危険生物処理委員会の怪物ども

「……事情聴取?」名前は思わず呟いた。
 ハグリッドに送られてきたのは、魔法省からの公式文書だった。本文の下にはホグワーツの十二人の理事の名前が綴られていて、それが本物だと解った。名前は自分が知っている名前が載っている事に、思わず顔を顰めた。
 しかし、ハグリッドの動揺は名前のそれ以上だった。
 ふと名前がハグリッドを見ると、ハグリッドのコガネムシのような真っ黒い目から大粒の涙がボロボロと零れていた。予想外の出来事に、名前はギョッとした。
「ビ、ビーキーが殺されちまう……――」
「――そんなわけないじゃない!」
 名前は泣き崩れるハグリッドを唖然として見ていたが、ハグリッドがそう言ったのを聞いて、急いで否定した。手紙に書かれているのは『バックビークの裁判について』であり、『処刑日はいつか』ではない。しかし名前にもハグリッドと同じように、バックビークに非常に危険な事態が迫っていることはよく解っていた。
 バックビークの罪が問われるのは魔法省の危険生物処理委員会だった。この委員会は過去に何度も、魔法生物を葬ってきた機関だ。まっとうな判決もあったかもしれないが、(名前やハグリッドからしてみれば)ひどく可愛らしい問題でも危険生物処理委員会は有罪を言い渡すのだ。
 ハグリッドが本格的にオイオイと泣き出してしまったので、名前は何故バックビークにこんな文書が送られて来たのか、説明してはもらえなかった。しかし、名前はついこの間医務室に入院していた時、たまたまヒッポグリフによって怪我を負った生徒と会っていた。そして、ルシウス・マルフォイだ。名前が知っている僅かな情報でも、正確な答えを導き出す事ができた。
「……ハグリッド、バックビークを隔離しないと」名前はおずおずと言った。
 ハグリッドがそれを聞いた途端に、更に大声で泣き出したので、名前は途方に暮れてしまった。名前が泣きたいぐらいだった。ハグリッドが何もできそうになかったので、名前は彼の背中に一度だけポンと手を置き、彼をファングに任せて小屋を出た。一人で、バックビークをここまで連れてくるつもりだった。
 名前がこうして魔法省の言う通り、バックビークを連れ出そうとしているのは、レタス食い虫の件があったからかもしれない。授業の時、名前は必要以上のレタスを与えていた。(非常に残念な事だが)魔法生物飼育学の授業を熱心に受ける生徒は名前ぐらいしかいないので、可愛いレタス食い虫達が早死にしてしまったのは、名前のせいかもしれなかったのだ。
 しかし、そうしなければバックビークや、そしてハグリッドがもっと良くない立場になってしまうだろうと、解っていたのも事実だった。

