疾駆するガーゴイル

 名前は全速力で飛びながらも、しっかりと実況放送に耳を傾けていた。
「ハッフルパフの選手達が再び動き始めました。どうやら、シーカーが墜落したショックから持ち直したようです――ディゴリーならご安心を。マダム・ポンフリーと、寮監のスプラウト先生が今担架に乗せました。そのまま医務室へと運ばれていきます。明日にはケロッとしている事でしょう――さあ、ボールは依然としてスリザリン側。スリザリン、このまま逃げ切れるでしょうか。ハッフルパフは追い付く事ができるでしょうか――良いぞ、そこだ、行けっ名前っ!――」
 名前がスパートを掛け、一気にワリントンからクアッフルを掠め取ると、それまで沈んでいたハッフルパフのベンチが息を吹き返し、わーっと歓声が沸き起こった。名前はそのまま踵を返し、一目散にスリザリンのゴールを目指した。「良くやった、名前!」マホニーの大声が背中から追い掛けてきた。
 名前はそれまで、クアッフルを奪い取り、相手チームを攪乱する事に精を出していた。しかし味方のシーカーがおらず、一刻の猶予も許されない今、名前はクアッフルを手に取ったままフィールドを横断していた。要は、追い付かれない程のスピードで飛べば良いのだ。そしてスコア・エリアに入ると、右下のゴールに投げ入れる振りをして、横っ飛びに飛んできたブレッチリーの頭の上から真ん中のゴールへとシュートを決めた。クアッフルは緩やかな弧を描き、ゴール・ポストへと入っていった。
「名字選手、決めました! スコアは八○対九○!」解説者が高らかと叫び、ハッフルパフ側の応援席は拍手喝采をした。
 名前はさして喜びの動作も示さず、すぐにとんぼ返りをした。クアッフルを手にした相手のキーパーが、チェイサーにパスを出す筈だからだ。名前の狙い通り、ブレッチリーは拾ってきたクアッフルを間髪入れずに放り投げた。その先にはフリントが待っている。名前はフリントがキャッチする寸前に先回りし、カットしたクアッフルを、ノーマークだったザカリアスに手早くパスをした。
 ザカリアスは少し飛ぶとチェンバースにボールをパスし、再び手元に戻ってきたクアッフルをゴールに投げたが、今度はブレッチリーにまんまと防がれた。得点にはならなかったが、試合の流れがハッフルパフへと変わってきていた。

 名前は競技場を縦横無尽に飛び回った。練習の時でもこれほど飛んだりはしないだろう。ある時はクアッフルを奪い取ってシュートを決めたし、相手チームの得点の阻止もした。またある時は弾丸のように勢いづけて飛び、スリザリンのチェイサー達を蹴散らした。彼らの大柄な体躯も強面の顔も、もはや今の名前には減速する原因にはならなかった。
 太陽が真上を通り過ぎ、やや角度がついてきた頃には、名前は体中汗だくになっていた。しかし、飛ぶ事をやめたりはしなかった。
「マルフォイ選手がスパートを掛けます――ああっ――ハッフルパフのコベット選手、鋭いブラッジャー打ちで再びスニッチキャッチを阻止しました。実に素晴らしい動きです。ざまーみろスリザリン!」
「いい加減になさい、ジョーダン!」
 ハッフルパフのビーター達が奮闘に奮闘を重ねており、度々シーカーの邪魔をした。三度目の妨害が成功した時、スリザリンの応援席からは今までで一番の落胆の声が上がった。
 リーの実況にも熱が入っていて、聞く者全員を試合に熱中させた。彼はスリザリンへの揶揄も忘れなかったが(もちろん、マクゴナガル先生がそれを咎めるのも忘れてはいない)、それすら些細な事であるような実況をした。スリザリン側から野次が飛んだが、そんな彼らも試合に引き込まれている事は確かだった。


