ファイアボルトとブラック

 ブラックがホグワーツ城に再び侵入してからの二日後も、名前は普段通りの生活を送っていた。いや、普段通りではないかもしれない。バックビークの裁判が来る金曜日に迫っていたからだ。対スリザリン戦も重要行事である事は確かだったが、ビーキーの方が今は重要問題だ。
 少しでも弁護の足しになるような文章は無いだろうかと、空いた時間の全てを使い、名前は分厚い本を抱えて読み耽っていた。休み時間にも、寝る前の一時も、トイレに行く時だって年表を持っていた。そんな名前を見て、周りの友人達はただただ首を横に振るしかなかった(授業中に読もうとするのは止められたが)。
「なんたる恥さらし! お前にはほとほと呆れ果てました! 一族の恥――」
 超特大の音声で、老婆の怒鳴り声が聞こえてきた際、名前は危うく飲んでいたかぼちゃジュースを『二十世紀の魔法大事件』に吹っ掛けてしまうところだった。そんな事をしでかしてしまえば、名前はマダム・ピンスの手によって、ホグワーツから抹消されてしまうに違いない。
「な……何事なの?」名前は恐る恐る本を閉じ、辺りを見回しながら言った。
「彼――あー……ネビルだったかしら? ネビルが、吼えメールを受け取ったのよ」
 どうやら吼えメールを受け取る始めの様子から、それを抱えてネビルが疾走し、玄関ホールの方へ消えていく終わりまで見ていたらしきハンナがそう説明した。ブラックがグリフィンドール寮に侵入できてしまった原因がネビルに有るのだと、家族に知られてしまったらしい。名前は心の中でご愁傷様と唱え、夏休みにちらりと見たネビルのばあちゃんを思い出していた。


 申し訳なさそうな顔を作ってはいるものの、ひくひくと頬を震わせているブラックの脛を、名前は思い切り蹴り上げてやった。それでもやはり笑っている。
 ブラックは正体を明かして以来、名前がやってくるとすぐに変身を解くようになった。名前はそれを見ながら、一体自分が本物の名前でなければどうするつもりなのだと思っていた。どうやら人の時も犬の時も、彼の考え方はあまり変わらないらしい。
「あー……ロングボトム少年には悪い事をしたな、本当に。詫びの品でも送るべきか?」
「よしてよ。マクゴナガル先生がパニックを起こしちゃうわ」
「違いないな」堪えきれなくなったらしく、シリウスは腹を抱えて笑った。
 名前がジロ目で睨むと、ようやくブラックは真面目な顔を作った。
「そうそう、あのショールを名前に送ったのは私だ。普段養ってくれてるお礼にと思ってね」
「養われてると本気で思ってるわけ? 冗談でしょ」
「おいおい、あれ一つでニンバスが五本は買えるんだぜ、冗談じゃないさ」ブラックは再び笑い声を上げた。
 聞けば、匿名でハリーにファイアボルトを贈ったのも彼なのだという。保護者がクリスマスにプレゼントをあげないだなんて、そんな馬鹿な話があるか、とどこか自慢げに言うブラックに、名前は呆れて物も言えなくなった。ハーマイオニーがロンと喧嘩したもう一つの理由を作った犯人も、まさかこの男だとは。

 ブラックは、骸骨のような見た目に反して存外気さくな男だった。その口からはぽんぽんと冗談が飛び出すし、ホグワーツの抜け道の一つも知らずに過ごすだなんて馬鹿げている、と本気で思っているらしい。こうしてホグワーツの敷地内にいるのも、その抜け道の一つを使ったのだそうだ。
 集中して読書をする為に、名前はわざわざ危険を冒してまで禁じられた森にやってきているのに、暇を持て余した脱獄犯は変わり者のケンタウルスより質が悪かった。
 シリウス・ブラックの二度目の侵入事件以来、ホグワーツは警戒が強まっていた。一人きりで行動するのはほぼ不可能に近いし、少し歩き回るだけで、すぐにミセス・ノリスが飛んでくる。日が沈んでから城を出ようものなら、即減点だ。名前は得意の目眩まし術を駆使して、やっとの事で此処まで辿り着いているのだ。
 ブラックは名前が本を読んでいる時でも、スキャバーズ改めペティグリューが何処にいるのかと真剣に考えている時でも、ふざけ半分で名前にちょっかいを出してくるのだった。人と自由に話せるのが嬉しくて仕方がないらしい。しかし名前にとっては迷惑以外の何者でもない。