 名前は先程通ったばかりの雪道を一人でザクザクと歩き、放牧場へとやってきた。放牧場の広い柵の中には、もちろんさっき見た通りのヒッポグリフ達が居た。土を蹴って遊んでいたり、駆けっこしたりしているのを見て、名前は再び胸の中が一杯になった。しかし、此処で泣いてしまうわけにはいかないと知っていた。
 バックビークはすぐに見つかった。大きな蹄で地面を引っ掻いていて、鼠か何かを捕まえようとしているらしかった。名前は柵越しにバックビークに近づき、一瞬だけ躊躇したが、柵を乗り越えて牧場の中に入った。バックビークまであと二メートル、そこまで近づいて、名前は足を止めた。
 バックビークはその尊大なオレンジ色の目をちらりと名前に向けたが、すぐに興味を無くしたらしく、名前に対して何の行動も起こさなかった。
 名前はそんな我関せずな態度のバックビークに対し、ギュッと口を結んだが、やがてバッと頭を下げた。名前の目にはバックビークの鋭い鉤爪しか映らず、暫くそのままの体勢で、彼が動くのを待っていた。
 ハグリッドが居ない為、簡単にお辞儀を返してくれるとは思っていなかった。名前はバックビークがこちらを見てもいない事だって、解っていた。暫くして、名前は徐々に視線を上に上げた。鱗に覆われた前足の上は毛皮へと生え替わり、灰色の羽毛になった。名前の首が自然な位置になる頃には、バックビークの鋭い嘴が露わになった。
 バックビークの橙色の瞳が名前を捉えた。
 暫くしておもむろに、バックビークは名前の方を向き、そして前足を微かに折り曲げ、頭を垂れた。名前は心の底で少しだけホッとして、バックビークに近づき、その嘴を撫でた。
「バックビーク、お願い、一緒に来て」
 首の辺りの羽毛を優しく掻き、名前はそう声を掛けた。バックビークが人語を理解しているのかは解らなかったが、名前が歩き出すと、ゆっくりとその後を付いてきた。
 バックビークは順調に歩いたが、柵の手前まで来てピタリと足を止めた。名前は自分の倍もある位置にある鷲の顔を見上げた。名前が先程までと同じように歩くように促しても、バックビークは地面を蹴るだけで柵を越えようとはしなかった。もしかしたらバックビークは、勝手に外に出ないようにと躾られているのかもしれなかったし、一緒に居るのがハグリッドではないからかもしれなかった。
「お願い、バックビーク――お願いだから」名前はまた泣きたくなってしまった。

 名前の父と名付け親は魔法省に務めていた。母親だって、結婚する前は役人だった。名前は他の生徒よりも、省がどれだけ裁きに重きを置くか知っていた。それに彼らは体裁を気にするし、その為の工作なんて当たり前なのだ。ヒッポグリフが学校の生徒を傷つけたというのなら、それはそれだけで立派な悪だ。
 名前はバックビークに死んで欲しくなかったし、何より、ハグリッドが悲しむのは見たくなかった。
 お願い、と繰り返していると、不意にバックビークは翼をバサリと広げ、木の柵を跳び越えた。やっぱり、人語をちゃんと理解しているのかもしれない。名前はそう思った。バックビークがその艶光りしている嘴をかちかちと鳴らしたので、名前は泣きたい気持ちを抑え込んで無理矢理笑顔を作り、彼の後に続いて柵を乗り越えた。深い雪道の中を今度はバックビークを連れて、名前は再びハグリッドの小屋へと向かった。


 ハグリッドは勝手にバックビークを連れてきた名前を見て、怒りもしなかったし、驚きもしなかった。ただ名前がドンドンと玄関の戸を叩き、顔を覗かせたハグリッドは、名前の後ろに立っているバックビークに目を留めるやいなや、再び大きな声で泣き出してしまった。
 ハグリッドはバックビークを一人になんてさせられないからと、小屋の中に入れ、自分のベッドを引き渡した。気儘にベッドに横たわるバックビークを見て、名前は不思議な気分になった。ビーキー(ハグリッドがこう呼ぶので、名前もそれに倣うことにした)はまるで、これからどうなるのか解ってるみたいじゃないか?
 丸太小屋を轟かすような音がして、名前は驚いてビーキーから目を離した。ハグリッドが鼻をかんでいた。それから名前は、森小屋に三人の客人がやってくるまでの間ずっと、泣いているハグリッドを慰めて過ごした。時々はバックビークを撫でてやったりしながらも、ハグリッドの背中をさすったり、紅茶を淹れ直したり、ハグリッドが考えているような事には絶対にならないからと力強く言ったりしていた。

