闇に浮かぶエメラルド

 クィディッチの興奮は、冷めるところを知らなかった。名前もすっかり魅了され、前を歩くフレッドとジョージが、ウィーズリー氏に「賭けをしたなんて母さんに絶対言うんじゃないよ」と念を押されている事に、全く気が付かなかった。
 フレッドとジョージは、まさに勝者だった。誰も予想していなかった結末を、ぴたりと当てたのだ。凄まじい掛け率だったろう。二人はバグマンに渡された金貨の入った大袋を持ち、顔全体、体全体で喜びを表現していた。双子は今、スキップに近いステップを揃って踏んでいる。
「パパ、心配ご無用さ」フレッドが言った。「ビッグな計画がかかってるんだ」
「取り上げるなんて野暮な真似、ママにだってさせたくないよ」
 一行は紫色の絨毯が敷き詰められた階段を下りきり、来た時と同じように森の中を通り、キャンプ場へと戻った。そこら中から歌声が聞こえてきて、レプラコーンがケタケタと笑いながら飛び交っている。開かれていた露店はまだ店を開いてはいたものの、最初に来た時よりは形を潜めているようだった。あの試合に魅せられたのは、何も名前達ばかりではないということだ。
 テントに着いた後、ウィーズリーおじさんは寝る前にココアを飲む事を許した。
「ほんっとうに、最高の試合だった! ね?」
 興奮しきったロンがそう言うと、みんながああと頷いた。
「クラムって最高だ! 最高にイカしてる! ああ、どうしてクラムはクラムなんだろう」
「ロンったら、まるで恋してるみたい」ジニーがそう言ってくすくすと笑った。
 みんなは喋り続けなければならない呪いに掛かったかのように、ひっきりなしに話した。普段クィディッチにそれほど興味がないハーマイオニーやパーシーまで、マグカップを手に持ち熱心に試合の感動を語り合った。

 テントの上では有頂天のレプラコーンが飛んでいったり、魔法の花火が打ち上がったりしていて、もはやマグル対策は少しも守られてはいないようにも思えた。しかし取り締まる筈の魔法省の役人達まで、興奮を止められないでいるのだ。大人しくしろ、だなんて到底無理な話だった。
「クラムも良いけど、一番はトロイでしょう!」
 名前がそう主張すると、隣のジニーが再びクスクス笑いをした。
 名前はすっかりトロイのファンになっていた。惚れ込んだと言っても良いかもしれない。確かに名前はマレットの事をすごいチェイサーだと尊敬していたが、トロイのあの素晴らしさったら! 
 貴賓席で間近で見たトロイは、別段いい男でも何でもなかった。もっと言えば、すぐそこに居るビルや、セドリックの方が数倍ハンサムだ。しかしあのクアッフル捌き、正確なパス、一直線に敵陣に突っ込んでいく勇敢さ、そこに名前は惚れ込んでいた。
「名前ったら、トロイに夢中なんだから」ジニーが言った。
「そんなに良い選手だったの?」
 ハーマイオニーが不思議そうに呟いたので、名前はここぞとばかり彼女の隣に座り込み、いかにトロイが素晴らしいチェイサーで、尊敬に値すべき選手なのかを熱弁した。ジニーはくすくすと笑い続け、男の子達は名前の変わり様に驚いていた。
「まさか、名前までああなるなんて」
「気に病むなよ相棒。女がああいう輩に弱いのは、昔からの道理と決まってる」
 フレッドとジョージが言い合ったのを聞いて、ビルが思わず噴き出した。


 名前としてはいつまででも喋り続けていられそうだったのだが、やはりそうはならなかった。少し前から船を漕いでいたジニーが、ついにココアをぱしゃりと零してしまい、ウィーズリー氏がもう寝るようにと促したのだ。皆にお休みと言いながら、名前とハーマイオニーは寝惚け眼のジニーの背を押して、女子用のテントに戻った。
 パジャマに着替え、ベッドに潜り込み、二人におやすみと言ってからも、名前はなかなか寝付けなかった。テントの向こう側では未だ煌々と魔法火が焚かれ、ドンチャン騒ぎが続いていた。ベッドの中でも名前の目はパッチリと開いていて、ふとするとトロイの表情を思い出した。優勝杯を手にした時の、あの嬉しそうな顔ったら――!
 気付けば眠り込んでいた。しかしそれは束の間だった。
「起きて――起きなさい! ジニー、名前、ハーマイオニー!」
 ウィーズリー氏の大声に、まず目を覚ましたのは名前だった。思いきり飛び上がったので、二段ベッドの上段だったことが災いし、ごつっと鈍い音を立ててテントの天井に頭をぶつけた。
 外はまだ日が昇っておらず、暗かった――いや、明るかった。ドーンと大きな音がして、人々のざわめき、逃げ惑う音、悲鳴が聞こえた。名前は落ちるような勢いでベッドから降り、「何があったんですか?」とウィーズリー氏に聞いた。彼はジニーを揺さぶり起こしていて、「緊急事態だ!」と言うばかりで、説明はしなかった。名前もハーマイオニーを起こすのを手伝い、彼が話してくれるのを待った。もっともハーマイオニーは、名前が肩に触れた時にはほぼ起きていたので、名前は布団を捲ってあげるだけで良かった。
「三人とも、杖と上着だけ持って外に出なさい――急いで!」
 転げ落ちそうだったジニーを支え、名前は自分の杖とガウンをひっ掴み、二人の女の子の手を引っ張って急いでテントの外に出た。
 キャンプ場は様変わりしていた。人々が駆け回り、そこら中で恐怖に怯える人の気配がした。名前は向こうの方で、緑色の閃光が宙に向けて放たれるのを目撃した。テントは吹き飛ばされ、火がついている物もあるようだった。気分が悪くなりそうだったが、ぐっと堪え、ジニーの手を取って走り出したウィーズリー氏の後に続いた。
 彼が向かった先には上着を羽織っただけのハリーとロン、フレッドとジョージが居て、おじさんは早口で言った。ビルとチャーリーとパーシーはちゃんとローブを着ていて、各々杖を構えていた。
「私らは魔法省を助太刀する。お前達、森へ入りなさい――決してバラバラになるんじゃないぞ! 片が付いたら迎えに行くから――」
 フレッドとジョージが「ああ」と頷いたのを見たのかそうでないのか、ウィーズリー氏は次の瞬間には駆け出していた。ビル達は既に先に行っている。彼らが向かったその先に、魔法使いの一団が見えた。皆黒いローブを身に纏っていて、何故なのか、顔がはっきりと見えなかった。

