アズカバンの囚人

 実質、ブラックの侵入を名前達が知ったのは、次の日になって暫くしてからだった。
 名前は大広間に登っていった時に、いつもと様子が違う事に気が付いた。まず、廊下の穴やヒビといった、隙間という隙間が全て塞がれていた。ゴースト達はおろか、折角の休日だというのに先生達が気忙しく辺りを歩き回っていた。大広間でも座っている生徒達が皆、隣の席の友達と話をしており、そして彼らの雰囲気はひどく重々しかった。
 絵画の門番をかいくぐり、再びシリウス・ブラックがグリフィンドール塔に侵入したのだと聞いた時、名前は唖然とした。しかも今回は、寮の中にまでブラックは入っている。グリフィンドール寮の誰かが、新しい門番(カドガン郷だと聞いた)がコロコロと変え続ける合い言葉を覚えられず、一週間分の合い言葉をメモしておいたらしく、ブラックはそれを何らかの手段で手に入れたらしい。ロン・ウィーズリーが襲われそうになったのだと聞いて、名前は益々呆然とした。
 名前がロンと知り合いだとハンナは知っていたので、彼女は名前の腕を引っ張り、本人の元へ話を聞きに行こうとせがんだ。名前も頷くでもなく、彼女の引くままに身を任せた。グリフィンドールの長テーブルでは、ロンの周りに数人の人が集まっていた。彼は新しくやってきた名前達が話を聞きに来たのに気が付くと、嬉しそうに「やあ」と言って、自分の近くに招いた。
「ブラックに襲われたんですって? 大丈夫だったの?」
「ああ勿論、大丈夫だったさ」
 恐々と聞いたハンナに返事をしたロンは、どこかしら嬉しそうだった。ハンナが詳細を話してくれないかと頼むと、彼は二つ返事で了承した。近くにハーマイオニーの姿が見えない事が、名前は少し不安だった。
「僕、昨日寝るのは遅かったんだ……ほら、みんなで宴会してたからね。それでベッドに戻ってからも、ちょっとばかり寝転がったままうとうとーってしてた。興奮してて、眠れなかったんだ。そしたら、寝室のドアが開く音がするじゃないか? ――おかしいぞって思った。僕の他のルームメイトはもうみんな寝てるみたいだったし、やけにゆっくり、僕の方に来るんだ。僕は寝返りを打って、いかにも寝てるように振る舞った。そしたらすぐ近くで、ビリビリって音がした――ブラックが僕のベッドのカーテンを引き裂いた音だったんだ。刃渡り三十センチぐらいの大きなナイフを持ってた――隙間風がサーッと入ってきて、僕はパッと目を開けた。すると、骸骨みたいな男が目の前に居たんだ。あいつ、僕の上に覆い被さるみたいに立ってた。僕、城中に聞こえるぐらい大きな声で叫んでやったんだ。あいつ、相当ビビってた……僕が起きてるだなんて、全然思わなかったんだ。一目散に逃げてった」
 ロンが語り終えると、ハンナは感嘆して、うわーっと声を上げた。名前は話を聞いている最中、相槌の一つも打たなかったが、馬鹿みたいに目を見開いて口をぱかりと開けていたせいか、ロンは少しも気を悪くしなかったようだった。

 ハッフルパフの机に戻り、ハンナが友達にロンから聞いたことを話している中、名前は素知らぬふりをして朝食を食べ終えた。ブラックがどうやってまた侵入してみせたのかについて話すのに夢中になっていた為、ハンナもスーザンもアーニーも、名前がロールパン一つとゆで卵一つしか食べてない事に、誰も気が付かなかった。
「待って、名前、もう行くの?」
 立ち上がった名前に驚いて、ハンナが言った。慌てて口にトーストを詰め込もうとするのを、名前はにっこりして制した。
「ちょっとハグリッドの所に行ってくる。ゆっくり食べてて、ハンナ」
「こんな朝早くからかい?」アーニーが此方を振り向いて言った。
「まあね。ビーキーの裁判が次の金曜日なのよ」
 ああ、と皆が頷いた。彼らは名前がハグリッドを手伝って、ヒッポグリフの弁護をしようとしているのを知っていた。積極的に協力してくれるわけではなかったが、名前が門限を過ぎて戻らなくても黙って見逃すぐらいには、多少寛大になっていた。そして、名前が行き先を告げずに消えると、誰もがハグリッドの所に居るのだと思うようになっていた。
 名前はハンナ達に手を振り、大広間を後にした。そして玄関ホールに出て、扉を閉めるとすぐに踵を返した。向かう先は校庭の隅の、ハグリッドの丸太小屋ではなかった。