 共同戦線、名前とシリウスはそういう事になった。彼はポッター夫妻の仇を討つ為、名前は一刻も早く吸魂鬼をホグワーツから立ち退かせる為と、お互いの利害が一致しているのだ。ペティグリューを捕まえる事さえできれば、ブラックの無実は証明され、同時にホグワーツの警備も解かれる筈だ。これ以上、悪夢に魘される夜が続くのはごめんだったのだ。
 とはいえ、名前にはペティグリューがどこへ行ってしまったのか、全く見当が付かなかった。ブラックは、ペティグリューはホグワーツ内に留まっているに違いないと言い切った。そもそも、彼がロンに飼われていたのは様子を窺う為で、最終的に例のあの人側にハリーを差し出す為だったのだという。だから此処で逃げ出してしまうのは得策ではないし、此処にはシリウスも居るから、完璧に逃げるのは困難だと解っている筈だと言った。
 ハリーの行動を把握できるような位置で、しかしながらロンが鼠を飼っていたと知らない人物の、新しいペットとして過ごしている可能性が高いだろうとブラックは結論付けていた。名前は全く予想ができなかった為、その意見に賛成した。会った事すらない魔法使いの考えなんて、解りっこない。
 名前とブラックは消えてしまったペティグリューが潜んでいそうな場所や鼠を飼いそうな人物について話し合ったが、結局堂々巡りに終わる事が多かった。腹が減った主張するブラックの為に、名前は今までより森へと通う頻度を増やしてやらなければならなかった。人の姿を取っている時の彼の痩せようが、犬の姿だった時より痛々しく見えたという理由もあったし、ニンバス五本という値段に良心が痛んだという理由もあった。
 しかし、こんな事なら何も気付かないふりをして、スナッフルとして接していれば良かったと、名前が半ば後悔しているのは事実だ。人間のブラックは、犬のスナッフルより面倒くさい。
「ワームテールはいつも誰かの後ろに居るような奴だったからな、存外今も、ハリーの身近な場所になりを潜めているかもしれない」
「ハリーの身近な場所ねえ……ちょっと待って、ワームテールって?」
「ああ、アイツの綽名さ。鼠に変身するからワームテール。ちなみに私はパッドフット。それから、プロングズとムーニー」
 どこかで聞いた覚えがあるような名前だった。
「……ひょっとして、ムーニーってリーマス・J・ルーピン?」
「何故リーマスを知ってるんだ?」
 名前はルーピン先生の事を話した。闇の魔術に対する防衛術の先生としてホグワーツに居る事、ブラックに吸魂鬼の接吻が許可された事に対して遺憾の意を示しているらしい事などなどだ。あいつが先生、とブラックは呟いた。
「ルーピン先生ならあんたが無実だって信じてくれるかもしれないけど、まさか会いに行ったりしないでしょ。先生が困ったことになるよ、殺人犯と連むなんて」
「ああ……」ブラックはどこかしら残念そうだった。
 ただでさえ人狼で、他の教師からの信用が薄いのに、とは名前は言わなかった。何故彼が人狼だと知っているのかと聞かれれば、必然的に名前とルーピンの関係を話さなければならなくなり、ひどく面倒だからだ。

 ブラックがもう少しもう少しと渋るので、その日名前が城に戻ったのはとっぷりと日が沈んでからだった。校庭を歩くのにさえ、ルーモスを使わなければならなかった。昼間は暖かかった為、クリスマスプレゼントに貰ったマフラーも巻いてきていなかった。名前は寒さに身を震わせながら、ホグワーツ城の灯りを目指した。
 ペティグリューはどうしているのだろうと考え込んでいたおかげで、玄関ホールの柱の影から人が飛び出した事に、名前は声を掛けられるまで全く気が付かなかった。
「さて、さて? 随分遅いお帰りですな、ミス・名字」
 低く囁くような声に、名前は飛び上がらんばかりに驚き、恐る恐る声の主の方を向いた。スネイプ先生が手を摺り合わせながら、名前を睨め付けていた。ブラックと話し込んでいたおかげで、目眩まし術を使うのをすっかり忘れていたのだ。今まで誰にも見つからずに歩いて来れたことは奇跡かもしれない。
「――スナッフルの阿呆たれ!」名前はごく小さな声で悪態を吐いた。
「ミス・名字は今現在がどういったご時世なのか、全く持って理解していらっしゃらないらしい。このような時間まで校庭で遊び呆けているとは。感服致しますな」
 スネイプの声は嬉しげで、それでいて危険な響きを含んでいる事を、否定する事はできなかった。

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