二人の魔法使いとハーマイオニーの頼み

 名前は闇の魔術に対する防衛術の試験を、今までにない点数で合格した。文句なしの満点だった。水魔に捕まる事なくプールを渡り終え、赤帽鬼の腕をかいくぐり、おいでおいで妖怪の誘惑に少しも屈せず、最後のトランクに入った。中で待っていたのはやはり吸魂鬼に姿を変えたまね妖怪だったが、この半年間の訓練のおかげで、名前はボガート・ディメンターを前にしても卒倒しない余裕が出来ていた。
「ふふん、対処法さえ知ってりゃこっちのもんよ――リディクラス!」
 吸魂鬼は名前に襲い掛かるよりも前に、パチンと鞭を鳴らすような音を立て、きらきらと光る霧に変わってしまった。要は、吸魂鬼の力を発揮するより先に、まね妖怪として退治してしまえば良いのだ。揚々と外に出た名前は、皆に羨望の眼差しを向けられながら、寮へと戻った。

 ハンナやその他ハッフルパフ生が帰ってきたのは、それから暫くの時間が経ってからだった。どうやら、ハンナの試験は上手く行かなかったようだ。憂鬱そうな顔をしている彼女を見ながらも、名前はお喋りする口を止められなかった。レッドキャップを転ばしてやったと生き生きと語っていると、横で頷いているだけのハンナを不憫に思ったのか、スーザンが割り込んできて、無理矢理二人を大広間へ連れて行った。夕食を食べている時は、専らスーザンが聞き役に回ってくれた。
 名前の口がやっと止まったのは、夕食の後、大広間の出口へと向かいながら、入れ違いに中へ入ってきた男とぶつかった時だった。
 もろに衝突してしまった。相手はホグワーツの生徒ではなく、先生でもなかった。見たことのない大柄の魔法使いで、細い口髭を生やしている。ごめんなさい、と名前が言うその前に、その男は野良犬でも見るような目つきで名前へと一瞥を投げ捨て、無言のまま歩いていった。前を見ていなかったのは名前だし、過失があるのも名前だろう。だがあまりの冷たさに、名前は唖然とした。
 その男の後を、名前の身長とそう変わらないようなよぼよぼの魔法使いが、危なっかしい足取りでヨロヨロと付いていった。老人の方は、自分の連れが子供とぶつかったどころか、名前達が此処に居る事にすら気付いていないように見えた。此方が心配になってしまいそうなくらい年老いた老人だった。
 二人は大広間を出ると、まっすぐと校庭へと向かい、扉の外へと消えていった。
「……何あれ」
「さあ、誰かしら」
 やっと普段の調子に戻ってきたハンナは、名前の呟きにそう返事をした。
 ホグワーツで教職員以外の大人を見たのは、名前は殆ど初めてと言って良かった。考えてみれば、此処は学校なのだから、他からの客人の一人や二人、居たって何の問題もない筈だ。名前は髭面の男の態度に少しだけムッとしたのだが、それきり忘れてしまった。もっともそれは、ほんの少しの間だけだったが。


 寮に戻ると、名前に向かって一羽の梟がすーっと飛んできた。デメテルだった。彼はそのまま名前の腕に止まる。小さな紙切れをくわえていたデメテルは、それを名前に渡すと、何故だか不満げにカチカチと嘴を鳴らし、すぐに飛び立っていった。近くにいた生徒が広げていたお菓子をちゃっかりと攫っていく事も忘れずに。
 こんな時間に梟便だなんて、何だろう。名前はそう思ってすぐさま羊皮紙のメモを広げ、あっとした。ビーキーの控訴裁判は今日の二時に行われる事になっていたのだ。ハグリッドの文字で、裁判の結果が記されていた。



 控訴に負けた。刑は日没後だ。名前、絶対に来ちゃなんねえ。それから、ありがとう。 ハグリッド




 その手紙は、名前が貰った中で一番短い手紙だった。文字はぶるぶると震え、インクが涙で滲んでいる。読んでいるだけでハグリッドの嗚咽が聞こえてくるようだった。
 ――ありがとう。ありがとうって?
 名前は言い知れない空虚な気持ちでその手紙を見詰めた。ハンナがぽつりと、「決まってしまったのね」と言った。彼女までもが苦しげな表情をして、名前の背を優しくぽんぽんと撫でた。
 名前は黙ったまま、何も考えずに緩慢に歩き、暖炉から一番離れて壁を向いたソファにぼすっと腰掛けた。黄色いクッションが大きくへこむ。ハンナも名前に倣い、同じように隣のソファにゆっくりと座った。小さな羊皮紙は畳まれていて、今は名前の右手が握っている。

 ありがとうだなんて。
 名前は何にもしていない。それどころか、防衛術の試験で浮かれていた為に、時を同じくしてビーキーの裁判が行われていた事をすっかり忘れていた。二月の時だって、名前は罰則を受けてしまい、手伝いをする事ができなかった。名前はビーキーにもハグリッドにも、何の力にもなれなかったじゃないか。

