血みどろ男爵の憂鬱

 無理矢理箒置き場に入れられた名前は、直立不動のままそこに突っ立っていた。ハーマイオニーもハリーも、名前を物置に入れる際に箒の柄やら置いてあったバケツやらに名前の足がぶつかった事になど、一切気が付かなかった。名前は何せ、口を動かす事ができなかったので、声を出す事も出来ず、ただ困惑と憤りの交じった眼差しで二人を睨み付けていた。足をしこたま打ち付けた事になんかじゃなく、今この状態に説明が欲しかった。もっとも、戸惑っていたのはハリーも同じだったようだが。
 彼がハーマイオニーに質問をしても、彼女は全然取り合わなかった。名前に言ったのと同じように「どうしてもよ」と言うだけで、ハーマイオニーは名前の知りたい事にもハリーの知りたい事にも答えなかった。
 二人は名前を無事に箒置き場に連れ込むと、ドアを閉めた。一分の隙もなく扉が閉じられると、彼らの話し声はくぐもり、ヴーヴーという意味もない音へと変わった。最初から彼らは出来うる限りの小さな声で話していた為、その音すら聞こえなくなるのは早かった。二人分の段々と足音は遠ざかっていき、やがて玄関扉が閉まる木が立てたらしき音がした後は、何の物音もしなくなった。

 箒置き場に押し込められた時は、何故何の理由も話さずにこんな事をするのだと憤慨していたが、段々と名前は冷静になっていった。むしろ、昇っていた血が一気に下がり、逆に冷えてきたようだった。何故名前は訳も解らず、こうして一人きりでこんな狭い場所に閉じ込められなければならないんだ? ぞっとした。
 ハーマイオニーが訳もなくこんな事をする筈がないから、きっと重大な理由があるのだろうとは思う。いや、自分がそう思っていたいのかもしれない。名前は半分パニックになりながらも考えた。


 誰かの箒やら掃除用のモップやらが置いてある物置の中は、ひどく暗くて埃臭かった。段々と目が慣れてきていたし、古いドアの隙間なんかから入ってくる微かな光のおかげで、何も見えないという程ではなかったのだが、眼球しか動かせない為に、名前が見える範囲自体はひどく限られていた。名前の視界には、目の前の堅い木の扉しか入らなかった。
 身動き一つ取れぬ状態のまま、名前は長い時間を過ごした。
 どれぐらい時間が経ったのか、全く解らなかった。ずっと耳を澄ませていたが、何の音も聞こえてこないのだ。ほんの時たま、人が通り掛かる事もあったようだが、如何せん名前が何の行動も起こせないので、状況は少しも変化しなかった。指の一本でも動かせれば、事態は変わってくるかもしれないのに。時間経過の指標となる物が何もなかった(隙間から入ってくる光は日の光でなく、燭台の火の光だ)ので、名前の時間感覚はとっくの昔に狂っていた。

 最初の内、名前はどうにかして金縛りの魔法が解けないかと奮闘していたのだが、いつの間にか止めてしまっていた。体の何処に力を入れようとも、ぴくりとも動かない。頑張るだけ無駄だったのだ。
 ぐらぐらしないのが不思議なほど、名前の手は体に、足は足同士でぴっちり付けている。回りに人が居たら、名前はショーウィンドウに飾られたマネキンの気分を味わえただろう。今現在は柩に入れられたミイラの気分を味わっている。
「名前・名字は君か?」名前の、いわば一人だけの空間は突如として崩壊した。
 ぬっと、すぐ目の前に男の顔が突き出た。何の音も気配もしておらず、無論、ドアは開けられていない。木の壁を擦り抜けて現れたのは、名前もよく知る男の顔だった。陰気な顔はげっそりとやつれていて、更に憂鬱げにみせている。ちらりと見える胸元は血にまみれており、言ってはなんだがおどろおどろしい。
 そんな不気味な顔が、何の前触れもなく自分の目の前に現れたのだ。しかも普通ならば有り得ない方法で。名前の心臓は早鐘の如く脈を打っていた。名前の口と喉が自由に動いたならば、大絶叫は間違いなしだったろう。が、今の名前は身動き一つ取れる状態ではない。自分の体中で血がドクドクと流れているのが気持ち悪いほど感じられた。
 血みどろ男爵は何も答えない名前を見て、少し不満げだった。
「この様な時刻に出歩いているのは感心されるべき事だろうか? いや、そうではない……それどころかホグワーツでは処罰に値される行為の筈だ……」
 へえ、それはそれは、男爵殿には私めが出歩いているようにお見えになると? 名前は心の中でそう言った。名前の驚きは、一瞬の内に憤慨へと変わっていた。一時間も二時間も、この窮屈な場所に無理矢理閉じ込められているのだ。名前が八つ当たりするのだっておかしい事ではない。しかし勿論、男爵には名前の心の声など聞こえないらしく、彼は一人憂鬱げにぶつぶつと呟くだけだった。

