事件のあらまし

 名前は三匹の羊を追い掛けていた。どの羊も、名前が一歩歩くと前へと一度飛び跳ねる。揃って逃げていく三匹を追おうとするのを諦め、ふと足元を見ると箱があった。
「箱が欲しいの?」ポルターガイストが言った。
「大きいのと小さいの、どれかを選ばなくっちゃ」
「大きいのと小さいの?」
 名前が尋ねると、確かに自分の周りにはつまめるような小さな物から、見上げるほどに大きな物まで、沢山の箱が煩雑に並んでいる。名前は持ち上げていた箱を投げ捨て、少し向こうにあるクアッフル大の黒い箱を持ち上げた。揺すると、微かではあるがカサカサと音がする。何かが入っている。
 名前は椅子に腰掛けてテーブルにそれを置き、丁寧にラッピングを剥がした。鈍く光る白いリボンを取り外し、黒い包装紙を破らないよう慎重に取り去る。そして、箱の蓋に手を掛けた。
「――ヤツは断じて姿くらましをしたのではない!」
 体をびくっと痙攣させた名前は、一瞬にして目を覚ました。
 怒号を発した人物は、部屋のすぐ外にまで迫ってきながら、尚も何事かを叫んでいた。姿現しがどうとか、ハリーがどうとか。スネイプの声だ。名前はそれが解った時、同時に今自分が居るのが医務室である事を認識できた。起き上がる事もせず、名前はベッドに横になったまま心臓をドギマギさせ、今まで自分が何をしていたのか思い出そうとした。とりあえず、夢を見ていた。しかし、いつもの悪夢とは違う、不可思議な雰囲気の夢だった事しか覚えていなかった。
 鍵がしてあったのだろう、魔法でガチャリと開けられた音がし、それからバーンと盛大な音を立てて医務室の扉は開かれた。中に入ってきたのはやはりスネイプと、それからダンブルドア、何故か魔法省大臣のコーネリウス・ファッジだった。

 名前が寝ているベッドの少し向こうへとやってきたスネイプは、そこで再び叫んだ。
「白状しろ、ポッター! いったい何をした?」
 名前は初めて、そこにハリーが居る事、そしてハーマイオニーとロンもベッドで横になっている事を知った。起きているらしいハーマイオニーも、彼らの側に居て吃驚したような顔をしているマダム・ポンフリーも、誰も名前が目を覚ました事に気が付いていないようだった。名前は疲れ切っている自分の体に鞭を打って、ゆっくりとだが自分の周りを見回した。ベッド脇の小机の上に、ハシバミの杖は置かれていた。
 マダム・ポンフリーが医務室では静かにして頂くようとスネイプに言い、ファッジがまあまあと宥めたが、激昂しているらしいスネイプは、少しも耳を貸さなかった。
「こいつらがヤツの逃亡に手を貸した。わかっているぞ!」
 一体ヤツというのが誰の事で、一体スネイプ先生が何をそんなに怒っているのか、名前には皆目見当も付かなかったが、ただ彼の怒声がひどく頭に響くらしいという事だけは解っていた。スネイプが一言一言喚き散らす度に、名前は頭の中で巨大な鐘が鳴らされている気分だった。
「いい加減に静まらんか、まったく辻褄の合わんことを!」
「閣下はポッターをご存じない!」スネイプ先生の声は上擦っていた。「こいつがやったんだ。わかっている。こいつがやったんだ――」
「もう充分じゃろう、セブルス」
 名前が目覚めてから一度も言葉を発していなかったダンブルドアが、静かにそう言った。
「自分が何を言っているのか考えてみるがよい。わしが十分前にこの部屋を出た時から、このドアには鍵が掛かっていたのじゃ。マダム、この子達はベッドを離れたかね?」
「もちろん」マダム・ポンフリーは憤然として言った。「離れませんわ!」
「校長先生が出てらしてからわたくし、ずっとこの子達と一緒におりました!」
「ほーれセブルス、聞いての通りじゃ。ハリーもハーマイオニーも、同時に二カ所に存在する事ができるというのなら別じゃが――すまんがマダム・ポンフリー、ミス・名字の面倒を見てやっておくれ。どうやら起こしてしまったようじゃ」
 ダンブルドアの一言で、医務室にいた全員の視線が名前の方へと向いた。ハリーもハーマイオニーも、マダム・ポンフリーもコーネリウス・ファッジも、そしてスネイプも名前の方を見た。名前はスネイプ先生が苦虫を噛み潰したような顔をして、歯を食いしばったのを唖然として見ていたので、ハーマイオニーが心苦しげな表情で自分を見ていた事に気が付かなかった。

