、あの場にこの子達以外の誰かが居た。どうやら、すぐに姿くらまししたらしい。魔法省の者がすぐにロン達の所に姿現しして、すぐ側で屋敷しもべ妖精が失神しているのを見つけた――失神呪文を放ったからね――それが、クラウチの屋敷しもべだった。彼女はバーティにテントに居るよう命令されていたのだが、何故か森に来ていた」
「ウィンキーは高いところが苦手なの。ロバーツさん達を見て、恐かったんだわ」ハーマイオニーがそう口を挿んだ。
「木立の中で見つかった彼女は、何故かハリーの杖を持っていた。本人は気絶していて、起こした後に自分が杖を持っている事に気が付いた。エイモスは『杖の使用規則』第三条の違反だと言った。彼は規制管理部の部員だから」
「僕、森の中で杖を無くした事に気付いたんだ」
 皆の視線を受けてハリーがそう言い、ロンも頷いた。
「森が暗くて、杖灯りを灯そうとした時に気付いたんだ」
「ハリーの杖を『直前呪文』で調べた。やはり、闇の印を打ち上げられるのに使われていた」
 苦々しげにウィーズリー氏はそう言った。
「しかし、しもべ妖精が元々ハリーの杖を持っている筈がないし、そもそも彼女が闇の印を創り出す呪文を知っている筈もない。誰かがハリーの杖を使って闇の印を打ち上げた後、その辺に杖を放り出して姿をくらました――ウィンキーはそれを運悪く拾ってしまっただけだ。バーティはしもべ妖精を洋服にしたが」
 ウィーズリー氏が話し終わった後、ふんぞり返ってパーシーが言った。
「そりゃ、そんなしもべをお払い箱にしたのは、まったくクラウチさんが正しい! 逃げるなとはっきり命令されたのに逃げ出すなんて……魔法省全員の前でクラウチさんに恥をかかせるなんて……ウィンキーが魔法生物規制管理部に引っ張られたら、どんなに体裁が悪いか――」
 彼の言葉を遮ったのは、意外にもハーマイオニーだった。
「ウィンキーは何にもしてないわ――間の悪い時、間の悪い所に居合わせただけよ!」
「ハーマイオニー、クラウチさんのような立場にある方は、杖を持ってムチャクチャをやるような屋敷しもべを置いておく事はできないんだ!」
「ムチャクチャなんかしてないわ!」
 ハーマイオニーはパーシーに叫び返した。「あの子は落ちていた杖を拾っただけよ!」
 名前はぎょっとして、二人が睨み合っているのを見た。名前が覚えている限り、ハーマイオニーとパーシーは、気が合う者同士だった筈だ。彼らはどちらも同じように本の虫だし、規則を守る事に忠実で、退学処分が死ぬ事より悪いと考えているような人間だ。名前は何故ああもハーマイオニーが噛み付くのか、解るようで解らなかった。
「ねえ、誰か、あの髑髏みたいなのが何なのか、教えてくれないかな?」ロンが言った。「別にあれが悪さをしたわけでもないのに……何で大騒ぎするの?」
「言ったでしょ。ロン、あれは例のあの人の印よ」すぐさまハーマイオニーが答えた。
「この十三年間、一度も現れなかったんだ。そう、十三年間だ。皆が恐怖に駆られるのは当然だ……戻ってきた例のあの人を見たも同然なのだから」
 ロンはまだ、事態を飲み込めていないようだった。
「よく解んないな、だってあれは、ただ空に浮かんだ形なのに……」
「ロン、例のあの人もその家来も、誰かを殺す時、決まってあの印を空に打ち上げたのだ。それがどんなに恐怖を掻き立てたか……そうだな、解らないだろう。お前はまだ小さかったから。想像してごらん、帰宅して、自分の家の上に『闇の印』が浮かんでいるのを見つけたら。家の中で何が起きているか解る……」
 ウィーズリー氏は身震いして、一度言葉を句切った。
「――誰だって、それは最悪の恐怖だ。最悪の中の最悪だ」

「まあ、誰が打ち上げたかは知らないが」ビルが傷の具合を確かめながら言った。「今夜は僕達の為にはならなかったな。死喰い人達自身があれを見た途端、恐がって逃げてしまった。誰かの仮面を引っぺがしてやろうとしても、そこまで近付かない内にみんな姿くらまししてしまったんだ。ただ、ロバーツ家の人達が地面にぶつかる前に受け止める事はできたけどね。あの人達は今、記憶修正を受けているところだ」
 名前はあの宙に持ち上げられていたマグルの人達が皆無事だと知って、ほっとした。そして同時に、あの黒いローブの集団が『死喰い人』だったと知り、寒気に襲われた。彼らの顔がよく解らなかったのは、白い仮面を付けていたからだったのだ。骸骨の仮面を。
「死喰い人? 死喰い人って?」
 ハリーが尋ねると、ビルは至極簡潔に答えた。
「例のあの人の配下の者達が、自分達をそう呼んでいるのさ」
 ビルは言葉を続けた。「今夜僕達が見たのは、その残党だと思うね――少なくとも、アズカバン行きをなんとか逃れた連中さ」
「そうだという証拠はない、ビル――だが、その可能性は強いがね」
 ウィーズリー氏が項垂れながらそう言うと、突然ロンが強く同意した。
 ロンは森の中でドラコ・マルフォイに出会ったのだと話した。そしてマルフォイが、自分の父親が黒いフードの一団の中にいると言われた時、否定をしなかったのだとも。
 皆は死喰い人が何故今になって現れたのかや、どうして闇の印を見て逃げ出したのかと話し合ったが、ウィーズリー氏やビルは、その理由を殆ど解っているようだった。ウィーズリー氏は彼らが今になって存在を示した訳を、まだ捕まっていない死喰い人が大勢いる事を示したかったからだと言ったし、ビルは逃げ出した理由を、その捕まっていない死喰い人は難を逃れる為に例のあの人の名を売ったからだと断言した。例のあの人に今接触すれば、彼らにとって非常に良くない事態になるのだと。
「それなら、あの闇の印を打ち上げた人は……」ハーマイオニーが小さく言った。
「死喰い人を支持する為にやったのかしら、それとも怖がらせる為に?」
「ハーマイオニー、それは私達には到底理解し得ない事だ」ウィーズリー氏が言った。
「しかし、これだけは言える。あの印の創り方を知っている者は、死喰い人だけだ。例え今はそうでないにしても、一度は死喰い人だった者だ。そうでなかったとしたら、辻褄が合わない」
 おじさんはそう言って討論を終わらせ、皆を寝るように促した。名前は全然眠れる気がしなかったのに、テントに戻り、ベッドに俯せに倒れ込んだ瞬間に、ぐっすりと寝入ってしまった。時計は三時を回っていて、何の関わりもなかった星々だけが、きらきらと瞬いていた。

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