 ハッフルパフチームは選手全員で粘ったものの、ついに長かった試合に決着が着く時が来た。
「スリザリンのシーカー、ドラコ・マルフォイ選手が金のスニッチを追い掛けます! ディゴリー選手が欠場している今、ライバルは居ません! 此処で捕らなきゃ男が廃る! 良いぞ、そのまま見失っちまえ!」
 ホイッスルは未だ鳴らされていない。名前も依然として飛んでいた。今名前は赤いクアッフルを抱えている。名前はワリントンのタックルをかわし、ボールが打ってきたブラッジャーをすんでの所で避けた。ザカリアスにもチェンバースにも、距離がありすぎてパスを出す事ができない。そして出したら最後、試合は終わり、次に名前にクアッフルが回ってくる事はないだろう。名前は三本のゴールポストを目指し、真っ直ぐ飛び続けた。
 マクゴナガル先生の声が入らなかったところを聞くに、先生自身もスニッチの行方を夢中になって追っているようだった。名前には視界の端で、マルフォイ目掛けてブラッジャーを叩こうとしていたコベットが、スリザリンのビーターのデリックに体当たりされ、そのまま横に吹き飛ばされているのが見えた。彼はブラッジャーをマルフォイとは正反対の方に飛ばした。名前はスリザリンの応援席から拍手が沸き起こり、ハッフルパフ側からブーイングが起こったのを耳で聞いた。
「――スニッチまであと二メートル――」
 リーがマイクを握り締めているのが簡単に想像できた。観衆は息を呑んでいる。名前は追い打ちを掛けてきたモンタギューをかわした。名前は既に、高速で飛ぶニンバスを、左手だけで正確に操る事ができるようになっていた。
 名前には後ろからフリントが迫ってきている事が解っていたし、前方ではキーパーのブレッチリーが待ち構えていた。マルフォイがスニッチを掴むまで、あと何秒あるだろう?
「っ――入れぇっ!」
 名前は猛スピードで飛んできた反動をそのままに、勢いよくクアッフルを投げた。まだスコア・エリアにも、到底届かない距離からのシュートだ。クアッフルはわずかに弧を描きながらも、真っ直ぐ左下のゴールへと向かった。ブレッチリーは、まさか名前がそんなロングシュートを放つと思っていなかったのだろう、此方に向かってきていた為に、クアッフルを追い掛ける事がワンテンポ遅れた。ブレッチリーの右手をすり抜け、クアッフルは輪の中へと入っていった。

 空中で静止した名前に、止まりきれなかったフリントが思い切りぶつかり、二人は斜めの直線を描くように落下した。折り重なるようにしてピッチに倒れ込んだ時、クィディッチ競技場には大歓声が響いていた。
「畜生! ――ドラコはやったのか?」
 悪態をつきながら、フリントが立ち上がる。名前も無言で立ち上がり、リーの実況を待った。
「スリザリン! スリザリンの完全勝利! スコアは二四○対一○○! ――ん? 待って下さい――何とマルフォイ選手がスニッチを掴む間際、ハッフルパフが得点していました! 最終スコアは二四○対一一○! 一三○点差です! 皆さん、ハッフルパフの名チェイサー、名前・名字に多大なる拍手を!」
 ――負けてしまった。名前は打ち付けた左肘を押さえながらも、痛みのせいではない渋い顔を隠す事が出来なかった。そしてその横で、スリザリンのクィディッチキャプテンである青年も、同じような表情をしていた。最後の最後で、名前のシュートを止めることができなかったのだから。
 スリザリンの大歓声は、それから選手全員が退場するまで止まなかった。競技場が囂々と唸っている。優勝に一歩近付いた為に、お祭り騒ぎだった。しかしその喝采の中に、ハッフルパフやグリフィンドールといった他の寮生達からの、戦い抜いた一人のチェイサーへの声援も混ざっていた事は確かだった。


 試合後、ハッフルパフの選手達は礼もそこそこに、揃って医務室へと駆け出した。息せき切って走り抜き、バタバタと部屋の中へと入ったので、マダム・ポンフリーは相当お冠だった。セドリックはまだ目を覚ましていなかった。眠っている彼の頭に白い包帯が巻かれていて、名前はゾッとした。
 マダムが言うには、今日一日入院したら大丈夫だろうとの事だった。こういう場合の処置は手慣れているのか、静かにしているという条件で、選手六人は病室に留まる事を許された。チェンバースが進言したおかげで、名前も治療を受ける事になった。名前はマダムが左肘に恐ろしくスッとする臭いのする軟膏を塗り付けながら、「また貴方ですか」とか「これだからあんな野蛮な競技」とかぶつぶつと呟いているのを、我慢して聞いていなければならなかった。

 名前が皆の所へ戻った時も、セドリックは目を閉じていて、彼が目を覚ましたのはそれからまた暫く後だった。名前がふざけて、彼の顔を覗き込んでいた時だ。恐い夢でも見ていたのだろうか、ガバッと跳ね起きたセドリックの額と、彼の顔を真上から見下ろしていた名前の額とが、ゴッ、という鈍い音を立ててぶつかった。
「いっ……」二人とも、言葉が出なかった。
「あーあー……大丈夫か?」
 癒えたばかりの鼻を擦りながら、チェンバースが後ろからそう声を掛けたが、名前はどちらかと言えば大丈夫ではなかった。あまりの痛みに目尻に涙が浮かんでいた。ゆっくりと後退し丸椅子に座り直すと、隣にいたザカリアスが「自業自得だ」と呟いた。しかしそれすら気にならないほど痛かったし、みじめだった。
「セドリック! 目を覚ましたのね! 具合はどう?」
 名前との正面衝突など全く意に介さず、コベットがそう声を掛けた。セドリックはしばらく目をぱしぱしと瞬かせていたものの、やがてここが医務室だと気が付いたらしく、顔を青くさせながら皆の顔を見回した。全員、クィディッチのユニフォームを着たままだった。
「し、試合はどうなったんだ? どうして僕は此処に?」
「大丈夫そうだわね」コベットが言った。

