クルックシャンクスとスキャバーズ

「それじゃあ、フィルチが管理室に戻ったって確認してからの方が良さそうね」
「ウン。あの人リューマチがひどいし、確認が終わったらすぐ部屋に戻る筈だよ」
 名前がそう言うと、ハンナは思わずといった様子で笑い声をあげ、もう少しで噴き出してしまうところだった。彼女は素早く口元を押さえたが、それでも体は小刻みに震えていた。名前はひょいと辺りを見回し、フリットウィック先生が教室の前の方で、アーニーとジャスティンの組の進み具合を見ているのを確認した。
「それから、あたし達が今日は後からホグズミードに行くんだ、って事を誰かに見せておいた方が良いかもしれない。玄関ホールに居なかったのに、って言われると厄介じゃない?」
 ハンナはまだ小さく笑っていたが、こっくりと頷いた。「そうね、じゃあ、一度みんなを見送るふりをして、城に戻るっていうのはどう?」
「バッチリ!」
 名前が小さく歓声を上げるのが耳に入ったらしく、向こうの机に座っているスーザンがわざわざ此方を振り向いて、咎めるような視線を寄越した。名前がウィンクをして返すと、呆れたように首を振って、顔を逸らした。彼女は名前達が秘密の抜け道を使ってホグズミードに行く事に、賛同してはいないのだ。もっとも、先生に告げず、きつく睨み付けるだけで終わるのは、スーザンの優しさだった。
 新しいホグズミード行きが発表されたので、名前とハンナは改めて話し合っていた。抜け道を通ってホグズミード村に行く事についてだ。名前が自由にできる時間がなかなか取れないので、こうして授業中に話していた。呪文学は全員が一斉に呪文を唱え、どこからともなく魔法が炸裂し、あちらこちらから騒々しい音がする。なので先生に隠れてこっそり何かを話し合うには、ピッタリな授業だった。
 名前が許可証にサインを貰っていたにも関わらずホグズミードに行かないのは、吸魂鬼と会いたくないからだ。その事をハンナはよく解っていた。決して口に出して教えてはいないのだが、それでも彼女は解ってくれていた。だからこそ、名前が秘密の抜け道を使って一人で(と言っても、リーと一緒だったわけだが)ホグズミードに行ったことに、ハンナは憤慨した。相談してくれても良いのに、と。
 そして相談した結果、驚いた事に、ハンナも抜け道を通って一緒に行くという事になったのだ。彼女がその事を持ち出したとき、一瞬だけ、名前はこの子は本物のハンナなのだろうかと疑ってしまった。ハンナは模範生とも言えるほどの真面目な生徒だし、規則を破った事どころか、減点をもらった事すら今までに殆ど無い筈だ。しかし名前は彼女のそんな申し出が嬉しくて、ぴょんぴょん跳ねて喜んだ。
 何故なら名前もハンナと同じように、二人でホグズミードに行きたいと思っていたからだ。
 二人は結局、申し訳程度に呟くだけで、授業が終わるまで一つもまともに呪文を唱えなかった。スーザンが何度か呆れたように名前とハンナを見比べたが、それでも二人とも、ホグズミードの計画に夢中になっていた。明日の土曜日にはレイブンクローとグリフィンドールの試合があって、次の土曜日がホグズミード休暇だった。

