どろどろのブロンドとぐちゃぐちゃの羊皮紙

 目眩まし術の掛け忘れという致命的なミスのおかげで、名前は二十点減点され、おまけに四日間の罰則を言い渡された。今日から土曜日までみっちりだ。名前はこの四日間、午後の授業が終わったらすぐさま地下牢教室に直行し、床磨きや棚の掃除をしなければならない。しかもマグル式で。スネイプの口振りからするに、日曜日がないのは彼なりの優しさらしい。名前は呻いた。
 罰則のおかげで、名前はスリザリン戦まで一ヶ月を切ったクィディッチの練習をするどころか、間近に迫ったビーキーの裁判の手伝いが全くできなくなってしまった。それをハーマイオニーに最初に告げた時、彼女は仕方がないという顔をしながらも、咎めるような、それでいて不安げな顔をした。運命の金曜日まで、ハーマイオニーはハグリッドを一人きりで教えなければならないのだ。
 もちろん土曜日も、一日中罰則だ。ホグズミードなんて夢のまた夢で、名前はハンナに平謝りしなければならなかった。どれもこれも全てシリウス・ブラックのせいだ。と、名前は思い込むように務めた。
「罰則だって?」ハリーの声は、信じられないと言っていた。
 四日間、罰則のおかげで守護霊の訓練には行けそうにないと、名前はハリーに伝えた。
 名前が頷くと、ハリーはどうして罰則を受ける事になったのかと知りたがった。勿論、名前はブラックの事を言ったりしなかったし、ただ罰則を受けたのだと言うだけで、どうしてなのかは説明しなかった。彼はシリウス・ブラックが自分の両親を裏切ったと信じ込んでいるので、名前は地球が反対に回っても、自分からはブラックの事を打ち明けたりしないだろう。例え、ハリーがブラックの名付け子なのだと名前が知っていたとしても。
 スネイプに罰則を課せられたのだと言うと、ハリーの興味はそちらに移り、スネイプが嫌味で陰険な奴だという話題で盛り上がった。彼は同時に、名前が地下牢教室の掃除をする羽目になったのは、きっと名前がミスをしたからなのだろうと小さく笑った。名前としても全くその通りだったので、同じように笑うだけで留めた。もっとも、名前の笑いは乾いていたが。

 土曜日、皆がホグズミード休暇に浮かれている中、名前は一人で地下牢教室に釘付けだった。ハンナは罰則を引っ提げてきた名前に呆れ、他の友達と村へ行ってしまったし、ビーキーの裁判がどうなったのかとハグリッドに聞けずじまいだった。
 名前の杖を取り上げたスネイプは、現在は研究室に引き籠もっており、名前は連日の罰則でできた筋肉痛にヒィヒィ言いながらブラシで床を磨いていた。ブラックが吸魂鬼にキスされてしまいますようにと、呪詛を唱えながら掃除をするのが名前のお気に入りになっていた。
 罰則が始まってどれくらいの時間が経ったのか解らなくなった頃、名前は既に、掃除の手を殆ど休めていた。椅子に座ったまま、腕の届く範囲だけ雑巾で磨いていた。間抜けな誰かが零した、何らかの魔法薬が机にべったりと残っていて、なかなか取れずに苛々した。
 スネイプのこの数日の様子を見るに、名前にはホグズミードに行けないようにする事が、一番堪えるだろうと思っているらしかった。実際その通りだった。日曜日に罰則がなくても、友達とホグズミードに行けないのでは意味がないじゃないか。余計に惨めだし、もちろんスネイプは名前がそんな風に苦しむ事を期待したのだ。名前はブラックへの逆恨みをする傍ら、陰険教師、とぶつぶつ呟くのも忘れてはいなかった。
 慌ただしい足音が近付いてきたと思ったら、地下牢教室に生徒が駆け込んできた。名前は逃げも隠れもせず、怠惰な態度のまま訪問者を迎えた。ドラコ・マルフォイだった。しかしおかしな事に、彼ご自慢のプラチナ・ブロンドは泥でどろどろ、目元が腫れているのは泣きべそをかいた後のようだった。全力疾走してきたらしく、ハァハァと息を荒げている。
 マルフォイは地下牢教室の左右を見渡し、名前が居る事にぎょっとしたようだったが、一瞬の逡巡の末、スネイプ先生はどこかと尋ねた。名前が研究室の方を指し示すと、マルフォイは急いでそちらに向かった。
 スネイプ先生はすぐに出てきた。彼は扉をドンドンと叩いたのが名前でないと知ると、途端に顔を穏やかにさせた。マルフォイが何事かをワァワァと言い、それを聞いたスネイプ先生はサッと身を翻し、教室から出ていった。
「ねえミスター? もしよければ杖を貸して頂けない?」スネイプの足音が聞こえなくなった時、名前はそこに立ち尽くしていたマルフォイにそう言った。
 彼は名前が、一体何があったのかと尋ねなかった事に安堵したらしく、他に誰も居ない事を確認してから杖を貸してくれた。実際のところ、どういう理由でそうなったのか名前も気になってはいたのだが、わざわざ聞く気にはなれなかった。質問をすればマルフォイが逆上するような気もしたし、何より心の中で思い切り笑わせてもらったので、もう充分だった。
 名前が杖を大きく振ると、教室中の塵やら埃やらが一斉に宙に浮き、渦を巻いて一カ所に集まった。後はそれをちり取りで集め、捨ててしまえばお終いだ。恐ろしいほどピカピカになった地下牢教室を見て、名前は満足げに頷いた。何度擦っても落ちなかった赤茶色の魔法薬も今ので綺麗に拭き取れたし、石壁の隙間にこびり付いていた材料の滓もすっかり取り除けた。明らかにズルをして掃除をしたという事がバレるだなんて、自分の魔法の仕上がりに満足していた名前は、全然気が付かなかった。
 マルフォイに杖を返そうと思って彼の方を向いた名前は、彼の頭がまだどろどろな事に気付き、同じく清め呪文を使って綺麗にしてやった。彼は一瞬呆気にとられたようだったが、名前が髪の毛を綺麗にしたのだと気付くと、ぼそぼそと礼を言い、杖を受け取ってから帰っていった。結局名前は、何故マルフォイがあんな状態になっていたのかは聞かなかった。