 ハリーとロン、そしてハーマイオニーが小屋にやって来たのを確認した時、名前が安堵の溜息を吐き出したのは、仕方のない事と言えた。三人は扉を開けて出迎えたのが名前だった事に驚いたが、それよりも名前の喜びの気持ちの方が大きかった。
「ハグリッド、お客さんよ、誰だか解る?――ハリーとロンとハーマイオニーよ!」
 名前は三人の誰かが口を開くよりも早く、そう叫んだ。名前が何と言って慰めても一向に泣き止む気配を見せなかったハグリッドだったが、ハリーの名前を聞いて、少しだけ元気になったようだった。
 名前は圧死しそうになったハリーを、ロンとハーマイオニーと共に助け出した。名前が何故此処にいるのかと知りたがった三人を、名前はそのまま無視した。説明する元気が無かったのだ。
 名前が椅子に腰を下ろしてファングを撫で回している時(ファングは小屋にやってきた来訪者に怯えているらしく、名前から少しも離れなかった。もちろん、ビーキーの事だ)、ハグリッドは魔法省からの手紙を三人に見せた。それを受け取り、読み上げたハリーも、聞いていたロンとハーマイオニーも三者三様に驚きを示した。
「ハグリッド、バックビークは悪いヒッポグリフじゃないって、そう言ってたじゃないか。絶対、無罪放免――」
 ロンがそう言ったが、ハグリッドは袖で目を拭いながら叫んだ。改めて事実を突き付けられた事で、一度は収まってきていた不安がぶり返してきたようだった。
「おまえさんは『危険生物処理委員会』ちゅうとこの怪物どもを知らんのだ! 連中はおもしれぇ生きもんを目の敵にしてきた!」

 ハグリッドが言った事を聞いた三人は、ベッドを独占してスカンクを貪っているビーキーに目をやり、そして互いに目を見交わしてから、名前の方を見た。
「雪の中に放ってはおけないんだって」
「ハグリッド、しっかりした強い弁護を打ち出さないといけないわ」ハーマイオニーが言った。「バックビークが安全だって、あなたがきっと証明できるわ」
「そんでも、同じこった。処理屋の連中は悪魔みてぇなやつだ。連中は、ルシウス・マルフォイの手の内だ! もし俺が裁判で負けたら、バックビークは――」
 ハグリッドはその先を言わず、ただ自分の喉の前で親指を立て、それを首の前でサッと動かした。名前があっと思った時には、再びハグリッドはオイオイと大きな声で泣き出していた。今度は名前も加わって、四人で顔を見合わせた。
「ダンブルドアはどうなの、ハグリッド?」ハリーが優しく聞いた。
 ハグリッドがわんわんと泣いたままだったので、代わりに名前が答えた。
「ダンブルドアは、ハグリッドの弁護をしたの。でも、それでこの判決なの。とてもじゃないけど、ビーキーを無事に放免にする事は難しいのよ。それにダンブルドアは今、吸魂鬼とかブラックとかにも気を回さなくちゃならないし……」
 名前がそう言うと、ロンとハーマイオニーの目がさっとハリーに向いた。ハリーは暫く考え込んでいたようだったが、ゆっくりとハグリッドに言った。
「ねえ、ハグリッド、諦めちゃ駄目だよ。ハーマイオニーの言う通り、ちゃんとした弁護が必要なだけだ。僕達を証人に呼んで良いよ」
「私、ヒッポグリフいじめ事件について読んだことがあるわ」ハリーに続いて、ハーマイオニーが言った。「たしか、ヒッポグリフは釈放されたっけ。探してあげる、ハグリッド。正確に何が起こったのか、調べるわ」
「うん――……そうよ! 諦めちゃ、駄目!」名前が言った。
「今までの魔法生物裁判の判例を調べ上げてやるわ。ヒッポグリフだけじゃなく、全部の生物のを調べれば、きっと大逆転の末に無罪……ってのも有る筈! そうすれば、きっとビーキーに有利になる筈よ」
 ハグリッドは泣き止まなかったし、顔を上げなかったが、名前にはその泣き声が一際高くなったのが解った。ファングが情けなく鼻を鳴らし、名前も殆どお手上げだった。
「アー――お茶でも入れようか?」三人の視線を受けて、ロンが言った。
「誰か気が動転してるとき、ママはいつもそうするんだよ」
 四人はそれから、ハグリッドが落ち着くまでずっと、助けてあげると言い続けた。

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