 呪文学の後の休み時間も名前とハンナはずっと話し続けていた。次の薬草学でも出来る限り話し続けていたいと思ったのだが、スプラウト先生の目が光る中では難しいし、ハーマイオニーがやって来た事で、中断せざるを得なかった。
「あの……名前? もし良ければ、組に入れてもらえないかしら?」
 三人組を作るようにと言われて居たので、ハーマイオニーが混ざる事には何の問題もなかったのだが、彼女がやけに重苦しい雰囲気を纏っていたので、名前は頷くのが遅れてしまった。ハーマイオニーが不安げに名前を見遣り、ハンナに小突かれてから返事をしたぐらいだった。ハンナも彼女の様子がおかしい事に気が付いたらしく、イラクサの植え替えをしている間、ずっと名前と一緒に取り留めもない話を続けていた。しかし結局、ハーマイオニーはそれらの会話に一切混ざらなかった。
 薬草学の授業が終わってからも、ハーマイオニーの表情は優れなかった。彼女は何か、名前に話がある――もしくは、何か聞いてもらいたい事がある――らしかった。それを察したハンナは、またねと言って、一人で寮に帰っていった。
「んー……それじゃ、どっか別の場所に行こうか?」名前が言った。
 名前はこの後、クィディッチの練習が入っていた。しかし大事な友達の相談に乗る事は、それと同じぐらい重要な事だ。少しばかり遅れても、クィディッチの神様は許してくれるに違いない。チームメイトは解らないが。
「ごめんなさい、あの、ハンナを先に帰してしまって……?」
「気にしないで――そうだな、湖にでも行こうか?」
 ハーマイオニーは頷いた。
 湖に辿り着くと、名前はいの一番に岸辺に腰掛けた。雪が存分に残っていたようで冷たかったが、どうせこの後クィディッチの練習があるのだからと気にしなかった。ハーマイオニーも名前に倣って、ちょこんと隣に座った。
「何かあったの、ハーマイオニー?」問い掛けながらも、名前は心構えをした。
「……ク――クルックシャンクスが、スキャバーズを食べちゃったの」
 ハーマイオニーはぼろぼろと泣き出したが、名前は準備していたハンカチで彼女の顔を拭ってやった。ハーマイオニーの様子からして、大変な事が起こった事は明らかだった。彼女は名前にしがみついて、しゃくり上げた。背中をさすってやると、ハーマイオニーはぽつりぽつりと、事の顛末を話し始めた。
「ク、クルックシャンクスは、前からスキャバーズを狙ってたわ――た、食べようとしてるのかは、解らなかったけれど――それで、ロ、ロンとは、口をきかなくなったわ」
 名前は頷いた。頷きながらも、ハーマイオニーの背を優しく、ぽんぽんと叩いていた。水面にちらりと姿を見せた大イカが、ゆらゆらと足を動かしているのが、いかにも脳天気に見えた。
「昨日も、そうだったわ。ハリーがファイアボルトを返してもらって――」彼女の目に再び涙が溢れたので、名前はハーマイオニーが泣き止むまで、辛抱強く待った。「――ロンが、寝室に持っていったの」
「彼のシーツに、血が着いていたの。オレンジ色の毛も落ちていたの」
 ぶるぶると震えるハーマイオニーを、名前は抱き締め、頭を撫でた。ワッと泣き出したハーマイオニーの温もりを感じながら、名前は自分の鼻の奥がツンとしたのを、どこか他人事のように感じていた。

 暫くして、随分と落ち着いてきたようだったが、口を開いたハーマイオニーの声は未だ少し涙声だった。
「クリスマスにも一度、クルックシャンクスはあの人達の部屋に行ったの。話したわよね?」名前は頷いた。「その時に、毛が落ちてしまったのかもしれないって、私、あの人達に言ったわ」
 名前は再度頷いた。ハーマイオニーは名前が何も言わなくても、解っているようだった。彼女は聡明で、そしてとても思いやりのある女の子なのだ。
「でも、本当は解ってるわ。あの子は猫だし――スキャバーズは鼠なんだもの」
「彼は猫らしく振る舞った、そういうわけだね」
 名前がそう言うと、ハーマイオニーはほんの少しだけ目尻を下げた。
「ロンに――ロンに、謝るわ。今すぐにとは言えないけれど。あの人の言う通り、クルックシャンクスの事をちゃんと見張っておけば、こんな事にはならなかったかもしれないわ。全部私のせいだもの」
「ハーマイオニー」名前が言った。「あんまり気に病みすぎないで。ハーマイオニーだけのせいじゃないよ」
「……ありがとう、名前」
 ハーマイオニーはぎこちなくではあるものの、笑顔を見せた。微笑んでいる筈なのに、泣いているような、そんなみじめな顔だった。名前はそんなハーマイオニーを、まともに見ていられなかった。
「話を聞いてくれて、本当にありがとう、名前。あの――さっき時間を気にしてたようだけど、大丈夫? もしかして、何か用事があったの?」
 確かに名前は、温室を出る前に時計を確認していた。しかし、それを彼女に気付かれていたとは思わなかった。やはりハーマイオニーは、とても思いやりのある女の子なのだ。
「平気平気。三時半に、クィディッチの練習があるだけだから」
「――あと十分じゃない!」腕時計に目をやったハーマイオニーが叫んだ。
 先程まで泣いていたのが嘘のように、彼女が大きな悲鳴を上げたので、名前は思わずくすくすと笑った。
「大丈夫、心配しないで。ハーマイオニーの方こそ、大丈夫? 一人で城に帰れる?」
「ええ、大丈夫よ。でももう少し、此処に居るわ。それからハグリッドの所に行こうと思うの」
 名前は頷いた。ちょうど一週間後、ビーキーが危険生物処理委員会の裁判にかけられる事になっていた為、今は少しでも時間が惜しいのだ。名前はクィディッチがあって手助けできない事を詫び、それから湖を後にした。最後に見たハーマイオニーは、目元をしゃっきりとさせた、いつものハーマイオニーだった。

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