 あの男達。名前は思い出した。大広間を出る時にぶつかった大男と、ヨボヨボの老人。もしかしてあの二人は、バックビークの裁判の為にやってきたんじゃないのか? 名前には確信があったし、そう考えれば教師以外の大人を見た事は不自然でも何でもなかった。
 刑は日没に行われる。名前はふと窓を見た。太陽は大分傾いているようで、全てが橙に染まっていた。沈みきるにはあと一時間もないように思われた。もっとも、地下のハッフルパフ寮の為に特別に作られた窓だから、見えている景色が本当に今現在を表しているのだと、言い切る事は出来ないのだが。
「あまり自分を責めては駄目よ、名前」ハンナが言った。
 名前は彼女を見遣る。彼女のお下げ髪がちょうど夕日の光に当たり、とても美しい物のように見えた。彼女の双眼は今、そのどちらもが名前を映している。
「私は、貴方がハグリッドの為に一生懸命だったのを知っているわ。自分を責めては駄目よ。貴方以上にヒッポグリフの事を気に掛けていた人が居た? 貴方が居たから救われた分も有る筈よ」
 名前は、去年の学年末に言われた事を思い出した。そっくりな事をダンブルドアに言われた。隣に立つという事は簡単なようで、実は本当はひどく難しく、そして勇敢で気高い事なのだという事。しかし名前はやはり、お礼を言われるような事はしていないとしか思う事ができなかった。名前がビーキーの裁判の控訴の準備に一生懸命だったのは、去年のジニーのようなあんな暗い顔を、ハグリッドにさせたくなかったからだ。
 恐ろしい答えに辿り着いてしまう気がして、名前は自分の考えに蓋をした。
「ありがとう」名前はそう一言、ハンナに呟いた。


 少し行って来ると言った名前を、ハンナは引き留めなかった。名前はそんな親友に感謝して、静物画の穴を潜る。お喋りなフルーツバスケットの住人達は、夕食も終わった時間に一人きりで廊下に出てきた名前に向かって、ぺちゃくちゃと咎める声を発したが、名前は何の返事もしなかったし、そのまま真っ直ぐ廊下を突っ切り、階段を上った。
 廊下を歩く間に何人かの生徒と擦れ違ったが、全員が喜色満面だった。やっとテストが終わり、皆清々しているのだ。校庭の隅で哀れなヒッポグリフの命が消えようとしている事なんて、皆知らないのだ。名前はどこかしら、悲しくなりながらも口を結び、そのまま大広間へと向かった。

 名前は校則を破ってやろうだとか、そういった悪ふざけをしているつもりは更々なかった。確かに今の名前は、こんな時間に外に出ようとしており、それは立派な校則違反だ。しかし、ハグリッドを放っておく事は出来ない。外へ出る間に先生に会えば説明をするつもりだったし、それでも駄目そうだったら逃げ切ってでもハグリッドの所へ行くつもりだった。名前には目眩まし術があるし、先生達はバックビークの控訴裁判の事を知っているだろうから、解ってくれるに違いないと思ったのだ。
 幸運にも、この時の名前はどの先生にも会わなかったし、それどころかゴーストの一人とも擦れ違わなかった。
 大広間の天井は夕焼けに染まっていた。東の空は既に夜の闇を背負っている。大広間は無人だった。と思うと、反対側、玄関側の大扉がばたんと閉まった。誰かが外へと向かったらしい。遠すぎて判別は出来なかったが、知っている誰かのような気がした。名前は目眩まし術を掛けるか少しの間逡巡し、結局何もしなかった。名前の杖は今、ローブの内ポケットに仕舞われている。

 玄関ホールに出ると、名前はまず左右を見回した。確かに先生に出会った時の心構えはしていたが、やはり叱られたり、減点や処罰はできる事なら受けたくはない。唐突に声を掛けられて、名前は飛び上がらんばかりに驚いた。
「名前! 良かった、会えたわ!」
 ハーマイオニーだった。栗色の髪、少し大きな前歯、鳶色の瞳は間違いない。しかし、先程広間を出ていった人影は、間違いなくハーマイオニー達だった! どうして今、別の場所から現れたんだろう?
 ――ロンが居ない。ハリーと二人だけで、此処まで引き返してきたんだろうか?
「一体、どうして此処に?」
 名前はそう言ったが、ハリーが「名前がどうして此処に?」と同じ事を名前に聞いたので、余計に訳が解らなくなった。ハーマイオニーがハリーに目配せをした。その目は黙れと告げており、思わず名前まで黙り込んでしまった。
「よく聞いて、名前。絶対に外に出ては駄目、駄目よ」
「……どうして?」名前は訝しんだ。
 よくよく考えてみれば、奇妙な話だった。名前は少しでもハグリッドの側に居ようと校庭へと行こうとしている。ハーマイオニーとハリーも、そうじゃないんだろうか? 彼女達の所にも、ハグリッドは手紙を送っただろうし、だからこそ今此処に居るのではないのだろうか?
「理由は言えないわ。でも駄目。貴方だけは絶対に外に出ちゃ、駄目なの」
 やはりおかしい。ハーマイオニーが理由も説明せずに、そんな事を言うわけがない。しかし頭ではそう感じていたものの、名前は彼女を睨み付ける事を止められはしなかった。
「あたしだけ仲間外れってわけ? ハグリッドの所に行くんでしょう?」
 名前がへそを曲げた事を察したらしいハリーが、先程までの動揺から困惑へと表情を変えた。
 しかし、名前はまさかハーマイオニーが自分に杖を向けるだなんて思っていなかったし、頼めば訳を話してくれると信じていた。だから、彼女が杖を振った時も、名前は即座に反応をする事が出来なかった。
「本当にごめんなさい。それでも、理由は言えないの。私を怒ってくれて、ううん、嫌いになってくれて良いわ――ペトリフィカス・トタルス!」
 閃光が走ったと思ったら、名前の体は次の瞬間硬直していた。恐ろしく鋭い全身金縛り呪文だ。手足どころか、眉の一つすら動かす事ができない。唯一動く眼球は、申し訳なさそうな表情をしているハーマイオニーと、名前と同じくらい度肝を抜かれたハリーを映し出した。口を動かす事も出来なかったので、名前は何の文句も言えず、そのまま箒置き場に押し込められた。

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