 まあ!と言って、マダム・ポンフリーは名前が身を起こしているベッドへと急ぎ足でやってきた。良かった、本当に良かったわとマダムが言った。名前はマダム・ポンフリーにされるがまま、手渡された岩のようなチョコレートを食べることに専念した。いつの間にか、スネイプは病室から消えていた。
「あの男、どうも精神不安定じゃないかね」
「いや、そうではないコーネリウス。ただひどく失望して、打ちのめされておるのじゃよ」
 ダンブルドアとファッジが何事かを話していたが、名前にはやはり状況が飲み込めなかった。マダム・ポンフリーが「貴方は私が良いというまで入院です」と言ったが、名前が知りたかったのはそういう事ではなかった。冷えきった体に、とろけるように甘いチョコレートはじくじくと染み込んでいった。
 名前が三つ目の塊をようやく食べ終えた時、ダンブルドアがベッドの端に顔を覗かせた。
「マダム・ポンフリー、名前と話がしたいのじゃが、構わんかね?」
「またですか校長。良いですか、この子達は怪我人なんです。絶対安静が本当なんですよ」
「解っておる。ほんのちょっぴりだけじゃ」
 何が『また』なのか、名前には解らなかったが、マダムが渋々と立ち上がり、彼女が先程まで座っていた丸椅子にダンブルドアが腰掛けたので、少しだけ背筋を伸ばした。ダンブルドアは柔和に微笑んだ。
「名前、君は今混乱しておるじゃろうと思う。何が起こったのかとのう。コーネリウスを待たしておるから、少々掻い摘んだ話になると思うが、君の時間を少しだけわしにおくれ」
 名前は、小さく「はい」と言った。
「つい先程、あのシリウス・ブラックが捕まったのじゃ。彼は八階に繋がれ、ディメンターの処置を待つばかりじゃった。しかしその連れて来られた吸魂鬼と、不運にも、君が遭遇してしまったのじゃ。君が悪戯なポルターガイストによって、あの箒置き場に閉じ込められておった事は、証言も受けておる。――ディメンターにとって、不躾な言い方を許して欲しいが、君は最高のご馳走に映ったのじゃろう。彼らは長い間、少しも満足のいく待遇を受けておらなんだからの。全てわしの失態じゃ。許してくれとは言わん。君が無事で居てくれて、本当に良かった」
 名前はダンブルドアが言う事に頷いたり、首を振ったりしていたが、やはりまだ全ての状況を理解するのは無理な話だった。思わぬ名前が飛び出した事や、何故か名前があの場に居た事がピーブズのせいになっている事など、全く持って訳が解らなかった。
「シリウス・ブラックはどうなったんですか?」
「ああ、彼にはまんまと逃げられてしもうた。先程わしらがフリットウィック先生の事務室へと向かった時、そこはもぬけの殻じゃった。聞こえておったかもしれんが、この城では姿現しも姿くらましもできん筈なのじゃ。しかも、ブラックは杖を持っておらぬ。彼はホグワーツから消え失せてしまった。不思議な事じゃ」
 名前はあのブラックが一度捕らえられた事も、そして巧く逃亡した事にも驚いて、目を白黒させた。
「それじゃ……それじゃディメンターは」
「ああ、そうじゃよ。ホグワーツにおいての吸魂鬼の警戒は解かれる事になった。ブラックが居なくなったのじゃからの。ファッジもそう言っておった。わしはこれから、その事について話し合わねばならん」
 ダンブルドアがぱちんとウィンクをしたので、嬉しく思うと同時に、名前は心のどこかでポッと火が灯った。ディメンターがホグワーツから居なくなる。この一年間、名前はずっと悪夢に魘されていた。それがやっと治まるのかと思うと、つい先程吸魂鬼に永遠に眠らされそうになった事など、ほんの些細な出来事のように思えた。
 名前が再びチョコレートを頬張ると、ダンブルドアはにっこりした。
「そうそう――」立ち上がっていたダンブルドアが、ふと思い出したように口を開いた。「――君の友達のヒッポグリフの事じゃが、彼も逃げ出してしもうた。日の沈む直前にの。確かにあの時、バックビークはかぼちゃ畑に繋がれておったのじゃが」
 ダンブルドアを見上げると、彼は優しく微笑んだ。
「君は知りたかったのではないかと思っての」ダンブルドアが言った。
「――が、今まで一緒に立ち向かっておった、いわば戦友に、ハグリッドは自分の口から伝えたいじゃろうと思う。その時は……まあ、ホレ、名前ならば解るじゃろう?」
 お大事に、と最後にそう言って、ダンブルドアは医務室を出ていった。ダンブルドアが去った後、マダム・ポンフリーがつかつかとやってきて、甲斐甲斐しく名前の世話を焼いた。名前は以前医務室に来た時も、飽きるほどチョコレートを食べたのに、また同じような状況に陥ってしまった。暫くチョコレートは食べたくない。気持ちの悪さも、体の震えも、ダンブルドアと話している内に治まっていた。

「あの……本当にごめんなさい、名前」
 マダム・ポンフリーが同じく目を覚ましたらしいロンの所へと行く為、名前のベッドから少しの間離れた際、おずおずとやってきたハーマイオニーがそう言った。名前はつい三時間前の事も忘れかけていたほどで、彼女が何故こんなにも、まるで怯えているように此方を見るのか、理由が解らないくらいだった。そして一瞬の間の後、自分があんな目にあったのは、間接的に彼女のしでかした事が原因だと気が付いた。
「良いよ、それだけで」名前が言った。「何となく理由は解ったしね」
 恐らくハーマイオニーは、名前の行動を予測し、名前が危ない目に遭わないようにああやって閉じ込めたのだ。名前は先程、彼女とハリーも自分と同じように吸魂鬼に襲われたのだと、マダムが話してくれたので知っていた。湖のほとりで、ディメンターの大群が襲い掛かってきたのだそうだ。結果的には彼女が箒置き場に名前を入れた事が裏目に出たのだが、名前は彼女の気持ちがよく解っていた。
「でも次からは、もう少し理由を説明して欲しいかもね。嫌われたかと思った――」
「そんな事! 思う筈ないじゃない!」
 名前がにっこりと笑ったので、次第にハーマイオニーも緊張していた顔をほぐし、少しだけ微笑んだ。目を三角にしたマダム・ポンフリーがやってきたので、ハーマイオニーはいそいそと自分のベッドへと戻り、テーブルに置かれていたチョコレートを急いで口に放り込んだ。

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