 全くだ、と名前を含め皆は頷くだけで、誰もセドリックに試合の結果を告げるという役目を担いたがらなかった。皆の視線を受けて、代表してチェンバースが彼に言った。ひどく言いにくそうだった。
「アー……勝ったのはスリザリンだ。一三○点差さ――おまえはブラッジャーにやられたんだよ、セド。頭の方は大丈夫か?」
 セドリックは暫く黙っていた。ショックを受けているに違いない。個人としてもそうだし、何よりもキャプテンとしての責任を感じているのではないだろうか。名前には、彼が彼なりに悔しさを表に出さないようにしているように思えた。彼が再び口を開いたのは大分間があってからだった(「額が痛い」と呟いた時、名前はパッと視線を逸らした。しかしどうやら、ぶつかったのが名前だとは気付かなかったらしい)。
「負けたのか、僕達は」セドリックが打ちのめされたような声で言った。
「過ぎた事は忘れようぜ。また来年があるじゃないか。おまえが無事で良かった」
 変に明るい声で、チェンバースが言う。空元気だという事が、その場にいた全員にははっきりと解っていた。打ち拉がれているのはセドリックだけではないのだ。チェンバースも他のみんなも、勿論名前だって。

「――ご、めん!」
 突然名前が大声でそう叫ぶと、誰も彼もが名前の方をぎょっとした表情で見た。セドリックも此方を向き、名前は彼と目が合うと、逸らしたくなるのをグッと堪えて言った。
「ごめん――負けちゃって」
 そんな事が言いたいのではないのに。もっとずっと、色々な事が謝りたいのに。心配してくれたのに聞き入れなかった事も、勢いに任せて八つ当たりしてしまった事も、そのほか様々な事を彼に謝りたかった。名前がぎゅっと口を結んで俯くと、次にマホニーが言ったのが解った。
「俺もごめん。俺がもっとちゃんとキーパーとしての勤めを果たせてたら、こんな点差はつかなかった。ごめんセドリック」
「あたしもよ」コベットが言う。「最後の最後、マルフォイにお見舞いしてやれなかった」
 ごめんなさいと彼女が言い、アバンドンもしおらしく頷いた。チェンバースとザカリアスも、もっと点を入れられなくて悪かったと言った。大声での謝罪の斉唱に、マダム・ポンフリーが怒鳴り込んでくるのも時間の問題だった。
「僕もだ」セドリックが言った。ごめんと言って頭を垂れる彼は、心底悔しそうだった。しかし顔を上げた彼の目には、それまでとは違った光が宿っていた。
「こんな不甲斐ないキャプテンだけど、みんなまた来年、選抜に来てくれないか。今度こそ、僕達の手で優勝杯を手に入れよう」
 ああもちろん、と六人全員が頷いた。キレたマダム・ポンフリーに、名前達はとうとう追い返された。犬猫を追い払うように、マダムがシッシッと手を振っている。名前はわざとモタモタして、最後まで動かなかった。
「あの……ごめんなさい、セドリック――」
「――僕は昨日言った事を訂正しなきゃならない」
 セドリックが静かにそう言った。伏せていた顔を上げた彼の表情は無表情に近く、名前はびくりとした。しかしそれでいて、穏やかな顔だった。
「ごめんね、名前。君みたいな子が、チームに居てくれて良かった」
 セドリックはそう言って、小さく微笑んだ。名前も同じように、しかし少しだけ間を空けてから、ほんの少し微笑んだ。この時、二人は初めて理解し合う事が出来たのだ。

 クィディッチは楽しく、そして面白い。しかし何よりも、セドリックがブラッジャーにやられた時、名前は心臓が縮こまる思いだった。もちろんそれは、彼がシーカーだからとか、キャプテンだからとか、そういうんじゃない。
「――君も、少しは僕の気持ちを解ってくれたんじゃないかな。避けられない程近くで見ていたぐらいなんだから、それぐらいは心配してくれたって事だろう?」
「かもね。でも、毎回それで頭ぶつけるのも嫌でしょう?」
「違いないよ」セドリックは快活に笑った。
 彼の包帯は勿論まだ取れないが、それは既に気にならなくなっていた。戻ってきたマダム・ポンフリーがぽつんと残っていた名前を追い返しにかかるまでの僅かな間、二人はずっとお喋りをしていた。

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