 スネイプ先生はそれから五分ほどで帰ってきた。何故かハリー・ポッターも一緒だ。ハリーの手に先程綺麗にしてやったばかりの、ヘドロ色の泥と同じらしき物が着いていたので、名前は大体の事情を察した。名前が居る事に気が付いたハリーは元から青ざめていた顔を更に青くさせた。彼とは反対に、スネイプの顔には喜色の色が浮かんでいた。スネイプは上機嫌だった。
 スネイプは名前に目もくれずそのまま研究室の方に歩き去ろうと(勿論、ハリーを引き連れて)したので、名前は慌てて呼び止めた。スネイプ先生は名前に罰則を課していた事を、すっかり頭の隅に追いやっていたようだった。
「あの――先生? もう教室は綺麗にしました。帰っても良いですよね?」
 名前の存在を忘れていたらしいスネイプは、名前をじとっと睨み付けてから地下牢教室中を見回し、やけに綺麗になった教室を見て、それから無言で頷いた。そのまま歩いていこうとするので、名前はまた慌てて呼び止めた。
「先生、私、杖を返して頂かないと――」
「これでよかろう! 罰則は今日で終わりだ、ミス・名字。とっとと談話室にでもホグズミードにでも行きたまえ!」
 スネイプ先生は名前の杖を投げて寄越し、噛み付かんばかりの勢いでそう言った。名前は恐々と頷き、助けられなくてごめんねとバレないようにハリーに謝り、そのまま急いで地下牢教室を後にした。ハリーが哀れっぽい顔をして名前を見たが、名前は気が付かないふりをした。

 ハリーには悪いが、名前は罰則が思った以上に早く終わって得をした気分だった。今からホグズミードに行けば少しでもハンナと一緒に村を回れるかもしれないと思ったが、名前のお腹は既に限界を迎えていた(何せ、朝から今までずっと床磨きをしていたのだ)。凄まじい音を立てて空腹を訴えている。名前は仕方なく、厨房に向かった。
「まあ! 大食漢のお嬢様なのでございます!」
 何の悪気もなく、輝かんばかりの笑顔で屋敷しもべ妖精がそう言ったので、名前は憤慨する気も失せ、ちょっとつまめる物をくれないかとだけ言った。しもべ妖精達はわーわーキーキーと食事を用意し始めた。スナッフルの為に何度も厨房に通っていた為、屋敷しもべ妖精達には大食らいの女子生徒と認識されているらしかった。
「……なんか泣きたくなってきた」
「お嬢様、ちょっとつまめる物でございます!」二人の妖精がいつものバスケット(スナッフルに持っていく時の物だ)に、サンドイッチやらバタービールやらを詰めて持ってきた。
 恐ろしい量だったが名前は文句を言わず、そのまま笑顔で厨房を立ち去った。
 確かに名前は空腹だったが、これだけの量を食べきれる気はしない。ずっしりと重く、歩くのにもふうふうと息を吐かなければならなかった。厨房が寮の近くにあって良かった……名前は初めて心からそう思った。
 絵の中の食べ物達にくすくすと笑われながら、名前は静物画の穴をくぐり抜けた。その先の談話室には生徒達が皆ホグズミードに行っているからか、人が殆ど居らず、数人の生徒がお喋りをしているだけだった。
 此方に背を向け、一人で座っている男子生徒の肩に梟が留まっていた。その大きすぎるメンフクロウを見て、名前は少しだけ目を細めた。
「……デメテル?」
 此方を振り向いたその男子生徒がセドリック・ディゴリーだったので、名前は思わず体を硬直させた。名前が呼んだことに気が付いたのか、デメテルはセドリックの肩を離れ、差し出された名前の右腕に留まった。
「……君にだ」立ち上がっていたセドリックが小さく言った。
 名前は一瞬何の事だか解らなかったのだが、デメテルの脚によれよれの羊皮紙が括り付けられている事に気が付いた。名前が何かを言う前に、セドリックは男子寮の向こうに消えていってしまった。仕方なく空いている席に腰を下ろし、きつく結ばれている羊皮紙をやっとの事で解いた。
 名前はお腹の虫が早く治まるようにとサンドイッチをぎゅうぎゅうと詰め込んでいたが、手紙を読んでいる内に、次第にそのペースは落ちていった。
 手紙はハグリッドからのものだった。封筒に入れる気力さえなかったのか、不作法にも梟の脚に直接括られていたその羊皮紙は、彼の涙によってところどころ皺になったり染みになったりしていた。歪んだり滲んだりしているハグリッドの文字を、名前は丁寧に読み進めた。短い手紙だった。



  名前へ
 俺達が負けた。バックビークはホグワーツに帰るのを許された。処刑日が決まんのはこれからだ。
 ビーキーはロンドンを楽しんだ。
 おまえさん達が俺達のために色々助けてくれた事を、俺は忘れねえ。
  ハグリッドより



 途中から、名前は食べる事を忘れていた。右手からこぼれそうになっているサンドイッチの中身をデメテルが穿り出していたが、名前は全く気が付かなかった。

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