 血みどろ男爵は木の扉など全く関係がないとでも言うように、普通に歩いて箒置き場の中へと入ってきた。名前には絶対に真似できない芸当だが、彼のひどくゆったりとした動きに、苛立ちは益々募っていく。名前は今まで、彼と言葉を交わした事が一度もなかったのだが、何の感情も籠もっていないような、そんな彼の暗く一本調子な口調に、早くもうんざりしていた。
「……ハッフルパフの底が窺える、返事の一つも返さないとは……」
 勿論口は閉ざされたまま、動かぬまま、声の出ぬままだが、名前は心の中で思いっきり血みどろ男爵を罵った。あらぬ限りの暴言で罵倒した。普段だったら名前の怒りがここまで高ぶる事はないのだが。もしも名前の叫びが聞こえていたらば、男爵は名前に怒鳴り声を出していたかもしれないし、マクゴナガル先生が居たらばハッフルパフの得点が一気に五十点は減点されたかもしれなかった。


「……全身金縛りの呪いか……両手両足が閉じている……果たして、これは生徒らの中で流行っている遊びなのか? いや、そうではないだろう……何故なら私は今までそんな事をしている生徒を見た事がない……」
 名前が返事をする事が出来ない状態だとやっと解ったのか、それとも名前の返事を待つ事を止めたのか、どちらにしろ血みどろ男爵は一人きりでぶつぶつと呟いた。名前は表情こそ変わらぬものの、憮然として彼を睨み付けていた。
「……そう、私では何もできない、何故ならばゴーストの身では魔法を解く事はできないからだ……他の人間を呼んでくるより他に仕方あるまい……」
 血みどろ男爵が箒置き場に現れてからの数分の間に、やっと名前と彼の意思が通じ合った。最初からそうしてくれれば良かったのに。名前の心の呟きは勿論拾われる事はなかった。血みどろ男爵は憂鬱な表情をしたまま、「動かずに此処で待っていろ」と名前に向けて言い放ち、現れた時と同じように、するすると壁を通り抜けて消えた。もしも右腕一つでも自由の身だったならば、這ってでも此処から出てやるだろうと名前は思った。

 男爵は何も言わなかったので、彼が何故偶然にも名前の居る場所を探り当てて来たのだとか、彼が誰に名前の今現在の状態を伝えに言ったのか、そういった事の全てを名前は解らなかった。彼が最初「名前・名字は君か」と言ったことを考えるに、誰かに頼まれて名前を探していたと考えるのが自然だったが、名前にはわざわざあんな陰気なゴーストに用事を頼むような知り合いは思い付かなかった。
 再び、いきなり箒置き場の中に半透明の男の顔が現れた時、名前は先程のようには驚かなかったものの、さっきまで活発に動いていた血が、一気に引いていくのを感じた。目の前の男は暗い目を爛々と輝かせ、意地悪そうに口元を歪めている。腹立たしいほど愉快そうだ。天井から逆さまに現れた小男は、ふわふわとひっくり返って名前の目の前に立つ。ピーブズだ。
「悪い子悪い子、こーんな時間に寮に居ないなんて。名字の嬢ちゃんは悪い子だ!」
 げたげたと下品に、そして器用にも空中で笑い転げてみせるポルターガイストは、名前が何の身動きも取れない事を知ると、ますます口を吊り上げた。
 普段ならば名前は、ピーブズに会ったとしても、周りの友達みたいに焦る事はない。ピーブズが何かをしてくる以前に、遭遇しないよう避けて生活していたり、例え出会ってしまったとしても追い払えばそれですむからだ。が、今の状態では何をする事もできない。名前は先程別れたばかりの陰気な男をすぐさま呼び戻したかった。ピーブズを制御できるのは血みどろ男爵だけだし、ピーブズに出会えば厄介事が十倍厄介になってしまうのは、ホグワーツにいる全員が知っている。ピーブズと血みどろ男爵なら、男爵の方が数倍マシだ。
 名前は再び心の中で思い切り暴言を吐いたのだが、やはりピーブズにも、名前の心中の叫びは聞こえてはいないようだった。

[ 612/832 ]

[*prev] [next#]
[モドル]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -