差し出された右手

 日が沈んでいくに連れ、人々の興奮は段々と高ぶってきていた。魔法省の役人達はとっくに規制するのを諦めていて、そこら中で魔法の火花や印が上がっていた。夕暮れ時になると、どこからともなく行商人が姿現しし始め、店を構えた。各国の国家を歌う旗や、光るロゼット、有名選手のミニチュア人形なんてものもあった。各々買いたい物を買いに行き、ハリーとロンとハーマイオニーは一緒に行ってしまったし、名前はジニーと一緒に、そしてチャーリーも一緒に露店を巡った。
 名前とチャーリーは、確かに今まで文通をしていた。しかしそれだけの関係だ。月に一度か二度、相手からの手紙が来ていた事を思い出した時、返事を書く。実際に会ったのは、勿論昨日が初めてだった。しかしそれなのに、このたった短い間に(何せ、まだ出会ってから二十四時間も経っていない)、二人はすっかり意気投合していた。
「じゃあ、名前はハッフルパフのチェイサーなのか?」
「そうだよ。チャーリーはシーカーだったんでしょ? フレッドやジョージから聞いたことあるな。それに、うん、トロフィー室でもチャーリーの名前を見たことあるよ」
 名前がそう言うと、チャーリーは照れ臭そうに頭を掻いた。
 露天商が並んだ大通りは、勿論イギリス人だけじゃなく、その他色々な国の魔法使いや魔女が居た。耳に入ってくるのは英語だけではなく、聞き取れない言葉も沢山あった。顔の平べったい中国人らしい人達と擦れ違いもしたし、フランス人らしき女性と露店の主人が言い争っているのも目にした。名前は元来人混みが苦手なのだが、チャーリーと話していると不思議とそれを忘れてしまった。まるで昔からの親友と再会したような心地だった。
「ねえ、ほら名前、あれを見て!」
 ジニーが急に、名前と繋いでいた右手を引っ張った。
 彼女が指し示す方を見ると、超特大のビクトール・クラムのポスターが貼ってあった。言ってはなんだが、ひどい顰めっ面だ。彼のプレイは確かに素晴らしいが、やはり選手は選手であって、モデルには向かない。名前はジニーと一緒になって、くすくすと笑った。
 ジニーは色々な店を回り、シャムロック柄のスカーフを買った。名前は彼女に勧められるものの、最初は特に買う気はなかった。しかし、チャーリーがジニーとお揃いのスカーフを名前に買ってくれたので、申し訳なくなり三人分の光るロゼットを買った。

 三人が緑色の光るロゼット(稀にミニチュア人形やポスターを見ると、「マレット!」とか「トロイ!」とか、選手の名前を叫んだ)を胸に付けて歩いていると、名前は何度かホグワーツの知り合いに会った。会話こそしなかったものの同じ寮の先輩や、図書室で会う人、合同授業で会う友達と、ホグワーツ生も沢山来ているようだ。同級生のアーニー・マクミランと会った時、名前は自分は貴賓席なんだと自慢した。アーニーは目を剥いて驚き、羨ましがった。
「あ、名前だ」名前はそう声を掛けられて、振り向いた瞬間呆然とした。
 ルーナ・ラブグッドは全身緑色だった。ローブも緑だし、靴も緑色だった。クローバーが陽気に踊る、真緑の三角帽子を被っている。名前達と同じ緑色の光るロゼットを付けていたが、ロゼットは服の色と同化していて、光らない限りそこにあるとは気付けなかった。しかし、彼女の首元に巻かれているものだけは、紛れもなくブルガリアのスカーフで、ライオンの柄だった。そのライオンが口を開けたと思ったら咆哮したので、名前は度肝を抜かれた。これが物凄い音量で、行き交う人の何人かが振り向いた。
「あ……ハイ、こんにちは、ルーナ」
「こんにちは」
 ジニーが心持ち縮こまってそう挨拶すると、ラブグッドはそう返事を返した。
「あたし、パパと一緒に来たンだ。名前はジニーと一緒なの?」
 ラブグッドはそう言いながら、少し離れた所に居たチャーリーを見上げていた。どうやら彼のソバカスだらけの顔と、見事な赤毛が目を引いたらしい。
「そうだよ」と名前が返事をすると、彼女は「そうなの」と言って名前の方を見た。
 その時、ルーナと呼ぶ男性の声がした。名前はその声の持ち主を見て、再び度肝を抜かされた。
 その人はルーナ・ラブグッドと親子だと、一目で分かる様相だった。同じく全身緑色だった事も確かだったが、人混みの中をひょっこりひょっこりと歩いてくるその様子が、まさに彼女と同じ雰囲気を醸し出していた。変人の雰囲気だ。
 その男性はフワフワの綿毛のような髪の毛をしていて、片方の目が少し斜視だった。
「ああ、ルーナ――知り合いかね?」
 ラブグッド氏がそう言って、娘に声を掛けた。

 ――一瞬にして、名前は彼に対する印象が変わってしまった。確かに彼は(というか彼女もだが)、できればお近付きになりたくない雰囲気を纏っている。だがしかし、ルーナに話し掛けるその声音はとてつもなく愛しげな、良き父親の声であり、頷いた彼女を見て微笑んだラブグッド氏の顔は、実に優しげだった。
「そうか……ゼノ・ラブグッドだ。娘がお世話になっている――」
「初めまして、名前・名字です」
「名字?」
 名前はラブグッド氏の呟きも無視して、彼と握手を交わした。
「私達は一週間前から来ているんだ。さあルーナ、そろそろ競技場に行こう。やはりこういう事は、一番乗りでなければ」
「うんパパ。じゃあね、名前、バイバイ。――あ、ラックスパートに気を付けて。さっきこの辺を飛んでるような気がしたンだ」
「ああ、そうとも。気を付けて、知性を吸い取られないように」
 ジニーとチャーリーだけでなく、名前も対応に困って、結局笑っているのかそうでないのか微妙な笑顔を浮かべ、ラブグッド親子に手を振った。


 テントに戻ると、ウィーズリー氏とビル、フレッドとジョージとパーシーが戻っていた。フレッドとジョージは何も買っていなかったようなので、名前は少しだけ不思議に思った。
「何も買わなかったの?」
 とジニーが聞くと、二人はちらりと此方を見て、「まあね」と言った。
「ま、僕らはもっと大きな所を見てるって事さ」
 名前はやっと、双子が先程バグマンとの賭けで全財産を賭けてしまった事を思い出した。それをジニーに耳打ちすると、彼女はちょっと眉を上げ、それから必死になってクスクス笑いをしないようにと踏ん張った。やがてハリー達三人も帰ってきて、暫くすると森中に響き渡るような低い鐘のような音がした。ゴーンという音と共に、大通りに設置されているランタンがパッと灯り、辺りは赤と緑色に照らされた。
 ウィーズリー家の一行も出発し、森に入り二十分ほどでワールドカップの競技場に辿り着いた。名前はその二十分の間、ずっとジニーやチャーリーとお喋りをしていたが、スタジアムを見た途端、その大きさに口がぱかりと開いて、閉じられなくなってしまったようだった。クィディッチ・ワールドカップの競技場は、ホグワーツのクィディッチ競技場の何倍も何十倍も大きかった。
「十万人入れるよ」ウィーズリー氏はそう言って、こう付け加えた。
「魔法省の特務隊五百人が、まる一年がかりで準備したんだ。マグル避け呪文で一分の隙もない。この一年というもの、この近くまで来たマグルは、突然急用を思い付いて慌てて引き返す事になった……気の毒に」