 スナッフルはすぐに姿を現した。ぶんぶんと尻尾を振り回し、体全体で喜びを表している。初めて森の端で出会った時には考えられないほどの懐きようだ。根気よく続けた餌付けの成果が、十二分に現れたらしい。
 地面に置かれたバスケットに、黒くて大きな犬はすぐさま顔を突っ込んだ。ここまで喜ばれては、屋敷しもべ妖精の冥利に尽きるというものだろう。がつがつと物も言わず食べ始めるスナッフルを見ながら、名前は近くの木に寄りかかり、ゆっくりと腕を組んだ。
「考えてみたのよね」暫くしてから、唐突に名前が言った。
「人が何かをするには、それ相応の理由が有るわ、大抵ね。例えば私が今こうして野良犬に餌をやっているのも、将来的に、動物を別の物に変身させる時の練習台になれば良いと思ったからだし――ま、本人に聞いてみないと、本当の事は解らないんだけどね」
 名前の独り言はまだ続いた。今日は、変わり者のケンタウルスも現れなかった。
 もちろん、ハグリッドも現れない。ハンナ達に言った事は半分は嘘ではなく、名前とハーマイオニーが朝の内に彼の元へと訪ねる手筈になっていたからだ。そして名前は先程そのハーマイオニーに会っており、少し遅れていくから、ハグリッドと共に小屋で待っていてくれと言ってある。
 ちょくちょく森に忍び込むウィーズリーの双子は、今日は朝から晩までクィディッチ漬けだ。昨日の素晴らしいプレイを忘れず、体に叩き込む為らしい。ハリーが一緒に居ないのは何故かと尋ねた名前に、ロンが教えてくれた事だった。もっとも彼らは最近別の事に夢中になっているらしく、禁じられた森に侵入する事自体が滅多になくなっていた。

「問題なのは」名前は言った。「自分が何をしているのか解っていない事だわ」
「目先のことに捕らわれて、誰にどういった被害が及ぶのか、それを理解していない事だわ――ううん、考えてもいないのかもしれない。――身勝手な一人の男のおかげで、皆がどれだけ被害を被っているか。とある男の子はとっても怖い思いを味わったし、一人の男の子が皆に責められたわ。自分はただ、忘れないようにしておいただけなのに。それに私の大事な友達は、その男のおかげで友達と大喧嘩したわ」
 腕を組んだままの名前の右手には、いつのまにか杖が握られていた。スナッフルが今、顔を下に向けたままではあるものの、その二つの耳に全神経を集中させている事が名前には解っていた。犬はマラソンを走り終えた後のように呼吸が荒くなっていたし、何より先程からぴくりとも動かない。食べる事すら忘れている。
 名前はそんな黒い犬の様子を、じっと眺めていた。
「一体、ロンに何の用があったのかしら? あの人の一の支持者だと言われているのに、ハリー・ポッターでなく――まあそれは、彼がハリーの名付け親だから。名付け子を殺そうとする名付け親なんて居る筈がないわ」

「アズカバンの囚人さまのご意見を、ぜひ聞かせて頂きたいものね」
 ポンという軽い音がした。そしてその瞬間、スナッフルが居たその場所に、一人の男が現れた。
 骸骨のような男だった。長い虜囚と逃亡生活の末に汚れきった黒い髪が肩まで垂れている。痩せ細り、骨と皮しかないように見えた。着ているローブも泥だか何だかで驚くほど汚れている。灰色の瞳が見返してくるのに気が付かない限り、髑髏だと言われても信じられそうなほどだった。
「君は――」シリウス・ブラックが言った。「――君は全て解っているんじゃないかと思っていた」
「買い被りすぎだわ」名前は冷たく言った。
 スナッフルだった男は、途切れ途切れに言葉を発した。言葉を選んで喋っているというよりかは、まるで忘れていた大切な何かを、必死に思い出しているようだった。
 名前は腕を組んだまま、そして杖を握ったままだった。ブラックは杖どころか刃渡り三十センチのナイフも持っていない。丸腰だ。
 ブラックは無表情で木に寄りかかっている名前を見て、途方に暮れているようだった。ブラックの方が名前よりも遙かに背が高いのに、彼の視線は、スナッフルだった時と同じように、名前を見上げているように思えた。
「――説明させてくれ」脱獄囚は懇願した。
 分は、杖を持っている名前にある。ブラックもそれを解っているのだ。名前には、目の前の男を失神させる事もできるし、記憶を消してしまう事も、ナメクジに変えてしまう事だってできる。とはいえ、ブラックが名前に襲い掛かり、杖を奪い取ってしまうという選択肢もある。しかしながら体力が衰えている筈のブラックの動きについていけないほど、名前はか弱い女の子ではなかった。
 名前は左手の指でとんとんと腕を叩いた。
「あなたに選ぶ余地はないわ。全てを話して」

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