「さあ」
 そう言ってフレッドがジニーの手を掴み、ジョージは無言で名前の手を取った。双子が走り出すと皆それに続いた。名前達は森に辿り着くまでの間、脇目もふらず走ったが、森の端に入った時、全員がキャンプ場を振り返った。
 大小四つの影が宙に浮かび、その下にあの黒いローブの一団が居る。先程よりも多くなっているようだ。名前は、「ロバーツさん達が……」とロンが呟いたのを聞いた。魔法省の役人達が、フードを被った群衆に近付こうとそれぞれ奮闘していたが、ロバーツ一家が落下してしまう事を恐れて、迂闊な行動は取れないようだった。
 名前達と同じように、何人もの人々が森に逃げ込んできていた。名前は再びジョージに引っ張られるのを感じ、走り出した。森の中を走る間、飛び出した木の根や何やらに躓いて転びそうになってもジョージが助け起こしてくれたが、やがて名前は、後ろから着いてきている筈のハリー達三人が、居なくなっている事に気が付いた。
「ジョージ、ロン達が居ない! フレッド……フレッド!」
 前を走るフレッドには呼び掛けたが、聞こえなかったようだった。名前に言われ、ジョージも後ろを振り返った。
「――おい、フレッド!」ジョージが叫んだ。
「聞こえてる!」フレッドも叫び返し、やがて動きを止めた。
 名前とジョージが彼らのところに追い付くと、四人は一塊りになってそこで立ち止まった。きゃーきゃー逃げ惑う人々が、名前達を通り越して何人も駆けていった。ジニーは息を切らしていて、同じように荒い息になっているフレッドはちらりと彼女を見遣り、それから言った。
「ロンだって馬鹿じゃない。だから大丈夫だ」
「ああ、そうだ、大丈夫だ――名前、あいつらなら大丈夫だ」
 フレッドとそっくり同じく息を乱しているジョージは、無理矢理笑い顔を作り、名前にそう言った。名前は頷き、フレッドがジニーに「大丈夫」と言っているのも聞いた。真っ直ぐこっちに来れるようにと、フレッドとジョージが杖灯りを灯し、名前とジニーも同じように杖に光を灯した。未成年の魔法使いが学校の外で魔法を使う事は、勿論法律で禁じられている。もしそれをしてしまえば、魔法省からの警告文書が飛んでくる。此処に居る全員はちゃんとそれを知っている。しかし今、四人がルーモスを使ったのに、何の音沙汰もなかった。
 森の向こう側から爆音が聞こえ、名前達は一瞬怯んだものの、パニックになって逃げ出す事も、叫ぶ事もしなかった。一つだけならば微弱で頼り無い杖灯りも、四本集まればそれは大きな光となった。
 四人は待ち続けたが、恐怖に染まった人々が行き過ぎるだけで、三人は来なかった。

 時間だけが過ぎていったが、ロンも、ハリーも、そしてハーマイオニーも、誰一人として名前達の居る木立に姿を見せなかった。人々のざわめく声がして、名前は気持ちがグラグラと震えた。大丈夫だと解っているのに、そうでなかった事を考えてしまう。たったの一分間が、十分にも六十分にも感じられた。
「おい……――あれ!」
 何かを見つけたフレッドが叫んだ。彼は頭上を見上げていた。
 名前もジョージもジニーも、彼が見ている方を向いた。
 そして次の瞬間、名前は体が硬直した。木々で多少遮られるものの、上を向けば夜空を見る事はできた。キャンプ場で起きている騒動の火の光や、魔法の光は木立の先に垣間見えるものの、頭上には星だけが見える空がある筈だった。黒々とした夜の空に、緑色の何かが浮かんでいた。
 巨大な髑髏だった。不気味なエメラルド色で、口からは舌の代わりに蛇が這い出している。
「――闇の印……」
 名前がそう、ぽつりと呟いた。

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