 競技場の入口は人でごった返しており、その先では魔法省の役人がチケットを確かめていた。ウィーズリー氏が代表して十一枚の切符を渡した。
「特等席!」係の魔女が羨ましげな表情でおじさんに言った。
「最上階貴賓席! アーサー、真っ直ぐ上がって。一番高い所よ」
 魔女が楽しんでねとにっこりした時、名前もやっと、今から物凄い事が見られるんじゃないかという実感が湧いてきた。緩む頬は押さえきれず、名前はにこにこしながらジニーと一緒に階段を上った。観客席への階段は紫色の絨毯が敷き詰められていて、上へ登るに連れて、一緒に上がってきていた人達が居なくなっていった。
 長い階段を上り終わり、最上階に辿り着くと、そこは小さなボックス席だった。右側と左側に金色のゴールポストが見える、ど真ん中の一番良い席だ。名前はワールドカップに来たのはこれが初めてで、他の席になど座った事が無いから想像の上でしかないが、確かに此処は最上級で最高級の貴賓席だった。
 二列に並んだ貴賓席の椅子の、前列にウィーズリー家は座った。名前やハーマイオニー、ハリーも勿論一緒に腰を下ろし、名前はジニーとチャーリーに挟まれて座った。
「すごいわ!」
 ジニーがそう叫んで、名前も心から同意した。
 ここは最上階で、つまり一番高い場所に位置していた。まだ始まってはいないものの、試合の全てを見渡せるだろうという席だ。ピッチの端からその反対側の端っこまで見る事ができたし、ゴールポストより上空の様子も見る事ができた。目の前には魔光掲示板があり、箒やスナック菓子の広告を流していた。
 ジニーと一緒にどんな選手が好きかと話したり、チャーリーと一緒に試合がどうなるかと話していると、すぐに時間は過ぎていった。名前達が座った時は、まだ観客席の半分ほどがやっと埋まったところだったが、今はもう八割方が人で埋め尽くされている。名前はふと、ウィーズリーおじさんが誰かと話している声が聞こえ、そちらを見た。
「――ああ、どうも、ルシウス」
「貴賓席の切符を手に入れるのに、何をお売りになりましたかな? お宅を売っても、それほどの金にはならんでしょうが?」
 ブロンドの髪を後ろに撫で付け、高級そうな黒いローブを身に纏った魔法使いが、せせら笑いを浮かべてウィーズリー氏にそう言っていた。隣には魔法省大臣のファッジも居たが、彼はおじさん達の険悪な状態に全く気付く様子もなく、にこにこと笑っているだけだった。ウィーズリー氏は、大臣や他の貴賓席に座っている役人達の手前、ひくりと頬を痙攣させるだけに留めていた。ルシウス・マルフォイの側にはその奥方と、それから息子のドラコ・マルフォイが立っていた。
「こんにちは、マルフォイさん」
 名前は先程、パーシーが貴賓席にやってきた省の上役達に挨拶していた時のように、にこやかに笑って、突然彼の前に立って出た。ウィーズリー氏だけでなく、他の誰もが驚いていた(何も気付いていないらしいファッジは別だが)。マルフォイ氏は「何だこの小娘は」と言いたげな目をして、名前を見下ろした。

「名前・名字です。こんにちは」
「――……名字?」
 にっこりと笑って名前が名乗ると、マルフォイ氏はただそう聞き返した。
 しかし一瞬の間の後、マルフォイ氏がサッと表情を曇らせた。目に見えて青くなった夫の顔に、マルフォイ夫人が不安げに声を掛けたくらいだった。マルフォイ氏は何を言うでもなく、名前が差し出していた右手と握手する事もせず、無言で自分の席に向かった。驚いた顔をしているのはウィーズリー家の面々だけでなく、マルフォイの息子と夫人もそうだった。結局彼らも何も言わず、自分の席へと座った。
「マルフォイに何したの?」
 ジニーが怪訝そうに、名前にそう尋ねた。名前が何も言わず、ただにっこりと笑うと、彼女はそれ以上何も聞かなかった。

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